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実存主義とは何か

実存主義(existentialism)
20世紀を代表する哲学の1つ。人間の特質を実存と呼ぶ。広義ではヤスパース、ハイデガー、サルトル、マルセル等の実存(の)哲学(existential philosophy)と同義。狭義では1940年代後半から50年代のサルトルとその同調者の主張を指す。

『岩波哲学・思想事典』岩波書店, 1998, p.669

ドイツでは、ヤスパースの『世界観の心理学』[1919] がカント、キルケゴール、ニーチェの影響下で人間の「主観的な生」を実存と呼んだ。ハイデガーは『存在と時間』[1927] でヤスパースの前書の努力を実存論的人間学と呼ぶ。自らも人間すなわち現存在の存在を気遣いないし実存と呼んだ。

自分の哲学を実存哲学と呼ぶのはヤスパースの『現代の精神的状況』[1931] が最初である。ヤスパースは、実存を明らかにするのは(ハイデガーが行うような)科学的対象化的方法によってではなく、「実存開明」(Existenzerhellung)、すなわち実存の諸可能性を呼び覚まし直接に訴えることによって明らかにしようとした。

1930年代にドイツの実存哲学はフランスに伝わった。サルトルは1943年に『存在と無』を刊行し、ハイデガーの現存在を人間的な実在(la realité humaine)と訳し、ハイデガーの現存在の特徴づけを意識すなわち対自(pour soi)の説明に適用した。

戦後サルトルは、主観主義者・実存主義者という批評の言葉を逆手に取り、1945年の講演「実存主義はヒューマニズムであるか」で、自らの哲学を実存主義と呼んだ。その主張とは「人間は人間的な主観性を超えることは出来ないが、人間は自らを選ぶことにおいて人間の全体を選ぶ。私を選ぶことにおいて私は人間というものを選ぶのであり、我々の責任は人類全体を拘束する」と説いた。また「実存は本質に先行する」ということ、その意味において、人間は主体性から出発しなければならないとした。
1943年以来のサルトルの狙いは実存の哲学、人間の存在論、人間学の建設であり、その動向下での実存主義の宣言であった。

ハイデガーはサルトルの実存主義の考え方を受けて1946年の冬に『ヒューマニズムについて』[1947, 1949]を著し、新しい存在の思索を、サルトルの人間学への批判という形で語った。曰く、サルトルの思考は人間学の地平にあり、人間を主観とし他の一切を客観とする主観-客観関係の形而上学の典型である。しかし人間の人間性は近代の形而上学のように理性的で意志的な主体ないし主観に求めてはならず、「存在の明け透き(Lichtung)の中に立っていること」が「人間の出存(Ek-sistenz)」であり、この在り方が人間に固有なものである。

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以上、実存あるいは実存主義の考え方を、ヤスパース、ハイデガー、サルトルを軸として『岩波哲学・思想事典』の解説を要約する形で紹介した。その根本にあるのは「人間存在とは何か」あるいは「人間(性)の本質とは何か」という問いをめぐる思索である。そして、彼らに共通するのは、人間の本質をめぐる答えの提示ではなく、その開明のあり方の重視である。ヤスパースはハイデガーの「科学的対象化的方法」を批判していたし、ハイデガーはサルトルの「形而上学」的方法を批判していた。サルトル自身も、人間が主体的に自らを選ぶという、そのあり方自体を実存と呼んだのではないだろうか。

ちなみに「実存主義」の項目の解説は、ハイデガー研究者の茅野良男氏によるものであった。ややハイデガーの解説が詳しめになっていることは否めない。

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