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西田幾多郎の生命の哲学と動的平衡——『福岡伸一、西田哲学を読む』より

アウグスチヌスや西田幾多郎は、「現在には過去のみならず未来までもが含まれている」ことを既に洞察していた。岸壁上のクライマーの一挙手一投足のタイミングが「未来」になければ、現在のこの「今」に精神集中することさえままならないであろう。「先回り」という働きは、こうして、存在における「現在」ではなく、見込み上、必ずや「未来」へと向けられた実在性にこそ関わるのである。何故なら、生命における「実在」とは、存在という単に有る無しではなく、常にエントロピーに抗うが故に、「現在」がまさに「過去未来」に対して逆限定的に成立するからでこそあった。ここでこそ、有無の同時性が成立しているのである。分解は同時に合成であり、呼は同時に吸であり、生きることは同時に死ぬことである。

池田善昭・福岡伸一『福岡伸一、西田哲学を読む:生命をめぐる思索の旅』小学館新書, 2020. p.437-438.(池田善昭氏の「エピローグ」より、太字は原著では傍点)

本書『福岡伸一、西田哲学を読む:生命をめぐる思索の旅』は、西田哲学の専門家で哲学者の池田善昭氏と「動的平衡」理論の生物学者である福岡伸一氏の対談である。池田氏は、福岡氏の「動的平衡」が生命の本質であるとする理論を、西田哲学の「矛盾的自己同一」を基にした生命論とほぼ同じことを言っていると高く評価する。

そこでは「ピュシス(自然)」がキーワードとなる。ピュシスとは、ギリシャ語で「自然」を意味するが、これはロゴス(論理)と対極の概念であり、分析的な理解では捉えきれない全体としての実在を指す。ロゴスによって合理的に要素還元的に理解していく自然科学では、生命の本質は捉えきれない。福岡氏の動的平衡理論も、ロゴスを超える「ピュシス」としての生命を捉える理論であった。同様に、西田哲学においても、生命をピュシス的に見ている記述が多く見られる。例えば以下のような記述である。

全体的一と個物的多との、主体と環境との、内と外との矛盾的自己同一に、尾を噛む蛇の如くにして、生命というものがあるのである。

(『西田幾多郎全集』第11巻〜「生命」315-316頁 岩波書店)

西田の生命論は、生命という場において、相矛盾するものが同時に実在するというものであった。主体と環境、時間と空間、全体と個。そうした矛盾するものが同時に存在する場のことを、西田は「絶対無の場所」とか「意識の野」と呼んだ。これは、西田の主著『善の研究』でも述べられていた実在論でもある。西田の言う「実在」とは、物質的な「存在」のことではない。つまり唯物論とは全く異なるものである。西田の「実在」とは、ハイデガーの「現存在(Da-sein)」のごとく、存在の有り様そのものを示す。存在の有り様とは、西田哲学では「過去未来が現在に同時存在的」にあるという意味合いで考えられている。過去・未来の時の流れの中での「現在」とは、その流れの中に包まれつつ、区切れなくその流れを包むからである。西田はこのような「現在」のことを「永遠の今」とか「絶対現在」と呼んでいる

そして福岡氏は、このピュシスを捉える生命の動的平衡理論を、西田哲学の用語で逐一捉え直していく。例えば、動的平衡理論では、なぜ生命がエントロピー増大の法則に逆行できるのか(物質が無秩序さを増大させるという法則に抗って、生命はなぜ秩序を作り出すことができるのか)という説明に「先回り」という理論を用いる。それは、オートファジー現象のように、生命は自己組織の分解を「先回り」して行うことで、エントロピーを外部に「排泄」して、自らに負のエントロピーを生み出すという理論である。このことと、西田哲学でいう「逆限定」という概念がほぼ同じことであることが、福岡氏と池田氏のダイアローグで明らかとなっていく。この「逆限定」とは「矛盾的自己同一」ともほぼ同じ概念である。なぜなら、合成と分解のような空間的な矛盾だけでなく、未来と過去のような時間的な矛盾もはらむものだからである。生命とはある意味、未来を「先回り」することで、時間を作り出すものとも言える。そして、西田の「絶対無の場所」においても、相矛盾するものが弁証法的に実在(時間・空間)を生み出す。生命の本質とは、西田哲学でいう「絶対無の場所」であり「矛盾的自己同一」の存在であった。

しかし、なんという壮大な生命論であろうか。生命の定義は、これまでシュレーディンガーやベルクソンなどが非ロゴス的に取り組んできたとは言え、不完全な理論でしかなかった。また、現在の生命科学者や分子生物学者たちにとってはそもそもロゴス的にしか生命を捉えることができないため、彼らは生命の「本質」ではなく、その「属性」によって定義らしきものを挙げることしかできない。福岡伸一氏というピュシスを感得できる生物学者の理論と、西田幾多郎という日本独自の哲学者の理論が共鳴しあうところで、非常にユニークでかつ壮大な、ピュシスを捉える生命論が誕生したと言えるだろう。


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