Tadashi Nagasawa

表の顔はアメリカ文学者&女子大教員。裏の顔はSFファン(おたくの域には達せず)。

Tadashi Nagasawa

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    過去の書評や解説をここにまとめてみます。

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世界SF大会「NIPPON 2007」報告(2007)

*以下の文章は、時事通信社の求めに応じて、2007年に横浜で行われた世界SF大会「NIPPON 2007」について寄稿したものだ。地方紙に配信され、私の知る限りでは、「アニメ文化は日本研究導入部ー「世界SF大会」横浜で論議」と題して、静岡新聞などに掲載された。もう十数年前の記事なので、内容的にはいささか古めかしくはあるが、私のSF研究の基本的なスタンスと認識がここにあるので、あえて再掲させていただく。 第六十五回世界SF大会が八月三十日から九月三日にかけて、横浜市で開催され

    • 戦争を無意味化する「時間」――ドン・デリーロ『ポイント・オメガ』

       米サンディエゴから車で約2時間半の砂漠の町、アンザ=ボレーゴ・スプリングス。そこに住む批評家ラリイ・マキャフリイを訪ねるため、評者も何度も足を運んでいる。  10年ほど前だったろうか。そのラリイが「この間、ドン・デリーロがここに遊びに来たのだよ」と教えてくれた。そしてこのアンザボレゴ(と本書では表記される)を主な舞台としてデリーロが書き上げたのが本書「ポイント・オメガ」だ。  映画作家ジムは、かつてイラク戦争に深く関わった政治学者エルスターの記録映画を作るため、今は第一線

      • 三崎亜記『廃墟建築士』(集英社)書評

        *これも時事通信社より依頼された地方紙向け書評。再録に際して若干手を加えました。  文学とは世界との違和感の表出である。現実と意識のズレにさいなまれるものが、その「ズレ」に促され文学を書き、あるいは読む。さらに現代の文学は「ズレ」そのものに魅せられ、さまざまな意匠を凝らして「ズレた」世界を描くものも多い。  三崎亜記も、原因と結果、目的と手段などが転倒した「ズレた」世界を描きだす作家だ。そのあざやかな着想は、建築を主題とした四つの中短編を収めた本書でも健在である。「七階」を

        • 三浦玲一 『ポストモダン・バーセルミ――「小説」というものの魔法について』(彩流社)書評

          *本稿は『英語青年』(研究社)に寄稿させていただいた書評の再録である。おそらく私が『英語青年』に書かせていただいた最初の原稿ではないかと思う。また、この書評は故三浦玲一さん直々のご指名であったことを、後にご本人から伺った。大変光栄なことと感動したことをよく覚えている。 『ポストモダン・バーセルミ』(以下『PB』)は本邦初の本格的なドナルド・バーセルミ研究である。そして同時におそらく現時点で望みうるもっとも包括的なポストモダニズム論のひとつであろう。そしてこれは、じつは稀有な

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        世界SF大会「NIPPON 2007」報告(2007)

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          13本

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          Takayuki Tatsumi, 『Full Metal Apache: Transactions Between Cyberpunk Japan and Avant-Pop America』(2006) 書評

          *本稿はたしか、『英語青年』(研究社)の書評欄に掲載していただいたものだったと記憶している。巽孝之氏のそれまでの仕事の集大成としてデューク大学出版局から発行された本書は、今でも(あるいは今でこそ)読まれるべきものだろう。ということで、あえて再掲させていただいた。  あなたは「なぜ日本人なのにアメリカ文学を研究しているのか。なぜ日本文学を学ばないのか」と質問されたら、どのように答えるだろうか。私は先日ある場所で、旧知の大学院生からこう尋ねられた。彼女自身が留学中、ことあるごと

          Takayuki Tatsumi, 『Full Metal Apache: Transactions Between Cyberpunk Japan and Avant-Pop America』(2006) 書評

          フィッツジェラルドと映像/音のテクノロジー(要旨)

