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ブラックな自分を受け入れる

自分を取り繕い
キレイな自分だけを
見せることばかりして来た

でも、今更・・・
違和感を覚え始めた(苦笑)

行きつくところ根底に
自分を認めていない自分が

まだいる

もっと
もっと
まだだ
まだまだだ

親に認められたかったと
思いたかったけど、実際は
自分が認めたかっただけ


今、向き合うエゴ

健康的であれば愛すべき強みになり
不健康であれば煙たい個性となる



でも実際はエゴだけじゃなかった

嫉妬、執着、対抗心、勝ち負け
憎しみ、怒り、反発、奢り

どれも持っている

今はどんな自分が現れても
苦しんででも受け止めたい
本質はそれを望んでいる


向き合えば向き合うほど
やるせなくなるのに
向き合うほど、ほどけていく


ジレンマ尽きないのは仕方ない

なぜこんなことを思ったか・・・


仕事で完璧を求める私に
引いている人の顔を
何度も見て来たから

完璧を求めては
いけないんだろうかと
美しいデザインを
最高の仕上がりを
最高の結末を
求めるのはダメなのか?

正当化したいだけなら
悔しいなと


これはいけない事だろうか?

「そんなに本気でやらなくて良かった」
「ごめん、そこまでと思ってなかった」
「もう少し気楽にやってくれれば・・・」
「そんなつもりじゃなかった」
「適当にやって」

そう言って苦笑いする人もいた

ヨガのポーズの完璧はムリ
瞑想を完璧にするのも無理
料理なんて、完璧は絶対ムリ
完璧主義度数を調べたら
たったの35%だったのに
そんなの調べる私もどうかしてる

そうしていつも絶望する

だけど

完璧さは
手放す必要があるのか?

そんなことを考えていたら
辿り着いた↓


いや違う
違ったよ
人のせいじゃない

完璧を目指す本物たちから
わたしが逃げているんだ

完璧を目指す人の中に飛び込め、私

そうすれば私の完璧さなんて
完璧じゃないことを知る

そしたらまた、トライ&エラーで
更なる高みを目指すだけ

もっと上の完璧を知って
目を輝かせながら
その向こうへ
生きて行くだけだ

人のことは分かるのに、自分のことは全くダメです。サポート・招待を受けると、心の底から喜びます。どうぞよろしくお願いします。