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【対談企画】犀の角(長野県上田市)での滞在を終えて

中谷和代 × 永澤萌絵
犀の角(長野県上田市)での滞在を終えて

国内の小劇場が繋がる「全国小劇場ネットワーク」が企画する 《シアター・ホームステイ》
この企画に参加して、「犀の角」(長野県上田市)に滞在してきた2人が、現地で感じたことを対談形式で振り返りました。

プロフィール

話し手プロフィール
中谷和代(なかたに・かずよ)

京都を拠点とするパフォーミング・アートグループ「ソノノチ」代表。演出家、劇作家、俳優、ワークショップデザイナー。近年はランドスケープシアター(風景演劇)を中心に、屋内外を問わず各地でのクリエイションを通し、既存の舞台芸術の枠を拡張する活動を展開。音楽コンサートや子どもミュージカル等の演出なども手がけるほか、近年は政治とフェミニズムに関心を持ち、2020年よりジェンダー平等 x 演劇プロジェクトに参画している。
▼滞在期間:2023年1月31日〜2月6日

話し手プロフィール
永澤萌絵(ながさわ・もえ)

同志社大学の学生劇団「第三劇場」所属。京都を拠点に演劇の企画、制作、当日運営を行う。2022年には、THEATRE E9 KYOTO 主催の学生演劇企画で実行委員長を務め、コロナ禍によって影響を受けた14劇団36人の学生と「公演を通した学び」というコンセプトのもと、演劇公演を実施した。同志社大学社会学部教育文化学科在学中。「演劇を通した居場所づくり」をテーマにコミュニティ形成について学んでいる。
▼滞在期間:2023年2月21日〜27日

聞き手プロフィール
柴田惇朗(しばた・じゅんろう)

芸術社会学。主なテーマは「小劇場演劇・パフォーミングアーツの価値の社会的生産」。中谷和代が代表を務める「ソノノチ」にアーカイブ担当として参加しながら、長期でフィールドワークを行っている。これまでの刊行物に「芸術家とアイデンティティ・ワーク――新たな演劇人研究に向けた理論的準備」(論文、2021)など。立命館大学大学院先端総合学術研究科・博士後期課程在学中。学振特別研究員DC1。
▼2月4−5日に中谷の滞在に帯同

自己紹介

―― 名前と所属と職能、普段どういうことしてますよっていうのを、教えていただけますでしょうか。

中谷:中谷和代です。京都でソノノチというパフォーミング・アートのカンパニーをやっています。演出家、劇作家、ワークショップデザイナーという仕事もしています。ソノノチは京都のKAIKA、この(インタビューを収録している)スペースのアソシエイトカンパニーで、今回推薦を受けて長野県上田市にある「犀の角」に滞在しました。

永澤: 永澤萌絵です。京都で演劇をしている大学生です。
同志社大学の第三劇場という学生劇団に所属しております。大学では、社会学部の教育文化学科で「演劇と居場所作り」について勉強しています。
私はTHEATRE E9 KYOTOという京都の小劇場から推薦を受けて、犀の角に滞在しました。

―― 同じ都市圏である京都の別の劇場から2組行くっていうのは、珍しいんでしょうか。こういう形でその後に共有しやすいという意味ではとてもいいですよね。

中谷:その年々で、手をあげる劇場によるのではないでしょうか。今回は京都から複数の劇場が、また1つの劇場が複数人推薦をしたりもしていますね。

―― ちなみに、お二人はお互いのことをどれぐらい知っておられるんですか?

中谷:この数ヶ月間ですよね。出会ったばっかりですね。
べってぃ*から永澤さんを紹介されました。最近も私が講師をしていたワークショップにスタッフで来てくださって。あと、こないだ打ち合わせで家に来てくれた(笑)。「演劇と居場所作り」っていう研究テーマ、ご自身が勉強されてることや、学生劇団での活動について情報としては知っている感じ。それに関する想いみたいな部分とかはまだ。

*制作者・渡邉裕史の愛称。渡邉はソノノチでは制作を行いながら、2022年度は永澤さんを「個人インターン」として迎えているため、話し手両名にとって縁深い人物

永澤:そうですね(笑)。

中谷:お互いにこれからって感じかなと思います。

永澤:ちゃんと中谷さんとお話させていただいたのが本当に一、二回ぐらいで。あとは、こういう方ですよって、人づてによくお聞きしています。

中谷:どういう方なんだろう(笑)。

―― 今回の犀の角での経験が最初の共通項になる、って感じですかね。

永澤:そうですね!