          本稿は、The F. Scott Fitzgerald Society of Japanででのシンポジウム(於成蹊大学、2012年4月)での発表内容をもとに、同ニューズレター第27号(2012)に掲載された報告の再録である。このニューズレターも入手困難な状況のようなので、ここに再掲させていただいた。  F. S. Fitzgeraldの作品のいくつかの場面を想起してみよう。たとえば『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby, 1925)から、ギャツビーの遺体

          フィッツジェラルドと映像/音のテクノロジー(要旨)

          そして笙野頼子は発見される――近代の限界に出現した〈アヴァン・ポップ〉の共振

          *本稿は、今はなき雑誌『論座』(朝日新聞社)の2008年6月号の小特集「笙野頼子 文学の力」に寄稿させていただいたものに加筆修正を加えたものです。もう雑誌が廃刊になって久しいので、再録させていただきました。  アメリカの現代文学研究者ラリイ・マキャフリイは1990年代初頭、モダン/ポストモダンという時代区分にかわり「アヴァン・ポップ」という概念を提唱した。バブル末期の日本で爛熟した後期資本主義システムの空虚さとメディアの無責任な狂騒を目の当たりにし、ハロルド・ジェフィ、マー

          そして笙野頼子は発見される――近代の限界に出現した〈アヴァン・ポップ〉の共振

          『絶対帰還。』クリス・ジョーンズ著(光文社)書評

          *本稿も、時事通信で書かせていただいた書評の再録です。本稿で触れている本書の内容に一部誤り(ないしは誤解)があることを、SF翻訳家の大野典宏氏にご教示いただきましたが、初出のままの収録とさせていただきます。  アポロ十一号の月面着陸は私が六歳のときだ。その後長い間、宇宙開発とは「未来」「進歩」と同義語だった。その一方でアポロ一号の惨事や十三号の危機、スペースシャトルの二度にわたる爆発事故など、そこにはつねに危険や犠牲がつきまとうことも学んだ。本書の原語の副題「宇宙における生

          『絶対帰還。』クリス・ジョーンズ著(光文社)書評

          『マインド・ウォーズ 操作される脳』ジョナサン・D・モレノ著(アスキー・メディアワークス)書評

          *本稿も時事通信から地方紙に配信された(はずの)書評の再録です。新聞書評は時間が経ってからの再読が難しいので、このような形で少しずつ採録させていただきます。  インターネットが核戦争におけるダメージコントロール研究の副産物であることは、今ではよく知られている。だが「インフォームド・コンセント」も国家安全保障と関わる研究から生まれたそうだ。義肢などの運動補助器具の開発にも、DARPA(米国防総省国防高等研究計画局)が積極的に資金提供を行っている。こうした軍民共用技術の実態を、

          『マインド・ウォーズ 操作される脳』ジョナサン・D・モレノ著(アスキー・メディアワークス)書評

          『小松左京自伝 実存を求めて』小松左京著(日本経済新聞社)書評

          *本稿は時事通信社の依頼による書評です。時事通信社を通じて地方紙に掲載されましたが、多くの方に読んでいただけるように、ここに再録させていただきました。 *本書は2018年に小松左京全集完全版の第50巻として再刊されました。  人文・社会・自然科学の様々な分野に通暁し、半世紀近くにわたってその膨大な知見をSFとして披瀝してきた知の巨人。本書はこの小松左京の軌跡とその作品世界を余すところなく伝える。  「人生を語る」「自作を語る」という各部の題で内容は明らかだ。第Ⅰ部は日本

          『小松左京自伝 実存を求めて』小松左京著(日本経済新聞社)書評

          『二〇世紀アメリカ文学を学ぶ人のために』山下昇/渡辺克昭編(世界思想社)

