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本当の自分とつながりたい




得体の知れない不安や恐れから必死で逃れるように、夢中で食べ吐きをしていたあの頃を丁寧に思い返すと、全てを終えた後のなんとも言えない安堵感や充実感、達成感が思い出されます。情けなさや罪悪感、自己嫌悪感、みじめさ、絶望感等の苦しい思いばかりだと思っていたのですが、実は半分くらい、いえ、一瞬は確かに快感だったかな、と。


失敗は許さない、またやってしまった、こんな自分じゃダメ、まだまだもっともっと頑張らないと、、、苦しくて泣きながら、汗をかきながら、我慢というネジが一気にはずれ、感覚を失った手で黙々と食物を口に運んでいました。そして、張りつめていた何かが爆発的に解き放たれる感覚。


リセットボタンを押すとともに、頬は腫れ、目の周りには数々の小さな出血斑、のどにはぐりぐりとしたしこりが現れました。せかせかと焦った気持ちはどこかへ消え、散らかったゴミを何もなかったかのように集め、手や顔を丁寧に洗い、何も解決できたわけではないけれど、とにかくスッキリできたのです。


日によっては、これを何度も一日中繰り返しているうちに日が暮れ、心も体も疲れきった状態で床につくのです。が、この状態で、やっと眠りにつけるという安堵感があった気がします。


外の声を消したい!

これは本当の自分じゃない!

お願いだれも邪魔しないで!

本当の私はどこに?!


と、必死で求めていた自分とのかすかな繋がり。例えば食べている最中、吐いたあと、ふっとほんの、ほんの一瞬感じられる安堵感、包まれている感じ。そこに一瞬だけ本当の自分を取り戻したような感覚があったのかも知れません。


そんな自分にすら「気持ちよさを感じる資格はない」と大きな罪悪感を感じ、さらに自分を罰することを続けていたあの頃の私は、ただ一生懸命自分を生きようとしてた、ただそれだけ。



振り返れば、数年前に瞑想を真剣に始めたころから『自分癒し』に集中できるようになりました。カウンセリングや心理学や様々なセラピーをすでに色々と学んではいましたが、やっぱり頭で考えすぎていたり、「こんな自分じゃダメだ」という焦りがあったと感じます。


じぃ~っと目を閉じていると時々、あぁなんだか、ありがたいなぁ、本当はいつもいつも守られていたなぁと、じぃ~んとくる瞬間があります。感謝の気持ちのような、ぼわんぼわんと内側から暖かいものが湧いてくるような、またそれに包まれるような。


結局はそんな風に、元気になった今だって外の情報に振り回されることも度々あるし、それでもいつも「自分と繋がりたい」という止まない願いを叶えようとしてるんだな、なんて感じてます。


複雑にしてしまっているのは自分自身で、実は、私たちの生きている世界はとてもとてもシンプルで優しかったんですね。笑









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