2023年9月21日広島市議会一般質問(パールハーバー以外の平和行政関連部分のみ)

開会中の広島市議会9月議会は、一般質問の初日が21日にありました。広島市の平和行政のありようや今後の方針について様々な質問が議員から出たので、まとめて記しておきます。

なお、議員の質問の後にそれぞれの質問に対応する理事者(市)側の答弁を入れています。議会というのはそういうものなのかも知れないけれど、もう少し質問の前段説明を圧縮して、質問数や更問いを増やした方がいいのではないか、と切に思いました。ほとんど、手元の紙を読み合っているだけの儀式になっているので。その問題意識も共有するため、質問は圧縮せずそのまま載せます。

いずれ会議録になるのはわかっています。ただ、それが出てくるスピードが異様に遅いのと、パールハーバーとの姉妹公園協定のときみたいに、まばたきしている間に物事が決まる、というようなこともあるので、より良き社会のために書くことで伝えるということを仕事にしているものとして、できる範囲でこの作業をやっています。(議場や委員会で出てきた不規則発言とかが議事録ではなかったことにされたりすることもおうおうにしてあるし。)

新たな国連機関の誘致について

田中勝議員(西区/公明党):
戦争ほど残酷で悲惨なものはない。これは20世紀の歴史の教訓であります。いまだ収束の兆しが見えないロシアによるウクライナへの侵略は国連憲章違反であり、さらに、ロシアによる核兵器使用の威嚇は絶対悪として許されるものではありません。私達広島は、核兵器廃絶はもちろんのこと、世界恒久平和への実現へ向けたゆみなく、具体的な取り組みを進めなければならないと考えます。急速な技術開発が進む世界において人工知能、つまりAIを使用し、人間の判断を介さずに目標決定して攻撃する。自律型致死兵器システムLAWSが平和を脅かす新時代を迎えつつあります。自律型致死兵器システムLAWSとは、いまだ国際的に合意された定義がないものの、外務省では人間の関与なしに自律的に攻撃目標を設定することができ、致死性を有する完全自律型兵器を指すといわれているものと述べております。

本年7月に、国連の安全保障理事会が開催され、AIがもたらしうるリスクへの対処などに関する初会合が開催されました。国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、紛争が新たに起こりうる場面が増えており、人類滅亡に繋がるような兵器も誕生していると述べ、加盟国への勧告をまとめた提言書で、自律型致死兵器システムLAWSを禁止する法的枠組みへの取り組みを初め安全保障リスクリスクの軽減に向けた対策として、新たな国連機関の創設を訴えました。

この国連機関とは、国際原子力機関、IAEAや国際民間航空機関のICAOなどを参考にしたもので、悪用監視など国際人道法を遵守し、人間の管理の確保ができる仕組み作りが急務です。ちなみに、IAEAの本部はオーストラリア、オーストリアのウィーンに、また、ICAOの本部はカナダのモントリオールにあります。

公明党広島県本部では国連を始め、世界的課題の動向に対して日本政府へ核兵器の運用におけるAI導入の禁止や自律型致死兵器システムLAWSの開発規制などサイバー兵器の禁止、またそれらに関する新たな国連機関を、被爆地広島に誘致することを訴えていきたいと準備しております。

そこでお伺いいたします。核兵器運用におけるAI導入の禁止や、自律型致死兵器システムLAWSの開発規制などサイバー兵器の禁止と、現代の脅威に対して、国連のアントニオ・グテーレス事務総長は安全保障リスクの軽減に向けた対策として、新たな国連機関の創設を訴えられましたが、生命と人生を奪う戦争に対する教訓と、常に被爆の実相という土台に立ち返るために世界に対して監視等を行う国連機関の設置として最もふさわしい場所が被爆地広島ではないかと考えます

それらの意味から、国連が検討を始めた新たな国連機関の誘致を被爆地広島がいち早く訴えるべきであると考えますが、本市のお考えをお聞かせください。

市長:
新たな国連機関の誘致についてのご質問がございました。議員ご指摘の新たな国連機関については、本年7月18日ニューヨークの国連本部で開催された人工知能AIに関する初めての安全保障理事会において一部の加盟国から、AIを規制するための新しい国連機関の創設が求められ、グテレス国連事務総長からも賛同する発言があったものであります。

これまでも、国連機関や領事館などの外国公館の誘致に取り組んでいる本市では早速、外務省に問い合わせるなど、情報収集に当たったところであります。今回のグテレス国連事務総長の発言は、唐突なものであり、今後その創設に向けた動きが具体化し、組織の規模や体制創設見方スケジュールなどが明らかになった段階で、改めて具体的な情報について収集を行う必要があると考えております。

いずれにしても広島の平和の推進に関わるような国連機関等が設置されることになれば、国際的なネットワークの拡大による平和の発信力が高まるとともに、国際会議を誘致する上でも有益であることから、「迎える平和」を掲げる本市にとって非常に意義が大きいと考えており、このたびの新たな国連機関の創設の動きを含め、引き続き国連等での動向を注視する外務省等も連携して情報収集を行うなど、国連機関の誘致に努めてまいりたいと考えております。その他のご質問については関係局長から答弁いたします。

被爆建物に関する国の文化財指定と環境整備等について

田中議員:
被爆建物は、物言わぬ証人として被爆の実相を伝える重要な役割を果たしております。これまで私達公明党広島県本部は、文部科学大臣に対し原爆ドームの特別史跡化と平和記念平和記念公園レストハウスや旧広島陸軍被服支廠と広島の原爆遺跡に対する文化財指定についての要望を行ってまいりました。また私も本会議や委員会等でこの件を取り上げさせていただき、現在文化財指定の実現に向けた取り組みが推進されているところです。そこでお伺いいたします。国の文化財指定に向けて、原爆ドームの特別史跡指定と現在具申中の文化財についての進捗状況を教えてください。

次に、その具申中の一つである本川小学校平和資料館についてです。本市では平和記念資料館の発信力強化として、本川小学校および袋町小学校平和資料館等を平和記念資料館の付属展示施設施設と位置づけ、一体的に管理運営し、効果的な展示を行い、平和の発信、そして迎える平和の取り組みを充実させるとのことで、運用、運営所管を現在の教育委員会から市民局へ令和7年度を目指して移管されることが発表されました。

この本川小学校平和資料館等の移管については令和3年第1回定例会の総括質問において、我が会派の碓氷芳雄議員が提案しています。平和記念資料館の発信力強化における環境整備の課題として、本川小学校平和資料館には、観光客の方が利用できるトイレが設置されておりません。もちろん学校敷地敷地内ですから、児童たちが利用する校舎の中にはトイレがありますが、平時、不特定多数の観光客の方へトイレの使用は認められておりません。そこでお伺いいたします。本川小学校平和資料館は、令和7年度を目指し、現在の教育委員会から市民局へ移管し、平和記念資料館の発信力強化に取り組むとのことですが、その環境整備として、本川小学校平和資料館を訪れる国内外の方が使用できるトイレの設置をご検討いただきたいと思いますが、本市のご見解をお聞かせください。

次に、旧広島陸軍被服支廠についてお伺いいたします。旧広島陸軍被服支廠は国が1棟、広島県が3棟を所有していますが、世界最大級の被爆建物として広島市にそれらの施設があることから、その活用策について部分的な管理運営など本市も積極的に関わるべきではないかと考えますが、本市のお考えをお聞かせください。

最初に述べた国連機関の誘致など、平和の最先端叡智の拠点としてもふさわしい場所ではないかと思います。また、被服支廠自体の利活用だけでなく、これを本市全体のまち作りにも活用するという視点も必要だと考えます。現在、本市では、賑わいと交流を都心全体に広げていくため、広島城、広島市民球場、そして平和への思いを共有する平和記念資料館や平和記念公園や比治山など地域資源を巡る都心回廊という考え方のもと、人が中心となる回遊ネットワークなどの形成に取り組まれています。こうした取り組みを拡大し被服支廠も含め、例えば広島大学旧理学部1号館などの他の被爆建物を巡る新たな回遊ネットワークを設定することで、被爆の実相を一層効果的に伝えるだけでなく、都心の賑わいと交流をさらに広げることができるのではないかと考えますが、その点についてもご見解をお聞かせください。

