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情景描写の練習ってことで

ここからでは、バルコニーの先は見ることができない。
それは私が席を立ってはいないからで、もう少し背筋を伸ばすことができれば、きっともっと先の方も見ることができるだろう。
しかしここからでは、ほんと王に見える範囲でしか物事は見ることができないのだ。
カチカチと何かの物音はするのに、見える範囲のその向こうに、何やら音は聞こえている。

私は想像する。
その先はちょうどなだらかな階段がつけられていて、綺麗なモノクロのセットが組まれている。白かオフホワイトの一体でできたそのセットは、豪華なテーブルや、大きな窓枠なんかであしらってあって、床には大きくて黒い放射柄のマークがそのダンスホールほど広いフロアの存在感を与えている。そう昔の映画でフレッド・アステアが踊っていたあの場所を思い出していた。
彼の鳴らす靴の音は、私の打つキーボードの原点だ。
軽快かつリズミカルで、そしてまたとても陽気だった。そんな気持ちにさせる音をそのバルコニーの向こうに望んでいる。いや、なっているように思ってしまう。

はたまた窓枠の見えない部分に左に曲がる。
すると、光の届かない道がずっと続いている。中華屋の配管には手のひらサイズの東京産ネズミたちがきっとチーズや肉の切れ端なんかを、バケツリレーの如く我が家に運んでいくのを見ることができるだろう。車の往来は都心の動物たちを遠ざけるような気もするが、本来は違う。動物たちは見えないところで大移動をしている、それは人目につかないわけではなく、むしろ人が見ようとしていないのではないだろうか。

よくほじくる左耳の内側の肉を爪で削いでしまった。指の爪先には生の血が少し付いている。わずかに自分は生きていると思った。

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