多様性を受け入れること

#毎日出す 20190926

もう随分と前に考えていたテーマだけど、昨日のコルクラボ定例会で合宿PJ(プロジェクト)の振り返りがあって、思い出すことや、あらためて考える事があった。

仕事でも、プライベートでも何か判断を話すとポカンとした顔をされる時がある。お互いが同じことを前にして、「違うものを見ている」と感じる時だ。
それは、いつでも訪れる一瞬であり、孤独の瞬間でもある。

昔は、自分と同じ視点に立てず、相手の理解が足りないのだと思っていた。傲慢だ。

次に、自分は相手とは違うのではないかと考えた。

わかり合う日は永遠に訪れないが、明快ではあり、作業を進める事ができる。

わかり合えないが、作業の結果を受けるのが相手ならば、相手に合わせた方がより良い成果が上がる。


だから、許せる限り自分の枠をゆるくしてカバーする。どんどんゆるくして受け入れるから「多様性を受け入れる」のだと思っていた。
人として成長するのは、どんどん枠をゆるくしていくことだとおもっていた。そして、どこかそれに限界も感じていた。自分が、自分で無くなる不安とでもいうもの日に日に大きくなってくる。


昨日の振り返りは、先日の合宿PJでの運営サイドからの振り返りだった。

その中で、(もちろん、事前にみんなで振り返り会をした総括だけど)リーダーの彼女は、会社とは違って、自分の視点と違う進め方をしている、あるいは進んでない様に見えても巻き取ることは出来ない。コミュニティでは、ボランティアで動くので、「好き」のために動いてくれている限り最後まで頼りきるしかないと言う。


なるほど、合宿では自分もチームリーダーをして、全体リーダーの彼女と話してるとしばしば「違うものを見てる」瞬間がおとずれていた。

その時は、もしかすると、少し不安になって、目も泳いだかもしれない。今までも仕事などでやってきたように、ひとまず具体的なタスクに落として話して合意する。
でも、こっちの顔を反映してか、向こうも不安そうな顔でこっちを見てる。その瞬間は、少し孤独になる。

とはいえ、過去に何回も経験したよくある時間だ。孤独な自分は脇において、目の前を片付けた安心の中で休んだりしてケアをする。
ああ、彼女とはまた距離が開いたなと思いつつPJの終わりを目指して走る。


ただ不思議なもので、何度かその瞬間が訪れても彼女は離れていかずにまた頼ってくれる。それは、とても不思議な気分だった。


そうしているうちに、それぞれの想いをのせてPJが進み、いろいろと花開いてバラエティに富んだステキな時間になる。

自分の担当時間が過ぎて、やり遂げた気持ちで残りの時間を過ごしていると、彼女から声が掛かった。
(キャンプだったので)テントの片付けのリーダーをしてほしい。なるほど、よく考えると自分はテントを張る時間のチームをとりまとめていたのでこれは関連しているのかもしれない。
でも、正直なところ自分の分担が初日のテント張りの時間と思っていたから、聞いた瞬間は戸惑った。
彼女を見ると、他にもいろいろと撤収の責任をもっていて大変そうで、不安そうだ。もしかすると、今までこの時間について一度も話して無いし、こちらに依頼することすら不安なのかもしれない。

よく考えれば、自分は関連もあるし、割と急ぎの場面での声かけなどは顔が利く方だ。この場で、適切な人選な気がする。
ぼんやりと彼女の顔を見て、なんとなく思ったのは。いつものように考えずに「彼女が頼った”判断”を頼ってみよう」と思った。

些細なことかもしれないが、そして、いつもの様にその場に個人として居たとしても同じように行動したのかもしれないが、自分の中では運営チームのメンバーとして彼女に与えられた役割をまっとうしようと思って動いていたのが新鮮だった。

自分の判断を置いて、他人の判断に委ねるのは不安でもあり、つながりを感じることでもある。
このつながりを作るのが、チームとして「多様性を受け入れる」ことなんじゃ無いだろうか?


ずっと多様性は自分の枠をゆるくして飲み込むイメージだったけど、本当は「意思をもって隣に居続ける事」だと気づいた。


そういう風に考えた。


おわり。

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