市民局長:
(国の文化財指定について、原爆ドームの特別史跡指定と現在意見具申中の文化財の進捗状況について)
まず、本年7月に文化庁に対して、史跡指定に係る意見具申を行った広島原爆遺跡は広島平和記念公園レストハウス、旧日本銀行広島支店、本川小学校平和資料館、袋町小学校平和資料館、中国軍管区司令部跡旧防空作戦室および多門院鐘楼ですが、現在これら6件について、文化庁において指定に向けた検討が進められているところです。その検討を経た後に、文化庁から国の文化審議会に諮問を行い、その答申を受けて決定されることとなります。従って現時点において指定時期を明確にお示しすることはできませんが、速やかな指定が実現するよう、必要に応じて文科省と調整してまいります。

続いて原爆ドームにつきましては、現在文化庁との協議に基づき、意見具申に必要となる物件の歴史的価値やこれまでの保存工事の内容および将来的な保存活用方針などを記した総括報告書の作成作業を行っているところです。現在総括報告書の取りまとめを行った上で、必要資料の作成を行い、来年度の意見具申に向け引き続き取り組んでまいります。

(本川小学校平和資料館にトイレを設置することについての本市の見解について)本川小学校平和資料館については、平和記念資料館の付属展示施設とすることにより、同館の発信力強化を図ることとしており、現在地域や学校の関係者に対して、原稿の展示や施設の課題等についてご意見を伺いながら進めているところです。トイレ設置については、既に要望として出てきておりまして、本市としても、来館者サービスの向上を図る必要があると認識していることから、今後設置に向けて、関係者や教育委員会と協議調整を進めていきたいと考えています。

(旧広島陸軍被服支廠の活用策について、部分的な管理運営など本市も積極的に関わるべきではないかと考えるがどうかについて)
旧陸軍被服支廠の利活用策の検討にあたりましては、広島県が本年3月に取りまとめた旧陸軍被服支廠の今後の活用の方向性を踏まえ、国県市で構成する旧陸軍被服支廠の保存継承に係る研究会において、現在具体的な利活用策について議論を進めています。本市としては、原爆被害の凄惨さを伝える被爆建物については広島の心を発信する施設として利活用されるよう取り組んできているところであり、被爆直後多くの被爆者が避難し、臨時救護所となった旧陸軍被服支廠についてもこれまでのノウハウや経験を生かすべく、同研究会での議論に積極的に参加しているところです。今後の管理運営については、具体的な利活用策を考えていく中で、国県市の役割分担やそれに伴う費用負担のあり方についてしっかり議論した上で、本市が果たすべき役割を踏まえ、連携して取り組んでいきたいと考えてます。

都市整備局長:
(被爆建物に関する国の文化財指定と環境整備等についてのうち、都心回廊の取り組みを拡大し、被服支廠も含め、例えば広島大学理学部1号館などの他の被爆建物を巡る新たな回遊ネットワークを設定することで、被爆の実相を一層効果的に伝えるだけでなく、都市の賑わいと交流をさらに広げることができるのではないかと考えるかどうかについて)
本市は楕円形の都市作りにおいて、居心地が良く歩きたくなるまちなか作りのコンセプトのもと、広島と新回廊作りを推進し、都心の地域資源を巡る回遊ネットワークの形成に取り組んでいます。この都心部には、平和記念資料館や原爆ドームなどの主要な平和関連施設があり、インバウンド客を初め、市内外から多くの人が訪れています。一方で、都心部から離れた場所にある被爆建物等については、都心部の事に比べると認知度が低いと承知しています。

このため、これらの被爆建物等の利活用を契機に、都心部からこれらの施設への回遊を誘導することができれば、観光客の本市における滞在時間が延びるなど都心部と周辺地域双方の活性化が期待できるものと考えます。こうした拡大の取り組みは、陸の玄関である広島駅周辺地区の整備をはじめ、平和大通りの利活用、比治山公園平和の丘構想などの取り組みとあわせて、関係局が連携しながら検討よく検討していく必要があると考えています。

被爆樹木の剪定枝等の活用について

人類史上初の原子爆弾投下により、焦土と化した被爆地広島は、70または75年間は草木も生えないと言われてきました。その中で被爆をしながらも生き抜き、また守られてきた被爆樹木が被爆地広島にあります。また、供木運動によって市民と県内市町村から寄贈された樹木を初め国内外から贈られた寄付樹木が、本市には多くあります。被爆樹木は、爆心地からおおむね半径2km以内に160本ほどあり、そのうち82本を本市が所有管理しており、その管理は各所管課が行っていますが、一般的な街路樹等に行う選定等は行ってないと伺っております。

一方で被爆樹木の保存、継承の一環として、全ての被爆樹木に対して、経過観察を目的としたモニタリング調査を定期的に実施するとともに、市所有の被爆樹木で緊急に緊急の対応が必要なものについては、樹勢回復措置が講じられているとも伺っております。その被爆樹木の樹勢回復措置で出た選定枝等は、平和を伝え、語り発信する他にはない貴重で大切な木材であると考えます。平和記念公園内にあるレストハウスのショップ等では神社の敷地に生きる被爆樹木のクスノキの剪定しを活用したボールペンを初め、ネクタイピンキーホルダーなどが販売されております。

被爆地の長崎では、ミュージシャンの福山雅治氏が長崎市から提供された被爆樹木のクスノキとザクロの剪定枝を活用し、被爆樹木キーホルダーを作成し、平和の願いを込めた取り組みを展開されております。また広島大学は、被爆樹木のシダレヤナギなどの剪定枝の木材を一部に使用して制作された弦楽器のバイオリン、ビオラ、チェロを所蔵し、その楽器による演奏でコンサートなど開催されてきました。

ある新聞記事に、「生きて樹、伐られて木」との木工工芸の人間国宝である川北亮造氏の言葉が紹介されておりました。木は生きていて、伐採されてなお、そこから木としての新しい生命が始まるという意味だそうです。広島市では、国内外から届けられる折り鶴の活用策である、折り鶴に託された想いを昇華させるための方策について、折り鶴起草者や市民の理解を得て折り鶴再生紙として活用する新たな取り組みが進んでまいりました。そこでお伺いいたします。被爆樹木は、平和を伝え、発信するもの言わぬ商人として被爆の実相を語り続けています。その被爆樹木の剪定枝等は他にはない貴重で大切な木材であり、その活用策を検討してはどうかと考えますが、本市のご見解をお聞かせください。

市民局長:
議員ご紹介の通り、被爆樹木の剪定枝を活用した商品化等の取り組みは、被爆樹木の更なる周知を図り、日常生活の中で平和について考え行動する平和文化を市民社会に根づかせ、平和意識の醸成を図ることに資すると考えられることから、今後所管局と協議を進めてまいりたいと考えています。

広島平和記念資料館のピースポストについて

被爆地広島は、国内外から多くの人々が訪れています。その中で被爆の実相に触れ、様々なことを感じ、現代では個人個人がSNS等でその思いを写真・動画とともに発信できる時代となりました。そのような中、改めて見直されているのが手紙文化です。広島平和記念公園の正面横には彫刻家の圓鍔勝三氏の作品が上部に載った平和記念ポストがあり、そこには「郵便は世界を結ぶ」「平和と友情のために」との言葉が刻まれています。電子メールやSNS等の普及によって、手書きによる手紙やはがきは、今まで以上に人のぬくもりなどを感じるツールとなっております。

その郵便文化は、「平和と友情のために」との言葉があるように、人と人を結ぶ大切なツールです。郵便物には切手が貼られ、そこには消印が押されます。フィンランドのサンタクロース中央郵便局では、限定の消印によるサンタさんからの手紙が届くという取り組みが有名ですが、日本の郵便では一般的に使用されている普通日付印の他に特別日付印という消印があります。その特別日付印の中には風景入り通信日付印というものがあり、一般的に風景印と言われておりますが、各地にゆかりのある風景や名所などを描いた絵柄入り日付印で全国各地ではこの風景印を扱っている郵便局が多くあります。広島県内では例えば広島蟹屋郵便局がマツダスタジアム、音戸郵便局が音戸大橋の絵柄を使用しています。また、鳥取県の境港市では市内に数ヶ所に設置してある妖怪ポストに投函すると、ゲゲゲの鬼太郎に関する風景印の消印が押されます。風景印のファンやコレクターのみならず、特別な消印は多くの方に喜んでいただける取り組みだと思います。そこでお伺いいたします。

