コロナ時代のコミュニケーションに必要な「物語」——センメルヴェイスの悲劇から学ぶ
著者のカリ・ニクソン(Kari Nixon)は、ウィットワース大学の医療人文学の教員。『ハフィントンポスト』や『イエス!』誌、CNN.comなどで、一般読者向けに公衆衛生に関する研究を発表している。著書に、ヴィクトリア朝文学・大衆文化における人類の病気への反応の社会史を辿った"Kept from All Contagion: Germ Theory, Disease, and the Dilemma of Human" Contact(State University of New York Press 2020)などがある。
パンデミックにおいてなぜ人びとの意見が二分してしまうのかの事例として、産褥熱に対する医師の「手洗い」の必要性を主張し、当時の産科医や医学界からは受け入れられず、失意のうちに晩年を送り、最後は精神科病院で生涯を終えたイグナーツ・センメルヴェイスの物語が例として出されている(センメルヴェイスの話は、美馬達哉氏のパンデミックに関する書籍を取り上げた記事でも挙げている)。
センメルヴェイスが手洗いの必要性を訴えたとき、周囲の医師たちが抵抗を示したというのは、今から考えると驚きである。理由としてはいろいろと考えられる。19世紀の当時、まだ感染症に対する病原体説は有力でなく、医師たちの間にもまだ現在のような病原体-感染症モデルが頭の中にはなかった。また、センメルヴェイスのやり方は医師たちに「過激」に思えたという。一例として、さらし粉(次亜塩素酸カルシウム)溶液で約5分間、皮膚がぬるぬるしてくるまで両手を洗うように要求した。さらにセンメルヴェイスの説得の方法は当時としては斬新すぎた。彼は現代のような統計学的モデルを用いて、医師・医学生を中心とした産科病棟の死亡率と、助産師中心の病棟での死亡率を比較したのである。しかし、医師たちの間でさえ、統計学はまだ普及していなかったのである。
しかし、本書『パンデミックから何を学ぶか』の著者ニクソン氏は、もっと異なるところを強調する。人びとが何かを信じるためには、それが科学的事実であれ、人びとが受け入れられるような「物語」が必要ということだ。センメルヴェイスの時代、人びとにはまだ病原体が感染症を起こすという「物語」、あるいは医学的処置を行う前には手洗いが重要という「物語」がインストールされていなかった。さらには、科学的リテラシーが高い人ほど、自分の信念が正しいと思い込む傾向にある。つまりは、科学といえどもその「常識」は常に更新され、変わることがあるにも関わらず、人びとは自分が「科学的」だと思っている人ほど、自分が正しいと思い込む。そして、意見が二分したときには、なかなかその対立を越えられないのである。
ここから得られる教訓は、どのように言うかは、何を言うかと同じくらい重要であるということであり、人びとに何かを伝えようとするときに、科学的事実を単にデータにそって主張したり、大量の「エビデンス」を示すだけでは効果がないということだ。そのことを実感するための良い例として、19世紀のセンメルヴェイスの物語を思い出すことは役に立つ。なぜ、当時の医師たちが手洗いすることを受け入れられなかったのかを考えることは、今回のパンデミックにおいて、なぜ一部の人びとがマスクをすることを拒むかや、ワクチン接種に拒否反応を示すのかを考えることにも十分に役に立つだろう。
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