生活から離れて「ただ見る」こと

―― どんなこと考えながら犀の角に向かってたんですか?

永澤:できるだけ、スマホを見ないようにして行こうと思っていました。今までの自分の生活から切り離したいと思っていて。やらなければいけないことを全て終わらせた状態で、頭の中に余白を作りながら行きました。犀の角とか上田市がやってる活動を調べる時間は取ったんですけど、それ以外は、普段読まない本を持ってってみたりとか、雪が積もっている山をひたすら眺めたりとか(笑)。

中谷:私はこの機会に、なるべく「ただ見る」「ただ受け取る」みたいな経験をしたいな、と思っていました。例えば私たちが近年取り組んでいる滞在制作では、人と話したり何かを見たりすること一つ一つが、制作という目的のあるリサーチになるので、そこから常にインスピレーションを得たいと思ってるんです。「作品にどう繋がるか」を積極的に考えながら見ているのですが。
今回はそうでなく、なるべく私の中ではふらっと行きたくて。力まずに、いろんなものをとにかく受ける。パカっと開いて入ってくるものを、大事に抱えて持って帰れたらいいなって。逆に「力むな、力むな!」みたいになって力が入ってしまいそうになるけど(笑)。ただ見て、受け止めつついけたらいいなって。

「のきした」という活動

―― 二人で数百ページくらい資料がありますね。
多分全部は見れない気はするんで、お互いに相手にぜひ見てほしいものはありますか?

中谷:これかな。「路地の開き」、すごい面白いんです。

―― 面白かったですね、「路地の開き」。

中谷:私が行った初日は、NPO法人リベルテさんっていう、障害者福祉と芸術に関する活動をされている団体が、犀の角で展示と報告会をされていて。「路地の開き」はそのリベルテの活動なんです。ここで取り上げた活動は、パレード。手作りのドライフラワーを配ったり、お面をかぶったりしてみんなで商店街中を練り歩いたんですって。その日はリベルテのスタッフさん、メンバーさん、劇場の方、私のような来訪者もみんな犀の角に集って、実践に対してあれはどういうものだったか、振り返りをされていました。リベルテさんの活動拠点の名前が「roji」で、それをオープンにしていく、「開き」っていう名前がついていて。施設も見学させてもらいました。

永澤:すごい!

中谷:そこでメンバーの皆さんにお会いしたんですけど、皆さん手で物を作ったりするのが好きで、絵を描いている人もいて。そういうのを自分たちのアーカイブとして残してるんですよね。作品のアーカイブを見ると、毎日を丁寧に観察していかないと見つけられないユニークな着眼点がたくさんあるなって思ったんです。
あとこの「うえだイロイロ倶楽部」*のチラシ。永澤さんの滞在中にも活動ってありました?

永澤:しました!初日到着したら、「今から『イロイロ倶楽部』あるから」ということで、そのままメンバーの一員として参加しました。

* 地域のこどもや若者が地域の大人と「やりたいことを自分で発見し、自分の意思で文化芸術活動に取り組める場」を提供する、「のきした」が運営する活動。

中谷:自分がその日やりたいことでオリジナルの部活を作る活動なんですけど。漫画を読むマンガ部とか、絵を描きたい人でイラスト部とか、まち歩きの部とか、マジシャンの人がその日参加者にいたらマジック部、何もしたくないから「なにもしない部」とか。ユニークですよね。興味ある人がそこに集まって。私行ったときはボードゲームの部と、ブレイクダンスの部ができてたり。
この劇場と地域の取り組みを全部包括するコンセプトみたいなのとして「のきした」っていうのがあったんですよ。「社会の雨風をちょっとしのぐ」っておっしゃってたと思うんですけど。すごく印象に残りました。

―― こっちの、路地の活動とかも「のきした」。

中谷:「のきした」は活動のコンセプトでもあるし、そこに集う人たちを指す言葉でもあるそうです。年齢とか、国籍とか、目的とか、属性みたいなものを超えて、集まった人でどうするかみたいなこと。ここで出会ったのも何かの縁。それはワークショップにおいても大切な精神でもあると思うんです。出会わずして出会う、というか、偶然隣にいた人と喋ったり、何かをする機会がたくさんあった。
映画館にも行きました?

