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炒飯をピラフに変える奴もうgoodnight

諸行無常の日々嫌い

↑これ、副題みたいな感じで受け取っていただきたいです。
いつもことわざだとか慣用句だとかをモジって表題にしていたのですが、なんだかなんの記事かわかんなくて普通に不親切に感じましたのでこんな感じにしていきます。
...えー、まぁ特に記事が面白いと言われたことはないのですが...好きで書いておりますので、今日も書くとします。皆様には時間の許す限りお付き合いいただければと存じます。よろしゃす。

さて、人生は選択です。生きるとは選択を重ねることです。進学、就職先で大きく環境が変わり、生き方も変わり己も変わる。選択の先に結果があるだけで、正解や不正解という評価は相応しくないと個人的には思います。正解と思う瞬間もあれば、間違いだったと感じる瞬間もあります。僕は高校を辞めたからこそ音楽をしています。ですが、高校を続けていればと今でも思います。いや、今になって思います。でもそれは結果です。正解や不正解などではありません。

では、間違いとはなんなのか。
“某北陸大手ラーメン店の炒飯がピラフみたいになった”です。
これが間違いです。間違い!!なん!です!

僕はそのラーメン屋を最早炒飯屋だと思っていました(以下、炒飯屋)。あの炒飯が大好きでした。ギリ見えるところにあるまわる炊飯器みたいな機械で今炒められているのが自分の炒飯なのか。そうワクワクしながら炒飯を待ちました。
小学校、中学校、現在に至るまで。炒飯屋のあのテカテカのテーブルに座って待つのはいつもあの炒飯でした。
炒飯屋が販売する冷凍の炒飯を買うようになってからは1度に3人前も買ってその日のうちに全て食べました。大好物でした。

“鶏卵価格高騰の為、炒飯の販売を一時停止します”
ウイルス、戦争と社会ではトラブルが絶えません。今は我慢の時です。いつまでも同じ炒飯が食べられるわけではないとその時初めて意識しました。街並みも変わる。並ぶ店が変わり、僕も変わる。お前も、変わる?
炒飯を見る僕。何か違う。
この、なんだろう。ピラフ?そう、ピラフみたいになってる気がする。あれ、気のせいかな。
食べて、その違いに気付きます。
もうそれはドラッグストアの1番奥に並んでいる冷凍ピラフです。
価格高騰を受けてなのか、良い機会がきたのか、原材料の見直しがあったのでしょう。味が変わってしまいました。
企業は常に改善を意識し、より低コストで、よりおいしく。(以下、ピラフ屋。)

まあ好みや企業の問題ですから、誰が誰に誰のことも言えないのです。
だからこそ、美味しいのかな。だからこそ、ひとくちを大事にしたいなんて思えるわけがねえんだよ!!!戻して!!!オイ!!!クソ...僕は悲しい!!「昔の炒飯復刻」みたいな狂ったイベントがない限りもう食べることができない。

そんな時友人からの知らせ。「〇〇店の炒飯は変わっていない。」
嬉しいはずの知らせです。でも、特に何も感じませんでした。僕はもうピラフ屋に対して何にも思っていません。もうバイバイ。もうgoodnight。炒飯をピラフに変える奴もうgoodnight。

でも今度ピラフ食べにいきます。
ピラフ、好きなんで...。

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