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人間らしく生きらるためには。

人が人らしく生きるには、「土」がなければ。
私は、「土」がないところには暮らせないです。

都市と田舎との違いは何かというと、「土」の有無、だと個人的には思っています。林でも畑でも原っぱでも海岸でも、「土」があらわになっている場所がどれくらあるのか。
都会生活で人が病むのは土が封印されちゃってるからじゃないかなんて私は思っています。サプリメントを摂取しつつスポーツクラブで汗を流すような都会人の「健康」はなんだか「いびつ」に見えてしまう。

なにもない道北には「土とスペース」がある。


一方、不思議なことに田舎の人は田舎であることを憎んでいるようにみえます。自然との共生というお題目はあるものの、街部の街路樹でさえケアに手間とお金がかかるうえに除雪の邪魔になるので不人気です。
雑草は忌み嫌われ除草剤を使う人も多く。

それでも私が道北を離れないのは、市街地(!)から一歩街を離れると、「土」と「広々としたスペース」があるから、なのです。

たんぽぽの花で埋め尽くされる原っぱ

スペース。

下見に来て道北を選んだ理由はそこでした。

実は原っぱがとても気持ちよかったから、というのがこの町を選んだ理由です。そこは牧草地だったり冬には雪の集積場となる場所だったりするのですけれど。内地にはありえないだだっぴろいスペースに野草が風に揺れている。「なにもない」がある。

「そのままでいいよ」

原っぱはそう言っているようです。
耕せとか、走れとか、滑ろとか、ジャンプしろ、とかそういう圧はまったくない。これは凄いことなんですよ。いままで押し込め垂れていた「自分」がここでは自由になる、そんな感じなんです。

だから何も持たずに来れた

自分の中に人生の青写真みたいなものが眠っているのなら、きっとここでそれは目覚めるはず。だから、何も準備する必要はない、そんな根拠のない確信がありました。

それが、「福音」でした。

「好きなことではなく飽きないことをやりなさい」そんな言葉があります。
好きなことも飽きるんですよね。そして、好きなだけに思い込みなんかもへばりついている。結果、好きなものだからこそ「新しい展開」がしにくくなってしまう。

好きも嫌いもなく、「飽きないこと」こそにこそ伸びしろがあるんです。
ここにきて2年たったあたりから、私の飽きないことがはっきりしだしました。

それが「開拓」でした。

最初の開拓地。
整理がまだまだの夏の開拓地


草刈りを終えた秋の開拓地

開拓って、思うに私にとっては気持ちの良いスペースを作る、というなんですよね。畑にするつもりとかいって荒れ地を借りたんですけど、通ううちに別に畑なんてどうでもいい、みたいな気分になりました。

開拓地にいると好きな自分でいられる。

それだけでいいと思えたのです。どこにいっても「やっぱり日本」で、やってらんねーって思った時もありましたけど、それを乗り越えられたのはこの土地があったからです。

エゾリスが走る樹木。

トンビが飛ぶ空。

スイカを冷やせる川。

種を蒔くことが出来る地面。


火を焚ける場所。

テントを張れる場所。

ぼーっとできる場所。

木登りできる場所。


無限大の「伸びしろ」。

実のところ、MANGA作家として活動できるとふんで(細々とでも)道北に移ってきたのですが、結果自分でも予想しない展開になりました。
原木しいたけを置く場所を探しているうちに、紆余曲折の末(いろいろあった)荒れ地に誘われたという次第。

しいたけ出汁を使った料理はお世話になった方を招いての食事会ができるまでになりました。そうこうするうちに、MANGAの仕事も知り合いからつぎつぎと舞い込んでくるようになり・・・。

保護猫団体の啓蒙のぼりのデザイン。その1
その2。のぼりをもっているのは発注してくれたHさん。


スペースを空けてあげれば、新しい風は入って来るんですね!

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