永澤:行きました。映画も見ましたし、「うえだ子どもシネマクラブ」*をしている直井さんのお話も聞きに行きました。

* 学校に行きにくい・いかない子どもたちの「居場所」として映画館を活用する事業。犀の角のそばにあるミニシアター「上田映劇」などが中心となって行われている。

中谷:直井さんはフェミニズムにまつわる活動もされてて。映画館の書籍コーナーにフェミニズムのコーナーできてたりとか、ZINEを使って身近な気づきの声を上げる活動をされてたりとか。私も「ミモザプロジェクト」*の公演をちょうどやってたので、たくさんお話ししたんですよね。

*演劇公演『ミモザウェイズ1910−2020』の上演などの活動を通じて日本女性の権利獲得の歴史を舞台化する日仏合同プロジェクト。中谷氏は同公演に初演から出演している。

―― 永澤さんはどういう印象ですか。

永澤:直井さんは「うえだ子どもシネマクラブ」という、学校に行きづらいとか、学校に行きたくないなって思う日は映画館に行こう、っていう活動をされています。地域の中でそれぞれやりたいことがあったとしても、実際に関係機関に交渉して、社会的に信用されるところまで持っていくってすごく大変なことだと思うんです。直井さんの呼びかけや関係を作る活動によって、「うえだ子どもシネマクラブ」のネットワークが広がったそうです。文化庁や文部科学省にもアプローチをして、最終的に映画館に行くことが出席と認められるようになって。

中谷:新聞記事も読みました。学校だけでなく地域で一緒に子どもたちを見守っていく活動なんだと感じました。点でなくて面で、というか。

永澤:直井さんは、みんなが共通して持っている概念みたいなものを繋げて形として生み出す人だなと思いました。私が上田に行ったときにちょうど上田市の子供の教育や居場所のことを考える公開ミーティングが開催されていました。「NPO法人侍学園」という教育施設の方、「ハローアニマル」という動物愛護団体で不登校の子どもの支援をやってる方、ケアの専門家、学校の先生、行政の方、市議会議員、NPOの方、劇場のスタッフなど、普段別のところで活動してる人が一斉に集まってきて、上田の子供たちや上田の未来について考えていく場所でした。
業種を超えて、1人の人間として、子供のことや、一人一人が尊重される居場所について、多様な視点から話し合われていました。地域の困り事を真剣に解決しようとしている大人がいて、そういう話がされている、話し合いの場が開かれている、みたいなところに希望を感じました。

中谷:1日街を歩いてると、違う場所で同じ子どもたちと出会うことが結構あった。映劇で午前中「シネマクラブ」の活動してた子と、午後に今度は犀の角で、次は喫茶店で会う、みたいな。その時に感じたのは、この商店街全体が居場所になってるっていうか。この人だけを頼っていくとかじゃなく、みんなで緩やかに見守ってる。その中で一人一人が、自分のやりたいこととか目標に気づくプロセスを垣間見た瞬間もありました。犀の角に併設されたゲストハウスには共有スペースがたくさんあるので、そこで「やどかりハウス」のメンバーさんともちょこちょこ会うんですね。夜遅くまで鍋つつきながら話したりして。中には街の中で出会った大人たちから影響を受けた人もいて。滞在最終日に、ある利用者の方の絵の初個展を見にイオンへ行ったんですね。その子曰く、自分を表現する方法がなかなか見つからなかったんだけど、犀の角での出会いから刺激を受けて、自分の表現したいことがちょっとずつ見えてきたんだって。

「空き地」としての犀の角

―― お二人とも犀の角じゃない別の団体の話がたくさん出てくるあたりが、僕も行って感じた、大きな上田市の繋がりの中でみんないろんな活動をしている感じにまさに合致するなと思いました。その中にはアート的な活動もそうじゃない活動もあるけど、逆にアート的じゃない活動からアートの方に行く、イオンでの展示みたいなこともあるんだなと気づきました。

