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「小児性愛」「児童ポルノ」「性癖」について考えてみた

性癖の相性

私は「性癖が満たされること」は大切であると思っている。
パートナーとの「身体の相性」というのは「性癖の相性」のことであり、「性癖が満たされる」ことは性生活においてとても大切なコト。

例えば、単純に「痩せている人が好き」「ふくよかな人が好き」「指が長くてきれいな人が好き」「脚フェチ」「Sタイプ」「Mっ気がある」と好みを言うけれど、
それは、極端に言えば、ふくよかな人に対しては性欲が増すが、そうでなければ性欲が減退する、ということである。

どんなに美人でスタイルが良くても自分より収入や地位が上の女性には性欲がわかないという男性もいるだろうし、高身長イケメンでも無職ニートの男にはトキメかない女性もいる。性欲全開で迫ってくる人は嫌いで、奥手でモジモジの人が好きとか。

中には、「身体のどこかに傷や痣がある人が好き」や「腕や足が欠損している人にそそられる」という人もいるらしい。もちろん、外見や容姿のことだけではなく性行為の振る舞いも含めて様々。

性欲性癖と言うのは結構、繊細なモノである。

そしてお互いにお互いが性癖のど真ん中なら相性が良いということになる。


誰もがしたいわけでもない

今まで性を題材に色々書いてきた私だが、特別にsexが好きなわけではないし、しないで生きていくこともできる。
昔、したくもないsexを嫌々していた私。それが根本原因で結局、離婚に至った経緯もある。
しかし、今の相手とするsexはとても良いもので、「元夫のことは人としては好きだったけれどsexの相性は良くなかっただけ」と気付くことができた。今の相手は、私のして欲しいsexをしてくれるのだ。
相手も、多分、私のどこかが「性欲を満たす何か」なのだろう。

それが「(性的に)好き」ということ。

そういう意味で、sexの相性、性癖はとても大切だ。

性の多様性

そんな重要な「性癖」だが、さて、それでは小児性愛(ペドフェリア)は性癖なのか、病気なのか?

小児性愛(ペドフェリア)と聞くと「罪を犯しているもの」と誤解・混同するかもしれないが、この場合は小児に性衝動を覚えるものという意味だけで話を進める。

もし、小児性愛が「性癖」であるなら、それを我慢するのはとても大変でつらく苦しい人生であろう。一生、満たされない、満たしてはいけない性癖、性志向。

昨今は、ダイバシティ・多様性の時代で、異性愛も性自認に関しても、どんな形であっても認められるべきものとの考えが浸透している。

つい十数年前には異性愛も病気と思われ、忌み嫌われ、隠して生きていけなければならないモノであった。

その理由の一つに、sexが「子を作る行為」以外は不潔であるという偏った考えがあり、異性愛では子どもが生まれないからと言う人がいる。

でも性生活と言うのは、何も子を成すためにあるものではない。
それよりももっと、自身が生きる上で本能的な根本的な快楽や開放、満足、充実感。誰にも口出しできないし、親でもパートナーでも縛ることのできない、人格の根底部分にある大事なもの。それがsex・性に関わる全てのことだと思う。
その中には、sexはしたくない、性について語りたくないという自由も含まれている。

性癖を満足させる手段

世の中に風俗やAV、グラビア、水着の写真集がたくさん存在しているのは、それを楽しむ人間が多いことを意味している。そしてそれを認めている社会がある。売れるから作る側もたくさん作る。

デブ専という言葉があるがそういう性癖・性志向向けの風俗やAVもあるらしい。それぞれの志向に合わせた様々な商品が世の中には溢れている。

しかし小児性愛(ペドフェリア)に関しては児童ポルノ禁止の法律が立ちふさがる。
当たり前だ。被害を受ける子ども・人間がいることは決して許されない。
同意のないsexや性行為、ポルノは全て犯罪
そして、16歳以下の子どもに関しては、同意自体が認められない。
ゆえに児童ポルノは全て犯罪である。

では,、被害を受ける人間がいないなら良いのであろうか?
アニメ、漫画、絵画、人形(セックスドール)…架空の児童ポルノである。

結論から言うと日本では現在は禁止されていない。
しかし、それも禁止すべきと言う意見もある。

諸外国では『実在しないイラスト』でも法規制の対象としているケースがあります。
日本でも,法規制に関する議論の中には,『実在しないイラスト』も規制すべき,という見解もあります。
『汚らわしい』とか『性犯罪に結びつく』という理由が挙げられています。

法律事務所

小児性愛(ペドフェリア)の人にとっては、「せめてマンガだけでも」「こっそりと観るアニメで良いから」「AIで生成した実写で満足したい」など思うのかもしれない。その気持ちを止める権利は誰かにあるのだろうか。

巷に出回っているAVやグラビア写真で満足できる「普通の性癖」の人たちが、「マイノリティの性癖」を持つ人たちの満足感を奪う権利があるのだろうか?「マイノリティの性癖」を持つ人たちは、実体のない・見ることもできない頭の中の想像や妄想だけで、一生を終わるべきなのだろうか

(繰り返すが、もちろん被害者が生まれること、犯罪は断固として許されないことは大前提として)

それは他の「性癖」についても同じかもしれない。レイプシーンのある漫画やアニメ、残虐なシーン、見るものを不快にさせるから根絶してほしいと願うものがいる。
誰かにとって不快なものでも、ある人にとっては渇望しているもの。
「見なければいい」と言ってもどこかで目に入る可能性はおおいにある。

病気なのか病気じゃないのか

色々調べていくうちにある記述が目に入った。

デレク・パーキンス教授は、性犯罪者のための治療プログラムを立ち上げた司法心理学コンサルタントだ。

「小児性愛は精神障害と認定されている。本人の意志で選ぶものではない。うつ病や注意欠陥多動性障害(ADHD)の人と同じこと」とパーキンス教授は言う。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-41812774

また、ある記事では、「小児性愛(ペドフェリア)は逆らわない相手を征服することに快感を覚えており、愛情とはかけ離れたもの」という主旨の内容もあった。

確かに、子どもが成長してしまえば性欲の対象ではなくなってしまい、次々に新しい相手を求めることになる。

やはり一種の精神障害なのだろうか。

誰もが性癖を満たしたいために頑張る

誰もが自分の性癖を「特別」とは知らないまま満たそうと頑張る。
男性が好きな人は、その男性に選ばれるように女性らしく振舞う(自分が男性だとしても)し、洋服やメイクもその好きなタイプに好かれるように研究する。

自分の好きなコトを選んで生きているように見えて、その一部分は「モテる」ために選んでいることが必ずある。選ぶ趣味やスポーツ、会社でさえも。

しかしそれでも叶わないと思ったら、力や金でねじ伏せるしかない。
もちろん暴力は犯罪だが、権力や金は犯罪ではない。

そう考えれば、ジャニー喜多川氏は、性癖のために良い方法を思いつき頑張って好き放題できる事務所を作ったのだろう。性癖のために。権力のために。(がっつり犯罪であるが)

治療を受けている受けていないにかかわらず、性癖を閉じ込め、欲求が高まらないように鎮める人生を送らなければならない人たちは、
どんな思いを抱いて生きているのだろうか。
一生満たされることもなく、仕方なく満たされないsexをしているのだろうか。
そう考えると少し悲しい。

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