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誰と乾杯するのか

昨日、コルクラボの運営会議に出ていて、ちょっと前に話題になった「夢組と叶え組」の話が出た。

以前に読んだ時には、どうにも「叶え組」の自分を受け入れるとなんだか自分の未来を狭めてしまいそうな気になって怖かった。だけど、最近はまあどちらでも大差ないかと考えるようになったから考えてみる。

結局のところ、何かをやり遂げた時にどちらで乾杯するかの話で、乾杯できることの方が重要だよねって話なのだ。

1人で企画してやり遂げたら、誰と乾杯するの?

なんだか、耳に刺さる言葉だ。話のきっかけは、運営会議で最近のラボでの企画は一人で立ち上げることが多くなったというところからだった。

以前は、「部活」のように関心を持った人が集まって進め方を話し合ったりして熱量が上がって、ラボ内を巻き込んで進める企画が主流だった。
いまは、ラボ内の「安全」が高まったせいか、いろいろな活動から個人が「信頼」を集めていて人が集まるのか、一人で企画を立ち上げて盛り上がる事も多い。
でも、逆に言えば部活のような受け皿が機能しづらくなっていて、新しくラボに加わった人は一人で企画を立ち上げると、そのまま自分でやり遂げて疲れ切ってしまう事も危惧されるようになった。

それで、最初の言葉にもどるわけだ。

一方で、自分みたいに運営でみんなが活動する仕組みを整えるのに面白さを感じたり、頑張っている人のところに行って何かと広げるのを手伝ったりするのを楽しむ人間もいる。そんな人間が、誰かと組んで企画を仕掛けていく場合も増えてきた。いわゆる「叶え組」の側だ。

「叶え組」には夢がある。「みんなの夢を叶える」という夢だ。その関わり方は積極的に推していく場合もあれば、突き進む「夢組」を支える形で入る場合もある。結局のところ、優劣ではなくて得意を活かした役割なのだ。

そこのところをいつも間違える。なんだか優劣や上下がつく気がして無理して「夢組」を選ぼうとする。あるいは「夢組」でなければクリエイティブじゃないと思って引け目を感じる。

それは、例えば会社の役職にも言える。前職の時に、プロジェクトマネージャーやチームリーダーという役職を与えられた時に偉くなった気がしていろいろと空回りした。大失敗して、そのあとにチームメンバーとして再び関わった時には惨めな気分になったものの、自分の能力を活かして働ける様になって少し自信を回復した時にやっと気がついた。

そういうのは全部、自分や他人に余計な「期待」をする事で生じる齟齬なのだ。誰かが誰かよりすべてにおいて優れていることなどなくて、もしも優れているならばより集中しているだけなのだ。
そしたら、自分の好きに集中するのが幸せに違いない。本当に幸せなのは、好きなことをお互いに尊敬できる仲間とできる時だ。

つまるところ、「誰と乾杯するのか」が大事なのだ。


おわり。


#毎日出す 20191013 DAY21
※連続投稿は残念ながら途切れたけど、100日チャレンジは続けるぞ!

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