中谷:アート的かそうでないか、文化かそれ以外か、という切り分けみたいなのは要らないのかも、と思った。例えば福祉、医療、アートマネジメント、映画、飲食とか、それぞれ違った捉え方が合わさって、どの領域にも切り分けられない活動がたくさんうまれている状況を知った。私はこういうことができる、この人はこういうことができる、じゃあここでこんなことしてみよう、みたいな感じで。すごく早かったです、スピード感。「ここでもう次の話してる!」って驚いた。
一方で、この地域の課題としては、規模がまだ小さいと感じること、もっとこの輪を広げていきたい、っていう話も聞くことができた。まだまだ一部の人、「(この地域なら)この人とこの人だよね」っていう人たちがやってると。それから、のきしたを必要とする人が、コロナを背景に増えてきてたということもある。自分の居場所を見出しにくい人たちに対して、劇場が、芸術作品を上演する以外にどういう役割を持てるんだろうかと、コロナを機にすごく考えたと、犀の角の代表の荒井洋文さんがおっしゃってて。

―― なるほど。元々いろいろ多岐に渡ってやろうというより、コロナのような「大きな危機」にひんしたときに、どう助けあっていこうかと考えて生まれてきた。

中谷:お話を伺った限り、つながりの前兆というか芽のようなものはずっとあって、それらがコロナ禍を背景により具体化した感じなのかなと感じた。

永澤:コロナでみんな困ったとお聞きました。場がなくて困っている人もいれば、犀の角とかだと演劇公演ができないとか、ゲストハウスに旅行来る人が減っちゃったとか。それぞれの困りごとがコロナを機にちょっとずつ繋がりだして、お互いの困りごとを助け合うことによって、みんなでいい方向に進んでいるのだなと。

―― どういう感じで繋がる、例えばお互いの困りごとがどうお互いの解決に繋がっていったか、何か具体的に聞いてたりしますか?

永澤:犀の角では、コロナで劇場運営ができなかったり、ゲストハウスがあるけど使えなかったりしたそうです。そのときに、「場作りネット」というNPOをされている元島さんから、今、社会ではコロナでいろんな大変なことが起きていて、ステイホームと言われるけど、家にいられない人もたくさんいる、彼ら彼女らが逃げ込めるようなシェルターを作りたいというご相談があったらしくて。それをきっかけに家に帰るのが難しい女性とその子どもに1泊500円で犀の角に泊まってもらう「やどかりハウス」が立ち上がった。それと同時期ぐらいに、上田映劇の「うえだ子どもシネマクラブ」の活動が始まって。段々近くにリベルテさんがいることもわかってきて。犀の角のことを「空き地」っていうふうに表現されてたんですけど。コロナをきっかけに時間と場がある犀の角にいろんな人が集まりだしたとお聞きました。

中谷:劇場でありながら、いわゆる「劇場」っていう捉え方ではないかもしれない。

永澤:そうですね。

中谷:それぞれ方針は同じではないし、なぜこの地域(上田)でやってるんだろうみたいなことは、皆さんそれぞれに思いがあると思った。頻繁に顔を合わせることで「○○さんがこれ困ってるって言ってたよ」「じゃあ△△さんに相談したらいいよ」みたいに、課題を密に共有できる雰囲気があるのかも。それが形になって、場ができて、そこに地域の人だけでなくアーツカウンシルの方も来て、その声に耳を傾けている。

永澤:私自身、居心地がめっちゃ良かったです。バックグラウンドとか、今までの経験とかも全然違うのに、すごくコミュニティに入りやすかった。歓迎してもらえて、内輪だけにならずに、いる人全員にそれを開いている感じがして。だからこそみんな上田に集まってるのかなって。

中谷:犀の角のメインフロアのつくりも特徴的でしたよね。劇場の受付が、ゲストハウスのロビーでもあり、カフェカウンターでもある。多様な人が一斉に集まる場っていう感じで。常に人がずっと循環してるっていうか。劇場って私の中では、借りる人、つまりそこを利用してクリエイションや上演をする人が行くイメージだけど、その目的じゃない人とばっかり会ってた(笑)。