G7広島サミットを本年5月に終え、その後広島平和記念資料館等へは国内外から多くの人々が訪れています。広島平和記念資料館の館内には「ピースポスト」との名称で、郵便ポストが設置してあり、このポストに投函した絵はがきには特別な消印として原爆死没者慰霊碑と原爆ドーム、そして紅葉と、広島城が一つの絵柄となった広島中央郵便局所有の風景印が押され、配達されています。しかしこのピースポストの存在は、知る人ぞ知るポストとなっており、また投函するには、切手が必要ですが、資料館内のショップでは、いくつかのポストカードの販売があるものの、切手の販売がされておりません。広島平和記念資料館等を訪れ、被爆の実相に触れたお一人お一人は広島を語り伝えていく平和のメッセンジャーであり、その思いを発信できる貴重なツールの一つが、このピースポストの利用であり、来館者の方々が利用しやすくする必要があると考えます。それらの意味において、ピースポストの存在を、修学旅行で訪れる学校を初め、広島の情報を発信するウェブサイトなど、国内外の方に広く広報周知し、またピースポストの設置場所や取り組み内容も含めて、このピースポストが利用しやすい環境作りに取り組んでいただけるよう、日本郵便と連携し協議をしていただきたいと思いますが、本市のお考えをお聞かせください。

市民局長:
ピースポストは平和記念資料館来館者が見学した感想や平和への思いをポストカードに書き記し家族などに投函することにより、発信者自らに平和に関する理解を深めてもらうとともに、受け取った人々にも広島の思いに触れていただくため、平成18年に広島平和文化センターが設けたものであり、現在平和記念資料館の東館1階に設置されています。資料館を見学いただき、それぞれが抱く平和への思いを主体的に発信していただくことは、市民一人一人が平和について考え行動する平和文化の振興に資するものであると考えており、今後ピースポストが多くの方に利用されるよう、事業主体である広島平和文化センターや日本郵便と協議してまいりたいと考えています。

平和宣言について

有田優子議員(南区/市民連合・市民の声)

G7サミットが広島市で開催され、広島ビジョンが発出されました。広島ビジョンにおいては、安全保障政策は、核兵器はそれが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、並びに戦争および威圧どうぞ防止すべきとの理解に基づいているとの記載が入りました。

多くの方が指摘されているように、この文言は核抑止力を肯定していると言えます。この広島ビジョンについては、被団協を初め、多くの市民団体が抗議をされるなど、広島市民の間でも、こうしたビジョンが広島の地で発出されたことについては、大きな衝撃であったと感じます。

市長は十分にご承知のことと思いますが、広島市は、他の自治体にはない唯一無二の特徴があります。それは、恒久平和を象徴する平和記念都市として建設されることが法律によって義務付けられていることです。広島市は、原爆によって廃墟と化した際、戦後、国に対して、国有地の無償譲渡など、復興のための補助を請願しましたが、多くの都市が戦争で被災している中、広島市だけに特別な配慮はできないという理由で、特別な財政援助がなかなか受けられませんでした。

そうした中、憲法95条に書かれている一つの地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票において、その過半数の同意を得なければ、国会はこれを制定することができないという条文を根拠に、当時の浜井市長を初めとする政治家や市民の努力で広島市だけに適用される特別な法律として、1949年8月6日に平和記念都市建設法が施行されました。

そして、この法律を根拠に国からある意味で特別な手厚い支援を受けて、復興を果たしてきました。世界最初の被爆地であり、また多くの無辜の市民が、熱線で焼かれ、放射能障害に苦しんでいる。歴史を持つ広島市は、こうした復興の背景もあり、世界恒久平和と核兵器廃絶を強く訴える責務があると考えます。

さて、先ほど述べた通り、G7、広島ビジョンが核抑止を肯定した中、今年の市長の平和宣言は、例年以上に注目をされていたと思います。平和宣言で、市長は、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視すべきと言われました。また、日本政府には一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるよう訴えられました。このたびの平和宣言については、率直に良かったと評価する声を多数お聞きしているところです。繰り返しになりますが、広島市は市民社会の代弁者として、核廃絶を訴え続ける責務があると考えます。今年の平和宣言には、どのような思いを込められたのでしょうか?市長にお尋ねします。

市長:
被爆から長い年月が経過し、自らの被爆体験を語り、核兵器の使用は人類の破滅と文明の終末を意味すると訴える被爆者が年々少なくなる中、毎年平和宣言は、被爆者の自らの体験を踏まえた訴えを世界の人々に広め、次世代に伝え、そして平和への思いを市民社会全体の共通の価値観にしていくことがますます重要になっているとの思いで作成しているところであります。ウクライナ戦争の終息が見込めない中で行った今年の平和宣言は、多くの為政者や世論までもが核兵器が存在することを前提にした上で、安全保障政策を論ずるようになっている現下の流れを変える必要があると考え、各国の為政者に対し、今や核抑止論が破綻しているということを強調したところです。

とりわけ、今回のG7広島サミットに参画し、平和記念資料館の視察や、被爆者との対話を経て、核兵器のない世界への思いを、芳名録に記入された各国の首脳には、核兵器のない世界の実現に向けて具体的に行動してもらいたいとの思いを強くしたところであります。

また、市民社会ではそうした為政者の行動を後押しするために、世界中で「平和文化」を根づかせる取り組みが広がるよう、被爆地広島から強く訴えるものにしたいと考えました。その際、被爆者の平和への思いを、世界中の、特に若い人々に知ってもらい、次世代に引き付けるようにすることが重要であるため、引き続き、被爆の実相に関する本市の取り組みを拡充していく決意を示したところであります。

本市としては、G7広島サミットの開催により、本市が平和を体現する都市として世界中で認知度が高まったこの機会を捉え、今年の平和宣言で表明したように、世界166カ国地域の8200を超える平和首長会議の加盟都市とともに、市民レベルでの交流を通して、「平和文化」を世界中に広めるとともに、次世代への被爆体験の継承の取り組みを強化することにより、平和を願う私達の総意が為政者の心に届き、武力によらず平和を維持する国際社会が実現する環境作りを目指したいと考えております。その他の質問については、関係局長から答弁いたします。

平和教育プログラムについて

有田議員:
終戦から78年が経過し、被爆者の高齢化が進む中、子供たちに被爆地ヒロシマの心を伝承していくことが、大切な取り組みであると思います。本市では、2013年度から平和教育プログラムを実施しています。かつては、原爆投下の時刻を正確に覚えていない子供が増えているとも言われる中、この平和教育プログラムがスタートしたと思います。私が通った小中学校では、8月6日には児童各自が自主的に平和公園に行き、平和記念式典に参列することが習慣になっていました。

学校や教育委員会から言われるわけではなく、あくまでも自主的な取り組みとして位置づけられていたと思いますが、私を含め多くの同級生が当たり前のように平和記念式典に参列しています。だから、また家族や親族、あるいはご近所の方にも、戦争体験者や、被爆経験者がたくさんいらっしゃり、プログラムにしなくても、身近なところに、戦争の恐ろしさや核兵器がもたらす悲惨さを知ることができる機会がたくさんありました。

