ニューオーリンズの「二重意識」— セカンド・ライン、ディキシーランドとR&B

これまた、数年前に日本アメリカ文学会の中部支部大会シンポジウムというところでの発表のプロシーディングス。

「ポピュラー音楽を通して<読む>複数のアメリカ」というタイトルのシンポジウムで、メンバーは久野陽一さん(現・青山学院大)、エドガー・ポープさん(愛知県立大)、南田勝也さん(武蔵大学)と、私以外は超豪華メンバーでした。

このときの南田さんの発表内容は、その後で出たオルタナティブロックの社会学』につながっています。

それにしても、このプロシーディングス、やたらと長い。A4で4ページくらい。たぶん『中部アメリカ文学』に掲載されたものだと思うが、こんなに書いたの、自分でも忘れてた。

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 アフリカン・アメリカン文学研究における「アフリカ」は、これまでその地域性や内部の差異を無視した、イメージとしての「アフリカ」にとどまっていた、とPaul Oliverは述べている。例えばToni MorrisonのThe Song of Solomonと伝承詩人のグリオとを結びつける論考で、そのグリオの地域性にまで言及しているものは少ない。

 グリオとは、西アフリカ(セネガル、マリ、ギニアなど旧マンディンゴ帝国地域)を中心に活動する、世襲制の伝承詩人・音楽家であり、幼少より特殊なトレーニングを受け、部族や国家の歴史を語り継ぐ役割を担うものである。アフリカの中でも、とくにイスラム教の影響を受けた文化圏に多く存在し、一般大衆から畏怖と尊敬の対象とされている。ユッスー・ンドゥール、サリフ・ケイタなど、グリオとしてのトレーニングを受け、ポピュラー音楽の世界に転じた歌手もいる(サリフ・ケイタは、マンディンゴ帝国の創設者一族の直系の子孫である)。このようなアフリカの中の一地域、特定の文化と結びついたグリオが、アメリカの黒人文化に接続されるためには、ワンステップもツーステップも必要であることは言を俟たない。

 またオリヴァーは、アフリカ音楽にブルースの要素は希薄、あるいはその逆であるとも言う。一般的なアフリカン・アメリカン音楽の特徴として、①コール・アンド・レスポンス形式、②集団コーラス、③パーカッシブなサウンドがあげられるが、一方グリオの音楽には①独唱、②弦楽器の伴奏、③リズムとメロディーの両方を紡ぎ出すトーキング・ドラムなど、全く異なる特徴がみられる。そもそも、広大なアフリカ大陸を一括りに捉えること自体に無理がある。このような「アフリカ」とは現実の土地ではなく、「アフリカ」のイメージ、フィクションとしてのアフリカでしかないのではないか。

 ではなぜ、アフリカン・アメリカン文化におけるアフリカン・ルーツは殊更強調されなければならないのか。それはアフリカン・アメリカン文化のAuthenticity(真正性)に関わる問題だからである。

 Paul Gilroyは、アフリカン・アメリカン文化の研究がナショナルな枠組みに捉われている限り、ethnocentrismの罠に落ち込んでしまう、このエスニシティを絶対化する思想が、フィクショナルな起源としてアフリカやプリミティブな部族共同体を捏造する、というメカニズムを明らかにしている。ギルロイはトランスアトランティックな視線によって、authenticityではなくhybridityが評価され、交通とコミュニケーションによって生み出された豊かな黒人文化を見出すことが可能になる、としている。

 本発表では、このような問題意識から、ニューオーリンズというまさに交通の要所で生まれた多様な音楽文化について注目し、アフリカン・アメリカン音楽とauthenticityの問題を再検討した。ニューオーリンズはいうまでもなくジャズの発祥地であり、その後のアメリカのポピュラー音楽に道筋をつけることになる場所でもある。

 ニューオーリンズとジャズの関係、ジャズの誕生についての公式見解は、おそらく未だにLeRoy Jonesによるところが大きい。

(1)フランス領だったルイジアナでは、イギリス植民地に比べ人種差別意識が相対的に弱く、そのためヨーロッパ人とアフリカ人の混血である”Creole of color”が多く誕生した。

(2)クレオールはどちらかと言えば白人に近い地位を享受し、音楽についてもヨーロッパ的な音楽教育を受け、その音楽に馴染んでいた。

(3)1803年のルイジアナの割譲、そして南北戦争による南部の敗北と再建という19世紀の歴史を通じて、クレオールはその地位をはく奪され、黒人並みの扱いを受けるようになる。そしてクレオールは否応なく黒人たちと混じり合って行く。

