見出し画像

あとがき

はじめに

このあとがきでは、ハンバートハンバートさんの楽曲「ぼくのお日さま」を演奏するにいたるわたしの心情や、ここ数日の気持ちの波を書いています。


数日前くらいに、わたしは気持ちが落ち込んで、沈み込んで動かない状態でした。それはとても、一時的で
疲れるほどそんなに”こと”をしていないのに、なんだか疲れていて、頭も気持ちもうなだれて、リビングの床に寝ていました。

(過去動画のリビングキャンプのときとは、おなじ体勢でも光かたが全然ちがうな。)

あとになってわかったのですが、したいこと=やらなければいけない、という思考回路がいつの間にかできていたわたしは、
本来の”純粋にあれがしたい!という気持ち”を、”あれがしたいと自分が思っているんだから、やらなくては…” という風に計算して、不明な使命感を背負っていたようです。

それがしだいにつらくなってきて、“したいことをしていて楽しいはずなのに疲れていてなぜかつらくてうなだれている”ができあがっていました。

そうやって やらなければ と思いこんだことがすぐにはできなくて後で、後で、と見送っていたら、”したいと思ったのにできていないからやらないと”、がふえてキャパシティオーバーダウンとなりました。思い浮かんだことすべてやろうとする謎ストイックは、発動しがちでした。すべてとか、できなくても不思議じゃあないです、それが見えていなかったのが不思議です。でもそういうときもあったのでした。

ちーんとなったとき。わたしの場合、うなだれながら、ノートに思考を書いて自分のことを勉強することになります。
それもできないくらいの気持ちのうちは、寝たり、ぼーとしたり、泣いたり、します。制御がなくなっていきます。常識の枠がもろくなります。もろくなれる環境がありがたかったです。大声で歌える家や家にいながらひとりになれる車の中が。

snsとの距離が無意識に近くて、ネットワークでつながる人間や、自分のまわりにいる人間との距離感覚がおかしくなって、潔癖のように人と関わることが一時とてもおっくうにもなりましたが、そこは憧れている大学時代のクラスメイトの女の子を思い出して、彼女はsnsをほとんどやっていなかったので、
自分から鍵をかけたりして距離を置くことができました。ふ〜

そもそも、行動は、考えすぎているときはタイミングではなくて、あ!今…と気づいたら動いているそのときがタイミングであるほうが、わたしにとって楽なのだと、落ち込みを引きずって行った本屋で中島芭旺くんの本をみて思いました。

これもあとでわかったことですが、こういうなにもできなくなるうなだれる時間は、わたしの脳や体が、気づいてといわんばかりに
自分で希んで作っていました。ただただ、ねころがって、わからず泣いたり、映画を見たりご飯を食べたり、そういうことをする自分を肯定しないのなら、
強行突破で体も心も動きませんから!って、感じだったのかもしれません。

制御がきかないのはやっかいだけど、そうしてしなないように生きてくようにしてくれているのはありがたい。


そこから一日二日かけての気持ちの上がりがあり、またすこしずつ変わっていく自分への気づきもあり、
好きな歌にもちゃんと出会え、気持ちの整理もついてきました。よかった〜

今日は今からカレー屋さんに行きます。
おなかをすかすので、すこし踊ってから、行ってきます。

さいごに、画中の絵は、かぞくの絵です。


画像1


読んでくださりありがとうございました。

#sonotohri

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?