平和教育プログラムとしてカリキュラムに組み込むことは、市教育委員会の取り組みとして、評価しますが、本市の平和教育の目標は、広島の被爆体験を原点として、命の灯とさと、一人一人の人間の尊厳を理解させ、国際平和文化都市の一員として世界恒久平和の実現に貢献する意欲や態度を抑制する、育成することと、6月定例会でも答弁をされています。まさにその通りであります。教室内での学習も必要ですが、被爆体験者の証言を聞く機会や民間団体の取り組みに参加するなど、多様な形で広島の心に触れることを重視していただきたいと考えます。お聞きしたところでは、平和教育プログラムは、各学年で年間3時間ほど学習時間を設けており、その際、「ひろしま平和ノート」を活用しておられるとのことでありますが、当然、この3時間の学習にとどまらず、被爆者や被爆体験継承者の方から直接体験をお聞きすることや、市民団体との交流なども各学校が取り組まれているともお聞きしています。お尋ねします。こうした被爆体験をお聞きする機会は、平和教育プログラムにおいて具体的にどのように取り組まれているでしょうか。

さて、このたび、平和ノートの改訂が10年ぶりに実施され、大きな議論になっています。先ほどもご紹介しました、本市の平和教育の目標である広島の被爆体験を、原点として、命の尊さと、一人一人の人間の尊厳を理解させ、国際平和文化都市の一員として、世界恒久平和の実現に貢献する意欲や態度を育成するとあるように、広島の被爆体験を原点とする事実がとても大切だと思います。また、こんな思いを二度と誰にもさせてはならないという広島の心を伝えていく、これが広島市の平和教育の姿で、あるべきだと考えます。市民からも、アメリカの原水爆実験で犠牲者が発生し、国内での3度目の被ばくとも言われるビキニ環礁における第五福竜丸の乗組員の方のインタビューが削除される代わりに、各国の核弾頭の保有数、NPT再検討会議の記事に差し替わったことなどには違和感があるとの指摘があります。

ひろしま平和ノートが、本市独自の副教材であることを踏まえると、その内容は、より広島らしく、ヒロシマの心を反映させたものであるべきだと思いますが、どのような考え方で、平和ノートの改訂を行ったのか、お尋ねします。

教育長:
(被爆体験を聞く機会について具体的にどのように取り組んでいるのかについて)
本市においては、次代を担う子供たちに、被爆体験の確かな継承を図ることを目的に、平和教育プログラムの一環として、平成7年度から被爆体験を聞く会を行っています。具体的には、各学校が被爆体験証言者や被爆体験伝承者被爆者に関わった体験を持つ方などを講師として招聘し、平和集会等で講話を聞いた後、子供たちが自ら平和への思いを発表したり、講師へ手紙を書いたりする学習等に取り組んでおり、令和4年度は幼稚園19園、小学校85校、中学校29校、高等学校5校で実施しております。また、将来にわたって本市の子供たちが被爆の実相に触れることができるよう、平成20年度から学校で開催された被爆体験を聞く会を映像記録としてDVDに保存する取り組みを進めており、今後はこうした取り組みをさらに充実させていきたいと考えております。

(ひろしま平和ノートが、本市独自の副教材であることを踏まえると、その内容は、より広島らしく広島の心を反映させたものであるべきだと考えるが、どのような考え方で平和ノートの改訂を行ったのかについて)
本市の平和教育では、子供たちが被爆の実相と復興の歩みを確実に理解し、平和に関して自分の考えを持ち、それをもとに行動できる力を身につけることができるよう取り組んでおり、児童生徒の発達段階ごとに知る、考える、伝えるという学習をより効果的効率的に行うための独自教材として、広島平和ノートを作成しています。こうした中で、このたび改訂したひろしま平和ノートでは、できるだけ最新の情報を盛り込むことに加え、子供の発達段階に応じて、よりわかりやすいものとすることなども考慮し、新たな被爆者のエピソードを素材とした学習や核兵器を巡る世界の現状から、自分にできることを考えさせる学習、平和への思いを英語で表現する学習を盛り込むなど、継承と発信をより一層推進するための見直しを行っております。引き続き、こうした方向性を大切にしつつ、本市独自の平和教育の一層の充実を図ってまいります。

核兵器廃絶と恒久平和へ向けた取組:TPNW第2回締約国会議について

石橋竜史議員(安佐南区/新政クラブ):
TPNW核兵器禁止条約について伺ってまいります。我が国の最新となる令和5年版防衛白書にも冒頭にけ、国際社会は、生後最大の試練のときを迎え、新たな危機の時代に突入しつつあるとの表記が物語るように、現在、世界の安全保障は混迷を極め、我々は戦後にあらず、新たな戦前とも呼べる局面、その只中で日々を送っています。

思えば、知性と創造力を有する人類が軍拡競争の果てに待ち受けるカタストロフィ、劇的な結末を描くのもまた人類であり、そこで人類の行く末を占うと表現しても過言なき、核兵器を取り巻く情勢にまずは迫ってみるといたします。

近年では、幾度か歴史の動いた瞬間が訪れており、その最たる例が、人々の記憶にも新しい、2016年、バラク・オバマ氏の広島訪問や、2021年、核兵器禁止条約の発効となりますが、これが時代の節目の中でも、かつてここまで核兵器や核軍縮の関連報道が我々の耳目へ届けられた前例はあったであろうかと感じられたのが、先に閉幕したG7広島サミットでもありました。

無論、このたびのサミットで、核軍縮に強く焦点があてられた背景には、現在進行形のウクライナ危機があり、思えばあの、世界に衝撃を走らせたロシアのウクライナ侵攻からおよそ1年半が経過するも、ウクライナの反転攻勢は苦戦を強いられ、選挙は出口の見えぬ長期化の様相を呈しています。

これまで、一般市民の死者は1万人に迫り、戦火によって世界各地に発生するウクライナ難民は、今なおおよそ620万人に及ぶなど、現地では尊い一つの命が、また、温かい家族の営みが、不条理に奪われ続けているのが実情で、彼の地に生じる批判と憤怒の連鎖はいまだとどまるところを知りません。

そして、不肖なる私などは、海外の報道をカメラが捉えた無辜なる市民の涙また、新聞紙面にて記号化される者の数に、どこか慣れてしまっている自分にふと気づかされ、自省の念に駆られながらも、国際平和文化都市に住まう一人の市民として、わずかでも何かを前進させたく、本日この場に臨んでいる次第です。

ともかく、当該国のロシアを始め、依然北東アジアに緊張を走らせる北朝鮮などの強権国家が、核の恫喝によって求める現状変更、そのエスカレーションに世界が振り回されては人権が蹂躙されており、なぜ近代社会にあって、一権力者がいとも簡単に、こうも国際法や国連憲章を破ってしまえるのか。

まずもって、国連自体が安保理の常任理事国P5による核の威嚇を用いた侵略行為を想定しておらず、こうした構造的問題の中枢には、言わずもがな、およそ80年もの間、核兵器が鎮座していることから、さっきのG7サミットでは、5月19日付で、核軍縮に関するG7首脳広島ビジョンが発出されました。

内容に目を向けますと、各国とも、核廃絶の壮大なる理想は共有しながら、一方では緊張の高まる、自国の安全保障を現実と捉えた上で、核抑止に重点を置き、根幹に据えられたのは、ビジョン内に幾度も登場するNPT核兵器不拡散条約でした。

ならばと、言い尽くされたNPTの功罪をあえて取り上げますが、条約発効から既に半世紀を経てなお、核保有国へ義務付けられた「誠実に核軍縮交渉を行い、かつ完結させる」約束は、関係各国のリーダーが変わるたびに流転し、ときに締約国が脱退すれば、かたや非加盟国が核開発を進め、実際、保有にまで至っています。

また近年の再検討会議でも、最終的な合意文書が不採択の連続で終わっているのはご承知の通りで、先に閉幕した準備委員会にせよ、広く支持を集めては、最終的に合意を取り付けるため、肝心要の内容が次々と骨抜きで、当たり障りなき総花となるなど、展開のみえぬ閉塞感は、NPTの大きな課題となっています。

我々はとかく米国との同盟関係もあって、あらゆる事象を西側諸国の立場から見る傾向がありますが、一たび中立の見地からNPTを俯瞰すると、例えば米国は、いわゆる法の目をくぐるがごとく、など、北大西洋条約機構において、核保有性の同盟国の国境をまたぎ、広範に渡って核兵器を配備しています。

