犀の角のように独り歩む——『ブッダのことば—スッタニパータ』を読む
「犀(さい)の角」という例えは、「独り歩む修行者」「独り覚った人」の心境や生活のことを言っている。「犀の角のごとく」というのは、犀の角が一つしかないように、道を求める者は、他の人々からの介入や言葉にわずらわされることなく、ただひとりでも自分の確信にしたがって暮すようにせよ、という意味である。
インド思想の特徴の一つが内向的・内省的であるということである。これは例えばポリス的生活を理想としたギリシャ思想などとは著しい対比をなしている。ひとり沈思して自己を反省し、人間主体の深奥に入り込み、直観的に絶対の主体を把捉しようと努めるのである。
他人と交わることで執着が生じる。遊戯や歓楽のようなものに煩わされる。さまざまな欲望が生じる。貪り、いつわり、渇望、迷妄が生じる。「今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間はきたならしい」のであるから、犀の角のようにただ独り歩め、と述べている。
しかし、このスッタニパータでは、孤独なる修行を推奨しながらも、他方では共同生活を必ずしも否定していない。「人里はなれ、奥まった騒音の少ないところに坐臥せよ」と独りでの修行を推奨しながらも「善い友だちと交われ」とも言っている。「自己を守り、正しき念いもてサンガの中に住すべし」と言う。つまり、聡明なる友を得たならば、共に行ぜよ、もしもそうでなければ一人で遍歴せよ、というのである。
ちなみに、西洋においても一角獣(ユニコーン)が神話などにおいて重視されている。犀は、アメリカのある童話によると、ナルニア国では一角の犀が重要な意義をもっている。なお中国には犀はいなかったので漢訳されるときに麒麟(きりん)になったようである。インドの伝統を遡ると、インダス文明の印章のうちに一角獣のすがたが表現されているという。
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