(4)その結果、ヨーロッパの音楽的教養を背景に、アフリカ的リズムや音階を取り入れたクレオールたちが生み出したのが、ジャズである。

以上が、ジョーンズの描くジャズ誕生のコンテクストである。

 ジョーンズも、中村とうようや鈴木啓志のような日本の音楽評論家も、ジャズがクレオールの音楽であることに着目し、そのアイデンティティの発露としてジャズを位置づけた。

 中村とうようは、ジャズが自然発生的ではなく意識的に生み出された音楽であるとし、そのゆえに固有の形式や様式を持たない、純粋な方法論としての音楽へと発展したと考えている。また鈴木もこの中村の史観を踏まえたうえで、ジャズが元々芸術への志向性を備えていたとして、モダンジャズ以降の展開を歴史的必然として捉えている。そこに共通するのは、没落したクレオールがその屈辱をバネに、純粋な黒人との差異を音楽上で表現したのがジャズである、という図式である。

 一方この裏返しとして、プリミティブで部族的な起源をもった音楽こそが真正(authentic)な黒人音楽であるとする価値観も根強い(中村や鈴木は、彼らがAuthenticなBlack Musicと考えるBluesやR&Bの優位を強調するために、JazzがArtificial、人工的で不自然なものであることを強調しているようにも見える)。

 例えばZola Neal Hurstonは19世紀後半に欧米で演奏旅行を行い、人気を博した黒人のコーラスグループ「フィスク・ジュビリー・シンガーズ」に対して、「技巧的でinauthenticだ」と批判するが、その裏返しとして民衆の声を直裁に表現する黒人本来の音楽の姿があったはずだとするハーストンの姿勢は、ジミ・ヘンドリックスを黒人音楽の歴史から排除しようとするネルソン・ジョージに通じる、とギルロイは指摘する。

 またクインシー・ジョーンズが現代のラップを安易にグリオの伝統に接続し、また恣意的にブラジル音楽を搾取しているとして、ここにも黒人音楽の「真正性」に拘ることによる弊害を見る。

 ニューオーリンズの音楽を語るジョーンズらが見落としていた、あるいは軽視していたのが、ニューオーリンズという土地における、とくに非白人同士の交流とmiscegenationの問題である。またそれと並んで指摘しなければならないのが、ニューオーリンズにおけるもう一つの音楽的伝統である。この、R&Bに連なる「セカンドライン」と呼ばれる独特のリズムを兼ね備えた黒人音楽の歴史が、ニューオーリンズ音楽を語る上で欠かせない。

 ジェイソン・ベリーらはニューオーリンズの音楽の特徴としてまず第一に、そのリズムを挙げている。この独特のうねるような、もたつくようなグルーブ感あふれるリズムが、セカンドラインと呼ばれるものである。もとはブラスバンド(ファーストライン)の後について踊る人たちの列を指す言葉だったが、このセカンドラインが様々な鳴り物を使って微妙にずれたリズムをかき鳴らし、そのずれがまた微妙なグルーブを生み出した、というのが一般的なセカンドラインの説明になる。

 ニューオーリンズでは、音楽に関わる家系、一族が多い。現代で最も有名なのはNeville Brothersであろう。彼らの伯父のGeorge Landryは”Big Chief Jolly”と名乗り、自らのグループ「ワイルド・チャパトゥーラス」を率いたマルディ・グラ・インディアンであった。

 マルディ・グラ・インディアンとは、マルディ・グラに登場するブラック・インディアンであり、最初のマルディ・グラ・インディアンとされるBecate Batisteが率いたチームが”Creole Wild West Tribe”と名乗っていたことからも明らかなように、ワイルド・ウェスト・ショーの影響下に生まれたスペクタクルであった。現在もマルディ・グラ・インディアンを演じるのは、両者の血をひいてはいてもふだんは黒人としてのアイデンティティと生活様式を持ち、マルディ・グラのときにインディアンに扮する、という黒人が多いようであるが、その意味では、純粋に両者の文化の融合から生まれたというよりは、黒人側がインディアン文化をappropriateして誕生した文化現象、と考えた方がよい。

 ただ、黒人とネイティブ・アメリカンは歴史的に、少なくともニューオーリンズを含むカリブ海文化圏においては、かなり密接な交流があったことは間違いない。植民地時代のニューオーリンズでいずれも植民者によって抑圧される立場にあったこと、精霊信仰のような宗教的共通点を持っていたことなどが、両者が接近した理由である。

 またニューオーリンズ周辺では他の北米地域と異なり、黒人奴隷はプランテーションでの農業労働よりも家内労働に従事する割合が多かったため、多民族から隔離されずに交流を持つことが可能だった、という事情も、両者の接近を後押しした。

 ギルロイのブラック・アトランティック史でもきわめて重要な地位を占めるハイチ革命や、アフリカン・アメリカン文化の代名詞とも言うべきブードゥー教の成立にも、インディアンが深く関わっていたことも明らかになってきている。