さらに、中東外交において鍵を握る友好国イスラエルが、NPTの条約発効後も未加盟を続け、結果、核兵器の保有に至るも、それは公然の秘密と呼ばれるなど黙認状態が続き、かたや反米国家とされるイランには、核兵器の製造に至らぬよう、強い査察体制を求め、未だ仲介するEUを挟んでは、綱引きの状態が続いています。

ただ今の例示は、欧州や中東の安定を図る戦略とはいえ、このあたりも、NPTが不平等条約と糾弾される所以の一つであり、補足まで私は虚心坦懐にNPTを考察したいだけで、同条約を否定する立場ではありません。ひるがえれば、TPNW核禁条約の締約国会議と違い、核軍縮や現存する軍備の管理に向けて議論するにあたって、核保有国と非保有国が同じテーブルに着ける好機は、NPT最大の強みと言え、また条約の発効後より、冷戦期、冷戦後を含め果たしてきた最大限の核不拡散は、歴史上でも高い評価に値すべきものです。

どちらにいたしましても、種々、こうしたNPTの抱える諸課題までも補完しうる条約として、後に発行されたのが核禁条約であり、繰り返せば、国民の命を守る重大な責務を各国の首脳は、コーナーストーンとの単語を用いられ、NPTを、つまりは核抑止を、理想への礎石に据えられました。つきましては、本市がもう一方の要となる核禁条約を発揚させる、その役割を担うべく、ここに伺います。

本年11月にニューヨークで開催される。核兵器禁止条約の第2回締約国会議が迫ってまいりましたが、世界的にも注目が集まる貴重な会議の開催に当たり、広島市としては、いかなる訴えを届けるのか、ここにお聞かせください。

市民局長:
(本年11月に核兵器禁止条約第2回締約国会議が開催されるが、広島市としてどのようなことを訴えていきたいかについて)
本年11月から開催される今回の核兵器禁止条約第2回締約国締約国会議には、松井市長および鈴木長崎市長等から成る平和首長会議代表団を派遣する予定です。会議の詳細については未だ発表されていないため引き続き情報収集していく必要がありますが、国連や各国政府関係者に対して、スピーチや個別の面会を通じて非人道的な結末をもたらす核兵器に対する強い懸念を訴えるとともに、締約国に対してさらに批准国を増やし、同条約の実効性を高めるための議論を進展させるよう要請し、具体的な核軍縮の進展を求めていきたいと考えています。また、同会議の会期中に会場内で、広島長崎の被爆の実相や核兵器の非人道性を伝える平和首長会議原爆展や、他のNGO等と連携したサイドイベントを開催し、会議参加者に、核兵器廃絶以外に根本的な解決策を見いだせないというヒロシマの心を理解していただけるよう力いただけるような機会を模索していきたいと考えています。

平和首長会議について

石橋議員:
次に平和首長会議について伺います。国家に頼りきり、しかしひとたび戦時に陥れば、いつも多大なる被害に見舞われるのは都市である故、そこで世界の都市で国境を越えて連帯し、ビジョンを共有、核兵器廃絶をはじめ、社会の抱える諸課題の解消へ取り組み、世界の恒久平和を実現することを目的として、41年前に誕生したのが、平和首長会議となります。

加盟する都市はその数、世界で8000を超え、現在は2020ビジョンの後継となるPXビジョンを掲げ、2021年から2025年の行動計画に取り組む最中にあります。顧みれば、このキャンペーンの転換点に私は本会議において、県からは核廃絶の目標年次を2045年になどの声も聞かれるが、こんなにも被爆者の方々を失望させる物言いはない。一方、目標を掲げるからこそ、そこで初めて努力をすればたどり着ける絵を描け、行動変容に繋がるので、2020から次の目標人数を掲げてほしい旨発言をいたしました。当時はそこへ答えるのは難しい答弁を頂戴したのですが、この数年間で、世界情勢は急変を遂げています。

そこで、複雑に交錯する周辺国をいくつか取り上げれば、まず核の脅しで、隣国を侵略するロシアは、日本国のおよそ45倍を誇る広大にある土地と国境ラインを最も効率よく防衛するにあたり、そこに加え、ユーラシアの国家が次々と民主化へと染まる中で、自国独自の体制を保つためにも、過去より先鋭的に核開発を進め、大量に保持、実戦配備してきました。そして現在、核兵器の近代化計画を遂行しては、隣国のベラルーシへ核配備まで進めています。

そして近頃、軍事協力などを念頭に、北朝鮮との距離を縮めておりますので、次に北朝鮮へ目を移せば、昨年、核の使用は他国への報復のみであった法令を無効とし、先制使用も可能改定しては、多弾頭型や極超音速型など、迎撃が難しい戦術核の実験開発を日々加速させているのはご承知の通りです。

続いて中国は、これまで各政策においては、先制不使用を明言するなど終始、歴史的にも、自己抑制的な立場をとっていましたが、近年は明確に態度を変容させ、物理的にも、核インフラの整備が著しい進捗を見せています。例えば、大量兵器を格納する300ヶ所に迫る地下サイロに加え、プルトニウムを生成する増殖炉の建設を進めては、順次本格稼働させる運びにあり、そうなると、年間に100発以上の核弾頭を製造できる体制が整い、このままでいくと、核の均衡においても、米ロに肩を並べてくることは間違いありません。

あの冷戦期より確実に減少していた核兵器が、各国による戦力の近代化と拡大を進めた結果、昨年は運用可能な核兵器が増加に転じ、今後も増え続けるトレンドにあることから、ストックホルム国際研究所は、世界は危険な局面に入りつつあると、今時分大きく警鐘を鳴らしています。

そこで本国に迫ってみれば、過去に岸田総理も核禁条約交渉の場に、日本は加わるべきとの考えを政府内で示されながら、様々な関係者から諌められ、実現に至らず、こうした事実背景が、総理自身も口にされる。核廃絶へ向けては急がば回れの精神で臨むが肝要との現行スタンスに繋がっていることは想像に難くありません。

しかし、単純に比較対象とする意味ではなくても、せんだって、後進に道を譲られた平和行政の多大なる功労者、長崎市の田上前市長は、被爆者の方々の年齢も熟慮した上で、核廃絶の目標へ向かい、一貫して我々は最短距離を歩むとの活動を重ねてこられました。

他方、このたびのG7広島サミットでも、世界中の市民社会組織が集まる公式団体civil7からは、核廃絶へ向け、具体なプロセスを目標年次を示してほしい声が特に多くの若者を中心に発せられ、私にせよ、躍動する次世代の楽しさを実感した次第です。そこで伺いますが、平和首長会議としても、核兵器廃絶に向けた緊急提言として、まずは目標年次を改めて設定、打ち立てるべきかと存じますが、本市のご所見をお聞かせください。

続いて、不遜を承知の上で、端的な物言いをいたしますと、核抑止に頼る各国が自国の安全保障、核所以の手段でまかなえると確信を持てば、廃絶に向かう可能性は高まるであろうと、あくまで理論上では構築されます。しかし現在、このような理論を空論では終わらせないと。県の広島イニシアティブでは、核抑止に代わる安全保障政策や核軍縮の具体策を提案する機関や専門家を後押しする活動を展開しており、他にも長崎大学核兵器廃絶研究センターでは、核抑止に依存しない安全保障の枠組み・構築等に貢献できる研究や提言に注力されています。

こうしたアクションは、かねてより世界規模で地道に構築されながら、いまだかつ確立には至らず、いずれにいたしましても、現在世界が安全保障を取り巻く趨勢として行き着く場所は、核兵器廃絶は究極の理想であるが現実は今ではないと、ここへ集約されてしまいます。

ならばと、フラットに実情へと迫ってみますが、今般、核兵器が使用される蓋然性は絶対的に低いとどれだけ見積もられても、まずは存在する限り、意図的、偶発的を問わず使用の可能性は必ず残されます。思えば、人類はあの宙に舞うスギ花粉よりも小さな新型ウイルスと対峙したときも、ひとたび感染発症すれば、当初は患者を病院へ収容することさえ困難を極めた。そんな現代社会の脆弱性を覚えていらっしゃるでしょうか?