―― 劇場を劇場として使っていない人に会う機会の方が多い。

中谷:そうそう。週末の上演のときに仕込みの状況を見たけど、その前は劇場空間がカフェスペースとして使われていて、子育てしてる人たちがお茶飲みに来たり、ゲストハウスに泊まってる人がモーニングしたり本読んでたり、何か打ち合わせしてたり。
共同のキッチンで自炊してその日そこにいた人たちで食卓を囲む、みたいなのも頻繁にあって。近隣の飲食店とかも調べていたけど、滞在期間の半分ぐらいは劇場の中で誰かしらと「鍋するんですけど食べますか」みたいな感じで(笑)、みんなで食事をしました。

犀の角での気づき

「演劇と場作り」の街に出会った衝撃

―― 今やってることとか、考えてることに対して、今回滞在が「気付き」になったことって、あったりしますか?今回の滞在を通して、普段やってることが「こういうふうにやったらいいんだ」、あるいは「今やってるこのやり方で良かったんだ」みたいな感じで、気付かされるようなことが。

永澤:私はめちゃめちゃ背中を押されました(笑)。

中谷:おー!いいですね。

永澤:私は普段「演劇と居場所作り」をテーマに活動しています。私自身も含めたその場にいる全員が取り繕うことなく、その人がありのままで誰かと話したり、生活をしたりできるようなコミュニティを作りたいという思いが根底にあって。そういう場所があったら自分も楽だし、みんなもちょっとハッピーになれるかなって(笑)。その方法として演劇があると思っています。
演劇には居場所づくりにつながる要素があるんだろうという、自分の中での確信はあったんですけど、それを実際にやってる人にあまり出会ったことがなくて。そういう思いを持っている人が日本にこんなにいたんだ!ってことにすごく背中を押されました。自分がやろうとしていたことは、夢とか理想、妄想じゃなくて、実際に実践している地域があるんだってことに、まずびっくりしたし、私がやりたいと思っている方向性は間違えたものではなかったのかな、みたいな気づきになりました。
こんなにもやってらっしゃる方がいるなら私も何かできそうな気がする!って思えたのがすごく嬉しかったです。

―― 今までは演劇と、また別に場作りについて考えていて、そこを繋げてる人と出会ったのが初めて、ってことですか?

永澤:そうですね。そういった団体が関西にもあることは知っていて、そこにボランティアに行ったりとか、話を聞いたりはしていていました。
やっている人がいることはわかってたんですけど、それはどうしても団体単独での活動になっていたので。町全体で取り組んでいるということを知れたのが大きかった。

中谷:そういう場所に出会えたってことが素敵ですよね。永澤さんの話を聞いたときに、私は自分が舞台活動を続けることを決めたときのこと思い出して、KAIKAができた当初のこと。15年くらい前、私は大学を卒業してすぐ就職して、商社に勤めてたんです。表現は自分がやりたいからやっている趣味に過ぎないし、仕事になんかなるわけないと漠然と思っていて。でも、そこでKAIKAのオープニングイベントがあって、そこでアーティストが作品をつくることだけでなく、その職能をさらに社会にも活かせないか、みたいなことに着目して活動してる人たちに初めて出会った。自分のやりたかったことを様々なやり方で実現させている人たちがいたのか!って。そのことに勇気をもらったから、今のキャリアがあります。

「ずーん」とした気持ちとの向き合い方

中谷:シアターホームステイの期間中、生きていくのが大変だと話す人たちに出会ったんです。居場所が自分の中にない切実さとか、家庭内の複雑な問題とか、そういう話を聞いてたから、度々なんとも言えない気持ちになった。食事のこともそうですけど、人が生きるっていうのはシンプルに、「毎日のこと」なんだなと思ったんです。イベントや公演をするっていうと、どこか「お祭り」感というか、ハレとケの「ハレ」、祝祭的なムードとかそういうものとしてとらえがちで、確かにそういう一面もあるんだけど、ただ一方で、一人一人の人生に関わっていくものにしようと思うと、実はすごく息の長い話でもある。だから、どう続けていくか、絶やさないかということ。犀の角のスタッフの皆さんさんとも意見交換をして、たとえ場所やカンパニーを継続させたくても、例えば助成金のような、今ある既存の仕組みが、来年あるっていう保証がどこにもないってこともすごく感じて、その不確定さ、心許なさにずーんとなるっていう話を。だけどその「ずーん」は、これからの原動力にもなるような気がする。自分には何もできなかったり、引き受けることが難しいこともたくさんあるけど、その何もできひん……みたいな無力感を受け止めながら過ごしていた。この「ずーん」は、もうちょっと言葉にできる気がするんですけど。

―― ずーんとした気持ちとか、未来に対する不確定さを乗り越えるために、上田でのコミュニティは意味があるって感じましたか?