 そうした交流の結果、両者の人種的混交も進み、19世紀終わりにはBlack Indianを示すGriffonという言葉も公式に使用されるようになっている。いずれの民族もtribe(部族)を基礎とし、chief(酋長)を頂点とする階層共同体を構成していたこと、アニミズム的精霊信仰を持っていたこと、大地に根差した生活スタイルと、パーカッシブな音楽など、多くの共通点があったため、両者の文化の融合はさほど困難ではなかったかと思われる。

 現代もマルディ・グラ・インディアンは、マルディ・グラの重要な一部となっているが、その音楽が注目を集めるのは1970年代、先のワイルド・チャパトゥーラスのChantが録音され発売されたころからである。なぜ急にその時期に注目されたのか、その経緯を辿っていくと、ニューオーリンズの黒人音楽、R&B史と密接に関わっていることが分かる。

 1949年、Professor Longhairが”Mardi Gras in New Orleans”など4曲を録音して発表する。それ以降ルンバやカリプソなど、カリブ海音楽の要素を併せ持った独自のR&Bとして、ニューオーリンズの黒人音楽が意識されるようになるが、その後もAllen Toussaintのような都会的なR&Bと並んで、Fats DominoやLittle Richardなど、R&Bとロックンロールの橋渡しをするアーティストが登場するなど、その豊かな音楽文化が徐々にその姿を明らかにしていく。

 そのニューオーリンズのR&Bに対する評価を決定づけたのが、1967年にデビューしたDr. Johnで、その4枚目のアルバムGumbo(1972)には、マルディ・グラ・インディアンのレパートリーを含むニューオーリンズの伝統的な楽曲が数多く収録され、さらに次のアルバムIn the Right Place (1973)ではニューオーリンズのR&Bファンク・グループMetersをバックに迎え、その独自の音楽世界を世に広めた。

 このMetersも60年代の終わりから活動し多くのヒット曲をもつグループであるが、彼らのファンクビートが、「セカンドライン」の典型とされ、ニューオーリンズ・サウンドの代名詞となっていく。そのメンバーの一人がキーボードとヴォーカルのアート・ネヴィルであった。1976年に、このアートの叔父の”Big Chief Jolly”率いるWild Tchoupitoulasがレコードの録音を行うことになり、このレコーディングのために自分の兄弟たちに声を掛ける。そこに集まった4人、アート、チャールズ、アーロン、シリルが翌年、Neville Brothersと名乗り、活動を始めるきっかけとなったのが、このアルバムである。

 Neville Brothersはニューオーリンズの伝統の正統的継承者であると同時に、マルディ・グラ・インディアン、つまりブラック・インディアンに連なる家系の出身である。つまりニューオーリンズ音楽は元々、クレオールによるジャズもそうだったように、二つの文化、人種が出会ったところから生まれたハイブリッドな文化なのである。しかもクレオールとブラック・インディアン、まったく異なった系譜に属する共同体が共存しそれぞれの文化を育んできた、という意味で、いわゆる純血性にAuthenticityを求めるエスノセントリズム、ブラック・ショービニズム的思考とは一線を画したところに、その価値を見出すことができるのである。

 ネルソン・ジョージの著作やトリーシャ・ローズの『ブラック・ノイズ』(1994)、W.T. Lhamon Jr.のRaising Cain (1998)など、黒人音楽から生まれた、あるいはそれを視野に入れた優れた文化的研究は今も生まれている。音楽を無視して黒人の文学や文化を語ること、それもAuthenticなブルースやジャズ、あるいはヒップホップのような現象に捉われず、より幅広く豊かな黒人音楽の世界に触れることで、新たな視野が開かれるはずである。

参考文献

Berry, Jason, Jonathan Foose & Tad Jones. Up From the Cradle of Jazz: New Orleans Music Since World War II. Athens, GA: The University of Georgia Press, 1986.

George, Nelson. The Death of Rhythm & Blues. NY: Plume, 1988.

Gilroy, Paul. The Black Atlantic: Modernity and Double Consciousness. Cambridge, MA: Harvard University Press, 1993.

Jones, LeRoi. Blues People: Negro Music in White America. NY: William Morrow & Co. Inc. 1963.

Lichtenstein, Grace & Laura Dankner. Musical Gumbo: The Music of New Orleans. NY: Norton, 1993.

中村とうよう. 『大衆音楽の真実』. ミュージック・マガジン、1986.

Oliver, Paul. Savanna Syncopators. 1970. ポール・オリヴァー. 『ブルース―アフリカ』. 諸岡敏行訳. 晶文社、1981.

Palmer, Robert. Deep Blues. NY: Penguin, 1981.

鈴木啓志. 『ブルース世界地図』. 晶文社、1987.

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