地球の存亡さえも脅かす破壊力を持つ戦略核はもちろんのこと、使える核兵器と言われる小型化された戦術核であっても、ひとたび使用や爆発に至れば、全身に大量の放射能を浴びた負傷者の治療に、どこの国のどの医療体制が迅速に当たれるのでしょうか?そもそも、大量の放射能に汚染された戦地へ可及的速やかに、いかなる規模で救助へ向かえるというのでしょうか? 付言いたしますと、各国の軍備における先端は既に宇宙、サイバー、AIなどのフェーズに入って久しく、2014年のクリミア併合の時点でも、ロシアはサイバー空間を利用したハイブリッド戦を強いるなど、国家間におけるサイバー関連の侵害行為は年々急増しています。

国際法の適用も難しく、攻撃側が圧倒的に優位なこの世界では、単独国家での防衛も難しいのが実情で、また、核保有国の指揮にあたる統制は、国々により、程度の差はあれ、監視に偵察警戒など、地上の通信基地と人工衛星のユニットを含めた宇宙システムに支えられています。

しかし、サイバー攻撃に対する核戦争の防衛網は、いまだ脆弱性をはらんでいるからこそ、ロシアや中国はこの分野を米国のアキレス腱と捉え、早々に宇宙兵器の研究や開発を進めてきたのは周知の通りです。改めて、核抑止とは、登場するキャストが合理的に物事を考える状況を前提としており、非合理的な政治を算段しない、破綻した理論であれば、一方、意図的のみならず、システムの誤作動やサイバー攻撃など、偶発的な核使用にしても、一連の有事に核の傘が介在する余地は微塵もありません。

リスクの発生にそこへの防衛は秒単位の争いであり、核抑止が国家間の対戦を防いできたというのは、立証ではなく、あくまでも解釈であって、これ以上過ぎると、元の場所には戻れない回帰不能の場所や状況を、ポイントオブノーリターンと言いますが、そんな時点人類が踏み入れる前に、今こそ、国境を越えて連帯する都市の行動が求められています

そこで伺いますが、今や、加盟都市が8200を超える平和首長会議としては、このネットワークを最大限に活用した上で、どのようなアプローチを用いて、核兵器廃絶を実現しようとしているのかお聞かせください。

市長:
核兵器廃絶と恒久平和へ向けた取り組みについてのうち、平和首長会議のネットワークを活用したアプローチについてのご質問がございました。

核兵器の廃絶を実現するためには、世界中の為政者が、被爆の実相と核兵器の非人道性を十分認識し、核抑止政策に頼らないという大きな決意をする必要があります。そのため、平和首長会議では、市民の安心で安全な生活を守るという責任を負っている世界の166カ国・地域の8200を超える加盟都市の首長が、党派を超えて、各国政府関係者等に働きかけるとともに、国連経済理事会のNGOとして登録されている立場を活用して、NPT再検討会議など、核軍縮に関する国際会議の場で発言の機会を得て、直接、世界中の為政者に、核兵器のない世界の実現に向けた具体的な行動を要請してきたところであります。

一方で、そうした為政者の行動や、政策転換を後押しするためには、為政者を選び、支持する側の市民社会において、平和意識を醸成し、核兵器のない真に平和な世界の創造に向けた思いを国際社会の総意まで高める必要があると考えています。そのためには、市民一人一人が日常生活の中で平和について考え行動する「平和文化」を市民社会に根づかせ、平和意識を醸成していくことすなわち「平和文化」の振興を図っていく必要があり、これこそは、市民に最も身近な存在である自治体の首長により構成される平和首長会議が今後果たしていくべき最も重要な役割であると考え、世界中の加盟都市とともに加盟都市と共有するPXビジョンの三つ目の目標として、「平和文化」の振興を掲げているところであります。

今や世界的な平和都市のネットワークへと発展した平和首長会議としては引き続き、1万年を目指して加盟都市の拡大を図りつつ、加盟都市とのネットワークを最大限に活用しながら、市民レベルでの交流を通して「平和文化」を世界中に広めることにより、平和を願う市民社会の総意が世界中の為政者の心に届き、核兵器のない、真に平和な国際社会が実現する環境作りに貢献していきたいと考えています。その他のご質問については、関係局長から答弁いたします。

市民局長:
(平和首長会議として核兵器廃絶に向けた緊急提言としてまずは目標年次を改めて設定するべきではないかについて)
平和首長会議は、令和3年に策定したPXビジョンでは、核兵器のない真に平和な世界の創造に向けた思いを国際社会の総意に高めることを目指し、「平和文化」の振興を目標に掲げたところであり、加盟都市が8200を超えてはいるものの、1万都市にも達していない現状においては、この目標年次を定めることさえ難しい中、前例に倣って核兵器廃絶の目標年次を定めることは、一刻も早い核兵器廃絶を訴えられている被爆者の方々に不誠実な対応するということにもなりかねません。したがいましてPXビジョンに掲げている目標の実現に向け、ビジョンのもとで取り組む具体的な内容を行動計画に盛り込み、取り組みの成果を確実に上げることにより、核兵器の廃絶に向けた環境作りを着実に進めていきたいと考えています。

平和記念式典について

石橋議員:
では次に、平和記念式典について伺います。なにもG7サミット、広島開催のように稀有なる機会ばかりが物事に変化を及ぼす契機にあらず、世界各国から要人を招きしては、市民の方々とともに挙行されます平和記念式典にしても、広く世界と結ばれる極めて大切な機会であるとともに、世界を動かす好機であることに疑いの余地はありません。

余談ですが、私が初めて市議会議員として、平和記念式典に出席しては、間近に式典の全貌に触れた際は、正直、洗練された構成に感嘆いたしました。手前味噌で恐縮ながら、私は、オリンピックやサッカーワールドカップ関連など5万人の観客を前に、いわゆるライブイベントにおいて、何秒刻みでコメントや演出をミスなくこなす世界へ長年にわたり身を置いてきた一人ですが、先述の通り、本市の平和記念式典、およそ50分間の全体構成、その完成度の高さを目の当たりにし、加えて司会進行をはじめ携わるスタッフにせよ、市職員が担当されていることにも驚きを隠せませんでした。

閑話休題。ある手本論へと戻せば、過去の本会議でも私は一貫して口にしてまいりましたが、人類の頭上に3度目の原爆投下を防いできたのは、何より心に追われた際、深い傷を再び一度開いては、こんな思いは二度と誰にもさせてはならないと、子孫の世代のため、訴え続けてくださった被爆者の方々のおかげに他なりません。

しかし、ご労苦を重ねられた方々の平均年齢は今年85歳を迎えられ、誠に悲しくも現実として、いつか被爆者の方々の肉声が後世の耳へ届けられないときが訪れてしまいます。数十年前の平和宣言より連綿と継承されます我々の責務、ヒロシマの声を世界へ、核兵器廃絶と恒久平和を実現する。この普遍的な変わらぬ命題を成就させるためには、時代や世界情勢に応じて我々が変わり続けなければならず、平和記念式典につきましても、ここにいま一度現行のままが最良なのか、即時の変更云々は別にしても、まずは協議のときを迎えているのではないでしょうか

核禁条約の発効に向けても、多大なる尽力をされたカナダ在住、サーロー節子さんは本年8年ぶりに本市の式典に出席された後、報道陣に次の言葉を残されました。

「被爆者の方々はどんどん亡くなっていらっしゃいます。その最後の一人まで、被爆者の人たちの発言に敬意を表してはいかがでしょうか? きっとあの人たちは心の底から訴えたいものがあると思います。そういう機会をぜひ作ってほしい」と。

8月9日に挙行される長崎市の平和記念式典は、全体を65分間で構成されていますよ。まずは開式前、コーラス・バイ・ア・ボム・サバイバース、被爆者の方々による合唱から始まります。そして開式後、およそ20分が経過した後、市長による平和宣言が行われ、続いて平和への誓いとして、被爆者の方が、時間にして9分間ほど喋られるのですが、表現は誠に不穏当ながらも事実、ご当人の経験に勝るものはなく、しかもライブにて、当時の人間模様、被爆の実相がリアリティと臨場感を伴い、聞き手の胸に迫ってまいります。