中谷:もしかすると、「1人じゃ何もできひんな」っていう認識からスタートすることかもしれない。だから今回出会ったのきした活動のように「これで困ってるんです」って、居合わせた人に開示してみるのはどうか。困ったり悩んだりすることは別に悪いことじゃないと思ってて。やってるから悩むわけだし、そこにいるから悩めるんだなと思う。今回の滞在の気づきを、ちょっと一言では言い表せないんですけど、そういうことを私自身は学んで、感じてたんじゃないかな。

矢印の向き

中谷:ここで起こってることはすごく「演劇」だって、犀の角の皆さんがおっしゃってましたね。人がいて、関係性があって、それぞれがいろいろなことを抱えていて、営みがあって、そうして日々続いていく。
私はなぜ表現するのかというときに、日々に小さな革命を起こし続けるため、みたいなことをたまに言うんですけど(笑)。何かを大きく変えるようなことではないかもしれないけど、価値観が揺らいだり、はっとする瞬間を何気ない日々の中に起こすこと。きっと無理だと思ってたことが「できるんだ」って気づくこと。自分の中から生まれ変わること。さっきの永澤さんの話を聞いてても、私たちは今回、その小さな革命を上田の地で体験したのかもしれませんね。
あと今回一人旅だったからか、(思考の)矢印が自分の中にどんどん跳ね返っていくかんじがあって、いろいろと考えこんでしまう時間もありました。あ、だから「ずーん」ってなったのかもしれない。

永澤:私はこの半年ぐらい、自分に向いてる矢印が全部「負」だったんですよ。もっとこうできないのかなとか、こういうことが足りないな、と感じて落ち込んで。
あと、自分の矢印が自分に向けられてない時間もあって。日々の生活の忙しさで、自分のことを深く考える時間の余裕がなかったりして。
犀の角で、自分の思ったこと感じたことを伝えてみると、負の矢印が明るい矢印となって自分に返ってきました。だから、今、生き生きできてるなって感じがします。矢印の方向が、私が行ったときは私発で私に返ってきたからそうなっているだけで、多分この矢印の中に入ってない色々な状況や人がいて。今回全部見えていたわけではなくて、主に自分とのやり取りになってたけど、次行ったり、他の場所を経験したりするときは、「自分発の矢印」以外にもいろんな矢印を増やせていけないかなって思いました。

中谷:こういう形(インタビュー)でアウトプットすることで、その矢印を誰かに届けられるものになる気はしますね。直接的には出てこなくても、そこで体験したことは身になってると思う。今後の執筆活動なり、私だったら作品を作ることからは、絶対一人一人の経験が滲み出てくるじゃないですか。
それに、ほかにもいろんな場所がある。地域ごとの事情って全く違うし、共通のこともあるんだろうなとか。シアターホームステイでまた別の場所に滞在したら、違いなども見えるかもしれないですね。

「さらす」経験について

中谷:滞在の期間中、なんというか「ほっといてもらったこと」もありがたくて。「すいません」ってスタッフの方は謝ってくださったんですけど、劇場管理や普段の業務などもある中で受け入れてくださってた。じっくり一緒に過ごせる日もあれば、「今日はフリーで!」みたいな感じの日もあって。ぽーんって街に繰り出して、「どこ行こう、何しよう」みたいなのが個人的に面白かったです。目的なく街をぶらつくこと自体が久しぶりで(笑)。「今日ここでこういうのあるらしいよ」「あ、じゃあそれ行こうかな」みたいな。

永澤:なるほど!

