プロレスを観て涙が出る。棚橋弘至選手が教えてくれたこと【プロレスを観よ#4】

何かにハマるときは必ず、最初の「入り口」となる何か(ヒト・モノ・コトのいずれか)はあります。私にとって、新日本プロレスへの「入り口」となったのは、棚橋弘至選手でした。

棚橋選手を知ったのは、プロレスを観る、ほんとにほんとのはじめの一歩となった、自分にとって運命の書ともいえる『プロレスという生き方』(著:三田佐代子)。

本書を読んだ後、棚橋選手が出版した書籍を数冊買って読みました。『週刊プロレス』や『NEW WORLD』も。棚橋選手が書いた小説(多才!)も読んで、繊細なかたなのかなぁ、どんな試合をするプロレスラーなのかな、など想像をふくらませました。

格闘技ブームにおされ、低迷していた時期の新日本プロレスを支えた棚橋選手。お客様からブーイングを浴びる時期がありながらも、「100年に1人の逸材」と自ら名乗り、NEW・新日本プロレスを切り拓き、新たなファンを獲得してきた功績はものすごい。そうも思いました。

棚橋選手を見てみたい。この目で棚橋選手の姿を見たい――。そう思ってようやく観にいけた新日本プロレスの興行が、2016年8月のG1クライマックスの終盤、両国国技館大会の初日でした。

この日、棚橋選手は第9試合 Aブロック公式戦に出て、オカダ・カズチカ選手と激闘を繰り広げました。初めて新日本プロレスを観る、そしてそもそもプロレスを観始めて2カ月弱だった当時、これまた初めて「30分時間切れ引き分け」しかもシングルマッチで、という壮絶すぎる戦いを目にして、涙がにじんだのを覚えています。思えば、初めて泣いたプロレスの試合。

この日から、プロレスを観て、試合によっては涙が出るようになりました。自然と流れてくるんです。「なぜ、まだ立ち上がれるの?」「どうして、もうボロボロじゃない」「限界超えてるはずなのに」「強さ、ってなんだろう」。そんなさまざまな思いが心の中をあてどなく巡った後に、涙腺が自動的に刺激され、涙が制御不能となってただ流れてくる、といったところでしょうか。

あの日の棚橋選手とオカダ選手が観せてくれた戦いで、プロレスがこれほど感情というものに訴えかけ、心をぶらんぶらんと揺さぶるものなんだと知りました。正直、戦いを観て泣くなんて、観る前は想像もしていなかったです。

それまでに何度か観たプロレスでは、自分が初心者すぎるあまりに、興奮度のほうが上回っていて、泣くという感覚までには到らなかったから。「今日もプロレスだ! やったね!」というワクドキ感が大きかったから。でも、それからは、泣くことも増えました。意識せずとも、自然と泣いてしまう。

私の短いプロレスファン人生(約1年半)のなかで、プロレスが泣けるものであること、興奮や熱狂以外の感情に訴えかけてくるものであることを、最初に教えてくれたのは棚橋選手でした。

まだ観たことのない方は、一度プロレスを観てほしい。騙されたと思って観にいってほしい。面白い試合やシビれる試合、ハラハラする試合、ギラギラする試合……いろいろあります。そのなかに泣ける試合、も含まれます。観終わって帰る頃、自分の感情がふっくらと豊かになったのを感じられるはずです。それがプロレス。

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