本市の平和記念式典につきましても、長年にわたりその時々の曲折を経ては、現行の式典スタイルになっていること、また、多様なるご要望があった過去も重々承知しながら、私は長崎で生まれ、トロントでも暮らしていたので、サーローさんの声を届けた上で、ここにいま一度伺います。

時代も移ろい、世界の社会情勢も千変万化を遂げれば、被爆者の方々も年齢を重ねられる折、長崎平和祈念式典の平和への誓いのように、式典の中で被爆者の方が発言する機会を設けていただきたいと熱望するものですが、本市のご見解をお聞かせください。

市民局長:
議員ご提案の被爆者自らが発言する機会を平和記念式典に設けることについては、現在の本市の式典プログラムが戦後、長期間かけて関係者との協議などを経て固まってきたものであり、これ以上、式典の時間を延ばすことは困難であると考えられるとともに、昨今の酷暑の中、高齢化している参列者に、屋外で長時間にわたる出席を強いることになることについては慎重にならざるを得ないと考えています。

平和記念資料館について

石橋議員:
では続いて、平和記念資料館について伺います。まずもって、私は議員になる以前より、一人の広島市民として決して忘却してはならないと、定期的に平和記念資料館に通っておりました。重ねて、ここに臆面もなく吐露いたしますと、幾度も資料館に足を運ぼうとも、順路の中盤から終盤にかけて、必ず私は涙が止まらず、変に大きな嗚咽を伴うものですから、周囲からの目を気にしては、いつも懸命にハンカチで口を押さえながら、体感しているのが実際です。つきましては、品行を欠いた表現となりますけども、事実として、同資料館を訪れ、応分の時間を費やし、いくつもの展示物と語り合った後に、核の発射ボタンを押せる人間は存在しないと、私は慎んで断言できます。

ゆえに過去の一般質問でも、広島では世界文化遺産の宮島と平和公園を訪れるツーリストが圧倒的に多いにもかかわらず、宮島から戻ってきては資料館へ向かうも、冬場にせよ、閉館時間が非常に早く、閉館時間を延長すべきとの提言を行いました。加えて同資料館は、夏場は長く、冬場は短く、季節ごとに閉館時間をアレンジされていますが、ここに毛色の違う国内外の美術館を持ち出して恐縮ながらも、こうした施設は年間を通じ、週末に閉館時間を延長しては、中には月1で入場無料の曜日を設定し、その際にイベントを催すなど多様なる形態で運営をされています。

改めて平和祈念資料館に話を戻しますと、本年8月6日の新聞各紙では、平和資料館、国を超えて共感/入館者最多ベース、サミット翌月5万人超えなどなど、G7サミット効果により、国内外から多くの来館者が訪れている模様が報じられました。そこから時系列では、世の中にお盆休みが訪れますが、今度は一転、新聞紙面には、原爆資料館大混雑/入館に2時間待ち、本館の下に400mの列などなど。せっかく遠方より足を足を運んでくださりながら、暑さも伴い、行列の途中、平和公園をあとにする人が幾人もいらっしゃいました。

そこで伺います。本年8月には、資料館への入館2時間待ちなどの構造に触れましたが、一人でも多くの方に被爆の実相に触れていただくため、何か対策を講じてほしいと切に願うのですが、本市のご所見をお聞かせください。

市民局長:
本年5月のG7広島サミット5これまで以上に平和記念資料館への関心が高まり、来館者が増えることが予想されたため、サミット閉幕の翌日から8月末まで開館時間を1時間延長したところですが、8月中旬に長時間の入荷長時間の入館待ちが生じたことから、当面可能な対応として、チケット販売窓口職員の増員や、入館待ち時間の資料館ホームページでの広報など対策を講じたところです。この対策により一定の効果がありましたが、待ち時間の解消には至っていないことから、来年度に向けて更なる対応策を考えていくこととしております。

平和記念公園(原爆供養塔納骨名簿)について

石橋議員:
続いて、平和記念公園にからめ、原爆供養塔納骨名簿について伺います。冒頭にも触れました通り、2016年の5月、当時現職の米国大統領として初めて、オバマ氏が平和記念公園を訪れ、この歴史的な一幕を契機とし、その後、平和公園や資料館を訪れる人々が右肩上がりに増加いたしました。

巷では、小浜効果だと取り沙汰され、もちろんその効果はてきめんながら、事実、増加要因の背景にはかねてより被爆の実相を知ってもらうべく一人でも多くの来園来館を目指して地道に取り組む本市の担当課、加えて、礼節を持って訪れた人々をケアするボランティアガイドの方々を含め、多くの関係者が継続される縁の下のご尽力があったことはいうまでもありません。

そうした当時、私といたしましても、迎える側の市民として、この平和公園の充実をさらに高めていきたいと思い立ち、2018年の6月になりますが、平素から幾度も平和公園に足を運ばれるボランティアガイド、バスガイド、通訳ガイドの方々にご参集をいただき、日頃、心に抱かれている平和公園の改善点を、現場の各所を巡り、確認しながらヒアリングを行いました。そして、表示板の位置や内容、滑りやすい危険箇所が樹木の剪定を、設備の修繕など、私も預かった改善点、数十ヶ所をリポートにまとめ、各所管の担当課にご報告し、誠にありがたくも、そのほとんど迅速に対応、改善していただきました。

中でも思い出深いのは、原爆で亡くなられながら、氏名の判明しない7万柱のご遺骨が納められている原爆供養とその目の前が土のグラウンドで、雨が降るたび、ドロドロにぬかるんでしまう状態であったところ、例えば、ケニアや南アフリカから平和公園に訪れる人の中には、未だ平和公園の地下に眠るご遺骨に際して、靴を履いたままでは失礼であり、死者と対話ができないと、公園内で靴を脱ぐ人々もいらっしゃる。そんな光景を幾度も目にしたガイドさんから、何とか供養塔の前を舗装してもらえないかとの要望があり、私も受け承っては、担当課へ届けたのですが、無論、簡単に前進する規模の話ではありません。それからおよそ2年後、ふいに担当課長から1本の電話を頂戴し、受話器の向こうから聞こえてきたのは、ようやく予算化がかない、これより舗装工事に入りますとの力強いご報告でした。

今でも私は、あのときの感動と感謝の念を忘れませんけども、舞台となった供養塔には氏名が判明しないご遺骨とは別に、いまだ氏名が判明しながらも引き取り手のないご遺骨が存在いたします。被爆から10年後、1955年から本市は、ご遺骨の氏名を毎年公開しており、皆様も、役所や公民館等でその何百人もが決め記名されました白い大きなポスターによる知らせを一度は拝見したことがあるかと存じますが、8月6日から78年が経過し、例年、引き取り手の判明が困難になっています。

我々はとかく未来志向を掲げ、思いを次世代に傾斜させてしまいますが、確かなる過去の先人が今を形成してくださっており、それが例えどなたであろうとも、亡くなられた方々への畏敬の念を忘れてはなりません。氏名が判明しながら、ご遺骨がご遺族のお手元へ帰れない。故郷の地へ戻れない。現世に生きる我々としても、これほど心苦しい状況はなく、状況的には、時が経過して簡単ではないにせよ、今後も最後の最後まで引き取り手を探し、ご遺骨とご遺族を結びたく、これより伺います。被爆から78年が経過し、今後ますます遺族捜しが困難を極めてゆくと思われますが、何とか遺族捜しに結びつくよう、原爆供養塔、納骨名簿の周知、その強化を図っていただきたいのですが。本市のご所見をお聞かせください。

保健医療担当局長:
原爆供養塔納骨名簿は、平和記念公園の原爆供養塔に遺骨が安置されている原爆死没者のうち氏名等が判明している遺骨の遺族を探すことを目的に毎年作成しており、現在813柱のお名前が示されております。本市ではこの名簿を、全国の全ての自治体や各都道府県の被爆者団体などに送付し、その掲示を依頼するとともに、報道機関への情報提供を初め、「市民と市政」や市ホームページ、SNSなどの広報により広く周知に努めているところですが、この名簿に関する問い合わせは、被爆者や遺族の高齢化等に伴い、年々少なくなっているのが現状でございます。このため、今後新たに国内に点在する平和関連の施設や団体等に名簿の掲示を依頼するとともに、様々な広報媒体を活用した周知の一層の強化に努め、一人でも多くの遺族の判明に繋がるよう取り組んでまいります。

