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怨みに報いるに怨みをもってすることをやめる——『ダンマパダ(法句経)』より

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。——車をひく〔牛の〕足跡に車輪がついて行くように。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。——影がそのからだから離れないように。
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した」という思いをいだく人には、怨みはついに息(や)むことがない。
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

中村元『〈仏典をよむ〉2 真理のことば』岩波現代文庫, 2018. p.4-6.

最古の仏典の一つである「ダンマパダ(Dhammapada)」からの一節である。「ダンマパダ」とは、パーリ語で「真理・法(ダンマ)」の「言葉(パダ)」という意味である。監訳では「法句経」と言われる。パーリ語仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。「スッタニパータ」とならび現存経典のうち最古の経典といわれている。かなり古いテクストであるが、釈迦の時代からはかなり隔たった後代に編纂されたものと考えられている。

この聖典はとくに南アジアの諸国(スリランカなど)で尊ばれてきたが、いまでは世界諸国の言語に翻訳されている。日本では、明治維新以前にはほとんど読まれることがなかったが、大正年間に翻訳がいくつか著され、昭和になってからもさかんに読まれるようになった。全体は26章よりなり、423の詩から構成される。その詩句は人間そのものへの鋭い洞察に満ち、一つ一つが私たちの心の琴線に響いてくる。

本書『〈仏典をよむ〉2 真理のことば』の著者、中村 元(なかむら はじめ、1912 - 1999)は、日本のインド哲学者、仏教学者、比較思想学者であり、東京大学名誉教授。著書に『中村元選集』(春秋社)、訳書に『ブッダのことば』『ブッダ最後の旅』(岩波文庫)ほか多数。原始仏典(スッタニパータ、ダンマパダ)から、大乗仏典の数々、さらに密教経典まで、幅広い仏典の訳書・解説書を出していることでも知られている。

ダンマパダの引用した言葉においては「怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む」という永遠の真理が語られる。中村元は、この後の説明で、第二次世界大戦後に、サンフランシスコ講和条約時に、スリランカがわが国に対して賠償を要求することをしなかったことを付記する。スリランカの指導者たちは、仏典のこの句を引用して「戦いは終わったのだ。もはや〈怨みに報いることに怨みをもってする〉ということをやめよう」と言った。この教えは今日にいたるまで、南アジアの人びとの心に温かい気持ちを起こさせているといえるだろう。


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