小話

 私は3月末まで、国の外郭団体の病院で事務をしていた。そして、私は環境の変化というものにめっぽう弱いらしい。係が変わって長時間労働に耐えられなくなり、総務課に異動後も耐えられなくなった。気づけば休職をしていた。なお、この休職も3回目だ。過去で一番軽いものだったけど、おのおかげか私の中で「この職場に居続けると俺はヤバい」と思い始めるようになった。
 10月から休み、12月ごろになんとなく普段の日常を取り戻せるようになっていた。ひっそりとリクナビネクストとマイナビ転職に登録し、病院は最初避けて、教育関係で学校の事務職を探したが全滅。結局医療か、とやってみると書類選考はすべて通る。結局、大阪府の医療機関に内定をいただいた。

 「地元山口県なのに、なんで大阪?大丈夫なの??」と思われるかもしれない。建前上は大学時代に京都市で過ごし友人知人も多く、岡山勤務時代も3か月に1回~半年に1回は京都に歌の練習に行き、定期演奏会は今のところすべて乗っている。趣味の拠点もある。友人知人もいる。全く知らない場所ではない。
 本音を申し上げるならば、私も大丈夫なのかわからない。不安でいっぱいだ。否、不安しかない。大阪府は遊びに行く場所であったし、常に友人知人と会うわけではない。
 なにより、内定をもらった病院は非常に規模の大きい病院だ。

 国の外郭団体を辞めて転職と両親に伝えたときに、遠回しに反対された。しかし、今回の医療機関も民間と言えど、医療法上「公的医療機関」に属される組織である。このおかげで親も対面が保たれてくれたようだ。
 それはそうと、前職は150床中50床を休床にしているリハビリ専門病院で、公立病院の定めで近隣住民向けに内科や整形外科を診ていたものの、非常に赤字が続き患者数も少ない病院だった。
 次の病院は大阪府から多くの指定を受け、病床は減らしたとはいえ400床を超えている。
 医療事務の世界において、100床の違いでも大きく算定方法やルールは変わってくる。私はそれに追いつかなければならない。
 入院なんてバッチシDPCだ。前職は出来高算定だったのもあり、外来と入院で協力していた。それが今回はどんな感じなのだろうか。前職ではほかの系列病院は窓口算定は外部委託だったが、私がいた病院だけは職員が行っていた。私は、前職の全グループ内で数少ない外来窓口の算定業務を行えた人間だったのだ。

 4月1日から早速の勤務となる。不安でいっぱいだが、多少の希望もある。頑張っていきたいと思う。ゆるく、ゆるく。

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