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ゴリラ

文章を書くことって、不思議ですね。
「小説家を見つけたら」というガス・ヴァン・サント監督の映画で男が言いました。
「まず文章は考えず、心で書くんだ」と。
しかしこの教えは正直わからなかったんです。
主人公も私と同じように、いきなり言われて戸惑ってしばらくの間何も書くことはできませんでした。
でも今、少し時間をおいたことで私はこの感覚が少しわかってきたように思います。
手が考えてくれるというか、手が導いてくれる文というか・・・
はっきりはまだ答えが出てきませんが、なんとなくアレかな?という感じで存在しています。そしてその答えを手繰り寄せる意味でのこの再開でもあるのです。

少しずつ「文」というものに興味が湧いてきました。
「詩」も同じように文です。今までは歌詞のように一般的に馴染みの深い詩しか私には向いてませんでした。というよりも身体がうけつ受けなかったということしたが。
でも最近になって、「詩」もなんだこれは?という感じになってちょっとワクワクしてきています。

海外の詩、アレン・ギンズバーグや萩原朔太郎、谷川俊太郎や最果タヒや他にも歌詞の方でも、複雑でいて自由で理解したよでできない捉えられない文というのが魅力的に思えます。
不思議です。文。
人に伝えるのが文。なのに伝わらないようにしたり、伝わったり、よくわかんなかったり、激しく心を刺激したり。

私も少し書いてみました。

確かに入ってるか確かめる為に 両手をモモに叩きつける その名前は一体なんだろうか

自分が本当に存在する時 それは紛れもなく 実家に向けて足を運んでいる時だ

コック帽とタバコは 実は酷く相性がいい

なんとも拙い詩ですが、私の中でもかなり力作だと自負しています。

こんな調子でも、知らない間にこんなたくさんの字数を書いているので、やっぱり文を書くことを好きになるのが一番いいってことですね。

それじゃまたのお付き合いを・・・
(タイトルのゴリラは、『ゴリラ』という文にすごく力があるということを言いたかったのです・・・)

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