核兵器禁止条約について

中村孝江議員(安佐南区/日本共産党):
さて、平和宣言では、核抑止論は破綻していると世界へ発信されました。新聞各紙は8月7日付紙面で、核抑止論の破綻を大きく取り上げました。核兵器は侵略を防ぐことも、人々の安全を守ることもできないものだということ、人類を破滅の淵に追いやる元凶である核兵器は二度と使ってはならないということ、これらのヒロシマの心を示すものとなりました。

原水爆禁止2023年世界大会には、全国各地から唯一の戦争被爆国・日本政府に核兵器禁止条約の署名批准を求める署名が250万筆寄せられました。自治体の4割にあたる659の自治体議会が核兵器禁止条約への批准を求める意見書を採択しています。国民の多くが、日本政府が核兵器禁止条約に署名批准することが核兵器廃絶を実現し、紛争の平和的解決に貢献する日本の役割と考えているからに他なりません。

毎年の平和宣言で、市長は、核保有国と非核保有国との間で生じている分断を解消する橋渡し役を、日本政府に求め続けてきましたが、核兵器禁止条約に批准署名することなしに、橋渡しはできないと考えますが、市の見解をお尋ねします。

今年6月に、昨年6月に開催された核兵器禁止条約の第1回締約国会議で採択されたウイーン行動計画の具体化と実践・運用が始まっています。また、最大7万発あった核兵器のうち6万4200発が解体され、年間3000発の核兵器の解体を行う実績と知識が十分にあることが明らかになっています。核兵器廃絶は、廃絶の意志を持つという、やる気の問題であることは大きな希望です。

11月27日には、ニューヨークで第2回締約国会議が開催されます。確実に核兵器禁止条約の機能を果たしていくためこの締約国会議に広島はどう臨むのか、何を訴え、どんな行動キャンペーンを起こすのか伺います。

市民局長:
(核兵器禁止条約に批准署名することなしに、橋渡しはできないと考えるが、市の見解はどうかについて)
一般的に橋渡しとは意見の異なる当初の間を取り持つために仲介を行うといった意味で使われるものであることから、核兵器禁止条約に賛成するものと反対する者の仲介をするために、当該条約に賛成しなければならないということではないと考えられます。しかしながら、本市としましては、広島の心を共有する被爆国日本として、橋渡しをの役割を果たすためには、批准署名をすべきであり、まずは11月に開催される締約国会議にオブザーバー参加して議論に貢献するよう引き続き求めていきたいと考えています。

(核兵器禁止条約第2回締約国会議広島はどう臨むのか。何を訴え、どんな行動キャンペーンを起こす起こすのかについて)
先ほど石橋議員にご答弁した通り、核兵器禁止条約第2回締約国会議では、国連や各国政府関係者に対して、スピーチや個別の面会を通じて、非人道的な結末をもたらす核兵器に対する強い懸念を訴えるとともに、締約国に対してさらに批准国を増やし、同条約の実効性を高めるための議論を進展させるよう要請し、具体的な核軍縮の進展を求めていきたいと考えています。

また平和首長会議原爆展他のNGO等と連携したサイドイベントを開催し会議参加者に関係改善する以外に根本的な解決策を見いだせないという。広島の心を理解していただけるような機会を模索していきたいと考えています。

「黒い雨」被爆者救済について

中村議員:
続いて、黒い雨被爆者の救済についてお聞きします。2021年7月、広島高裁の確定判決により、黒い雨区域の認定基準が見直され、4400人を超える方々が新たに被爆者として認定されました。しかし、新しい基準でも申請却下が相次ぎ、被爆者としての救済を求める裁判が始まっています。

原告の方々の認定却下の主な理由の一つは、黒い雨に遭ったことが確認できない場合、二つ目は、11種類の疾病の罹患が確認できない場合です。黒い雨に遭ったことが確認できないとして却下された申請者は、宇田雨域、増田雨域、及び大瀧雨域以外の地域で黒い雨に遭ったと申請された方々です。認定処理の新基準で、三つの雨域の外側では、黒い雨に遭ったことを認めないとされているわけではありません。しかし実際には、三つの雨域の外で黒い雨に遭ったと申請した場合に、認定審査の中で該当場所に黒い雨が降ったと認められないと却下しています。

広島高裁判決では、黒い雨降雨雨域は、三つの区域に限定されるものではないと明言しています。にもかかわらず、三つの雨域を行政実務上の新たな線引きとして、事実上、運用することは不当であり、改めるべきだと考えますが、市のお考えをお聞きします。

二つ目の11種類の疾病の罹患が確認できないとして申請を却下された場合は、厚生労働省の処理基準の当否が問題となります。広島高裁判決は、黒い雨に遭ったことが認められれば、被爆者援護法第1条3号に該当するものとしました。

直爆・入市・救護看護被爆者は、その場にいたことが証明されれば認定されるのに、黒い雨の場合だけ、11種類の疾病の罹患を要件とする処理基準は不当です。高裁の確定判決並びに被爆者援護法の趣旨と理念に基づき、疾病要件は取り下げるべきと考えますが、市のお考えをお聞きします。

黒い雨被爆者の問題で、広島市が今後取り組まなければならないのは、寝たきりや遠くに住んで自らは制度を知らず、手続きを自分ではできない人の申請をいかに援助して広げるかです。また行政には黒い雨被害の実態を掘り起こす作業が求められます。黒い雨に遭った。高齢な被爆者を放置することなく、最後の1人まで被爆者認定する努力が求められると思いますが、市のお考えをお聞きします。これからの取り組みの方針と決意をお聞かせください。

市長:
黒い雨、被爆者の救済についてのご質問がございました。黒い雨体験者の救済については令和3年7月の黒い雨訴訟の第二審判決後に、国において、被爆者の立場に立った政治判断が行われ、昨年4月から新たな基準により、黒い雨体験者を個々に認定していく制度が始まっており、新制度の初年度となる昨年度においては、指定要件で申請が却下となるケースが一定数生じたこともあって、今年度に入り国と協議したところ、高齢者の多くが、白内障や白内障手術歴の所見を有していることを踏まえるならば、眼科以外の疾病で却下となった方について改めて眼科受診および再申請を勧奨することで、一人でも多くの方に手帳を交付することはできないかとの見解で一致したところであります。今後はこの救済措置の実効性を確保する上で、欠かすことのできない、県眼科医会のご理解とご協力のもと、必要となる眼科受診等を経て再申請および認定の結果に繋がるようにしていきたいと考えております。

本市としては黒い雨体験者への被爆者健康手帳交付の運用開始から1年半が経過する中、対象者が高齢者であることを踏まえ、申請者の気持ちに寄り添いながら一人でも多くの黒い雨体験者に手帳交付できるよう、引き続き幅広く周知を図るとともに、疾病はあくまで健康管理手帳の支給要件であり、手帳交付の要件から切り離し、黒い雨に遭ったことをもって手帳交付できるすべきとの立場に立ち、国に対して、粘り強く訴えていくこととしているところであります。

保健医療担当局長:
黒い雨被害者の救済について、広島高裁判決では、黒い雨雨域は、三つの類型に限定されるものではないと明言しているにもかかわらず、三つの雨域を行政実務上の新たな線引きとして実事実上を運用することは不当と考えるかどうか、とのご質問にお答えいたします。

昨年4月から広島高裁判決を踏まえた黒い雨体験者への被爆者健康手帳の認定制度が開始され、法定受託事務として国の処理基準に沿って適切に審査をしているところです。

具体的には、黒い雨体験者への手帳交付要件の一つとして、黒い雨に遭ったことの確認が必要であるとされており、宇田雨域、増田雨域、大瀧雨域の三つの雨域の外で雨に遭ったとされる方については、丁寧に過去の資料等を調査することが必要となってはいますが、雨域の内側であれ、雨域の外側であれ、客観的な資料で確認ができれば、黒い雨に遭ったことが認められるとされております。

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