好きなひとがいなくなったと知った日も わたしはステージに立っていた

ことが、ほっとしたような ショックのような なんとも言えない気持ちになった。

こんなあまりにも個人的すぎる感情をわざわざ記事にして公開しなくてもいいような気もするのだけれど、忘れないようにいつか思い出せるように、残しておこうと思います。いつかのわたしへ、そして それがどんなに大きくてもどんなに小さくても、誰かへの愛を持つ誰かへ。


ずっとこっそりとってもだいすきで 憧れていて 尊敬している女の子のクリエイターが亡くなった。

あの子の作るものがとにかく好きだった。そしてなにより あの人間味が好きだった。
可愛くて スタイルが良くて お洒落で センスが良くて 人を笑顔にさせて ファンを大切にしていて 時折気持ちが落ち込んでしまう、でもそれでも画面の向こう側にまた帰ってきてくれる。可愛いも可愛くないも死にたいも死なないも、そういうぜんぶと向き合う強さと そう簡単には真似できないとびきりの努力。ルックスもメンタルも女の子に寄り添い続けてくれるあの子がだいすきだった。
あの子が、どうやらもう、帰ってこない、らしい。


きょうのライブは、自分が書いた歌詞で ほんのすこしだけ泣いてしまった。

『七変花』という曲のの作詞をしている期間、思い返せばわたしは自然と 大切で大好きなひと、ひとりひとりのことを思いながら書いていたと思う。
サビで何度も歌う『君にとって僕が 僕にとっての君であれ』は、『わたしがあなたを大切に思うように あなたもわたしを大切に思っていてくれますように』だとか、『わたしが辛いときにあなたにそばにいて欲しいように あなたが辛いときにそばにいて欲しいのはわたしでありますように』だとか、
もっと言えば 『わたしにとってあなたが生きる意味であるように あなたにとってわたしが生きる意味でありますように』なのだ。


大好きなひとに、「死にたい」と言われたことがある。

心臓が いままで生きてきたなかでいちばん ぎゅ、となったことをよく覚えている。喉に言葉が突っかかって出なくなった。全身の神経が隅々までぴんと張り詰めて思考を巡らせる。いままで生きてきたなかで使ってきたあらゆる言葉や表情や声色の手段を片っ端から引っ張り出して、このあとのわたしの言動の正しさを探す。つまり、どうしていいか分からなくなってしまったのだ。結局、上手く言葉はあげられなかった。

でもきっとわたしは、この大好きなひとがわたしの知らないところで届かないところで「死にたい」と言っていたら、それはそれで寂しくて堪らなくなってしまう。

そのくせだいすきなひとが生きたいと思える言葉はあげられなかった。身勝手だ。

わたしは、好きなひとが幸せなのが幸せで 好きなひとが苦しいのが苦しくて、だから知らないところで苦しんでいたら寂しくて、ちゃんと教えて欲しくて頼って欲しくて、そのくせに苦しいって教えてくれても上手く言葉をあげられなくて、でもあまりにも無責任なのは分かっていても、生きていてって思ってしまう。どうしても。できることなんかなんにもないのに。実際、なんにもできていないのに。

「死にたい」と言われたとき、怖さや悲しさの根源は、「この人がいなくなってしまうこと」よりも「この人の生きる理由になれていないこと」なのだと、後からわたしは気が付いた。でも、こんな気持ちもあまりにも身勝手だ。分かっている。わたしだってそう思う。分かっている。

ひとに言葉をあげるのはいつだって緊張する。言葉が相手のどの部分にどんなかたちで残ったかは、相手にしか分からないから。

思っていることを伝えるって そりゃあ大切なことだとは思うけれど、伝えられたほうにどう残るかは伝えられたほうにしか分からなくて、だからわたしは安易にできないときがあるのだ。そのひとの言動をこれから先ずっと縛り付けることになるかもしれないから。そのひとがこれから先言動を起こすときに、わたしの言葉が邪魔をするかもしれないから。

でもそれでもたぶんわたしはまた言ってしまう。生きていてね。死なないでね。わたしが寂しいから。そしてわたしもまた同じことを、言って欲しくなってしまうと思う。

だいすきとはいえ ずっととおい女の子がいなくなってしまったことでこんなにも心がべこべこになっている。それじゃあもっと近くにいるひとがいなくなってしまったらどうなってしまうんだろうと思った。だからわたしは少しでも長くここにいられるように、そしてわたしの大好きなひとたちが少しでも長くわたしのそばにいてくれるように、強くあたたかくおだやかに生きようと思いました。とりあえず、いまのところは。


ひなちゃんは女の子の神様だった、という言葉を見た。ほんとうにそうだと思う。神様は毎日毎時間毎分毎秒想われている存在というよりも、ほんとうにほんとうに嬉しいとき 楽しいとき 悲しいとき 寂しいとき 辛いとき 感情が良くも悪くも不安的なときに思い出されて、想われる存在だと思うから。
ひなちゃんが作ったものが これからもずっとこの手のなかに残ることが唯一の救いです。だいすき。

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