中谷:犀の角での事業に参加して慌ただしいような日もあれば、団子屋の方と話し込んでたらもう夜だ!みたいなときもあれば、誰にも会わずにひとり川辺に佇んでいた、みたいな日もあった。そういう、自分を大きな自然の中にさらしたり、コミュニケーションの洪水にさらしたり、異なる文化や背景を持つ人たちの中にさらしたりする、っていう日々だったと思いますね。
それと最初にも話したけど、作品を作るってことから解放されて「ただ行く」というのが、とても新鮮な気持ちでした。私の場合は、日々仕事とか創作にだけ追われてると、インスピレーションが湧く隙間がなかなかないので、何か自分を全然違う環境に「さらす」ことが次の風を呼び込む、みたいなことがあると思っていて。それは作品を作る人だけじゃないかもしれないけど。だから今回の滞在は、次へのスタートにもなったかなと。

お互いに聞きたいこと

中谷→永澤「これからやってみたいことは?」

中谷:「演劇と居場所作り」が結びつく可能性について、今回実際の例をいくつか見てみて。永澤さんはこれからやってみたいことはありますか?「場作り」に自分も関わりたいとか、そういうことについての研究を進めたいとか。

永澤:そうですね。上田では、本当にたくさんの方に出会いました。滞在中にリベルテで、「THEATRE for ALL」の映画の上映会があって、担当の方と話す機会がありました。皆さん、東京の方でアートマネージャーやってたり、コミュニティを作ったり。他にも、のきしたや上田子どもシネマクラブの皆さんと話すにつれ、「ここも行ってみたらいいんじゃない」とか、「ここもきっと面白いと思うよ」みたいな、施設とか場所をたくさん紹介していただいたんです。これまで全然外に繰り出してなかったな、と気づきました。行ける範囲では行ってみたりしてたんですけど、まだまだいっぱいあるな!と。
とりあえずコンタクトをとって、私の興味に近い活動をされている人にもっと話を聞きに行きたいなと思いました。あと、分野を横断した取り組みに関心があります。演劇は演劇、みたいな一つの分野だけじゃなくて、職種とか属性とか関係なく、関係性やコミュニティを作っていけるようになったらいいなと。自分の関わり方はまだわからないですけど、そういう動きが出てきたらすごくいいし、自分も何かしらの形で貢献できるように、目の前のことに追われるだけじゃなくて、長期的に考えて、いろんなことを吸収していきたいなって思いました。

中谷:これからの研究が楽しみですね。

永澤→中谷「今回の滞在を経て、展望はありますか?」

永澤:私の中谷さんのイメージとして、演劇をやってる人たちだけじゃなくて、子どもだったり、市民の人、普通に生活してる人とかとお話したり、交流したり、一緒に作品を作ったりしてこられたような印象を持っていて。そんな中谷さん的な展望というか、大きなことじゃなくていいんですけど。今回の滞在を経て、こういうことをしていきたい、みたいなのあったりしますか?

中谷:うーん……この滞在を経て目標が定まったというよりは、自分の今やっていることとか今後やってみたいことに照らし合わせて、可能性を考えていた感じです。この1週間、たしかにいろんなことがあったけど、私にとってはまだわからない、ていうのが正直な気持ちなんですよね。何かわかった風なことを言ったときもあったけど、ついさっき(笑)。

――  まぁ、それは過去のことですからね(笑)。

中谷:だからこそ、もう1回行きたいと思ってて。点というよりは線で、線よりは面で見て、はじめて何かが見えてくるものもあるかなと。今回はゲストとしてお邪魔して、受け止めることで精いっぱいだったから。少しでも自分がそこの一員だと思えるようになるまでは、それがどうだ、みたいな話っていうのはなかなか難しいなって。今度はお客さんとしても足を運んでみたいし、おすすめしてもらったお店にも行きたいなと思う。上田市外にはほとんど行けなかったので、周辺の地域にも行ってみたい。一度きりではなく、何回も会いたいなって思う。当時の自分だけじゃなくて、全然違うときの自分に、この場所に会ってみてほしい。
私達二人以外の人があそこに行っても、また全然違うことを思うかもしれないですね。今回、本当に素敵なご縁をいただいたので、見続けて、関わり続けたいなと思いました。
永澤さん、また上田に行きましょうね!

永澤:行きたいです!

―― 本日はありがとうございました。

おかげさまでソノノチは結成10周年。まだまだやりたいことがたくさんあります。 ぜひサポート・応援をお願いします。 応援いただいた金額は、ソノノチの創作にまつわる活動に大切に使わせていただきます。