          *本稿は日本アメリカ文学会発行の『アメリカ文学研究』に寄稿した書評の再録です。  本書は世界思想社の「学ぶ人のために」と題された叢書の一冊として刊行されたアンソロジーである。元来この叢書には、岩山太次郎氏編纂の『アメリカ文学を学ぶ人のために』(1987)がラインナップされていた。あとがきによれば、本書は当初その新版として企図されたが、「企画の段階でもっと現代に特化したものが求められていることを痛感し」、対象を20世紀に限定したということである。前著から約20年弱、その間にア

          『二〇世紀アメリカ文学を学ぶ人のために』山下昇/渡辺克昭編(世界思想社)

          『ささやき 立原透耶著作集 5』(彩流社)解説

          *本稿は、表題の作品集に寄せた解説のオリジナル原稿です。ぜひこの『ささやき』という作品の魅力を多くの人に届けたいと思い、ここに再録させていただきました。  立原透耶の代表作を収録する著作集、いよいよこの第五巻をもって完結である。その掉尾を飾るのはホラーテイストあふれる3篇、『ささやき』(2001)、『彷徨い人の詩 聞け、魂の祈りを』(2001)、そして『青の血脈~肖像画奇譚』(2013)。このうち『青の血脈』は、創土社の『クトゥルー・ミュトス・ファイルズ』というアンソロジー

          『ささやき 立原透耶著作集 5』(彩流社)解説

          「男らしさ」を笑い飛ばすこと~島本和彦『炎の転校生』

          マンガとジェンダーをめぐるる私の原体験は、小学校2年生の時にさかのぼります。私は、生まれて初めてもらった小遣いを握りしめ、何はともあれマンガ雑誌を近所の雑貨屋に買いに走りました。ですが、店頭に『少年サンデー』も『少年マガジン』もないことにがっかりして、それでも何かマンガを読みたい一心で『週刊マーガレット』を手にとりました。 そしてレジに向かったところ、店のおじさんは手渡された『マーガレット』を見るなり、「君は男の子でしょ。これは女の子の読むものだから、こっちにしときなさい」

          「男らしさ」を笑い飛ばすこと~島本和彦『炎の転校生』

          読書で人と人がつながる街に

          *これは2015年、名古屋市文化振興事業団が発行する「なごや文化情報」という冊子に掲載していただいた拙文です。市の公共施設で無料配布されていたらしいですが、すでに入手不可能だと思うので、ここに再掲させていただきます。ちょうど秋だし。 「燈火稍(ようや)く親しむ可く/簡編卷舒(けんじょ)すべし」。「秋になって日が短くなったら、灯りの元で書物を開こうよ」という、唐の詩人韓愈(かんゆ)のこの一節が、「読書の秋」の由来だそうです。そろそろ読書の季節ですね。そしてせっかく本を読んだな

          読書で人と人がつながる街に

          ニューオーリンズの「二重意識」— セカンド・ライン、ディキシーランドとR&B

          これまた、数年前に日本アメリカ文学会の中部支部大会シンポジウムというところでの発表のプロシーディングス。 「ポピュラー音楽を通して<読む>複数のアメリカ」というタイトルのシンポジウムで、メンバーは久野陽一さん(現・青山学院大)、エドガー・ポープさん(愛知県立大)、南田勝也さん(武蔵大学)と、私以外は超豪華メンバーでした。 このときの南田さんの発表内容は、その後で出た『オルタナティブロックの社会学』につながっています。 それにしても、このプロシーディングス、やたらと長い。

          ニューオーリンズの「二重意識」— セカンド・ライン、ディキシーランドとR&B

          「ヘビメタ」はなぜ長髪なのか ―現代のマスキュリニティの複数性?―

          もうだいぶ前(10年近く前?)になるが、日本英文学会中部支部大会で、 「マスキュリニティと他者」というシンポジウムがあり、私もパネリストに加えていただきました。 この発表はまだ文章にしてないのだけれど、一応プロシーディングスだけは書いて『中部英文学』に掲載されました。ただ会員以外の目にはほとんど触れることがなかったと思うので、ここに再掲させていただきます。 ********************************************************

          「ヘビメタ」はなぜ長髪なのか ―現代のマスキュリニティの複数性?―