パレスチナ問題に思うこと②

【日本に住むものとして、日本とパレスチナ・イスラエル問題】

日本に住むものとして私は今回まず思ったのは、「関東大震災による朝鮮人虐殺の歴史を政府が堂々と否定するような、こんな歴史に背を向ける日本政府を、私たちが許してしまっていることが、大きくはパレスチナでの虐殺につながっているんだ」ということだった。もっと日本社会のことをしっかりやらなくちゃだめだ、そんな風に思された。

先日受けた岡真理さんの緊急セミナーの中で、韓国の光州事件のことを綴った文富軾さんの本「失われた記憶を求めて」から、この言葉が紹介された。

『忘却が次の虐殺を準備する』。 

私たちはガザの後(あと)にいるのではない、ガザの前にいる、忘却することで次のガザへの道をととのえている、と岡真理さんの言葉が心にささる。

日本が決定したパレスチナへの資金援助は、もちろん欠かせない貴重なことだと思うが、イスラエルへの戦争犯罪を糾弾しない中でのそれは、根本的な解決にはならず欺瞞にすら思える。SNSで誰かが「底の抜けたバケツに、穴をふさごうとせず水を注ぐようなものだ」と書いていて本当にそうだと思った。
また先日パレスチナを巡る国際社会の動きを表す、ストーリー仕立てのこんな短い映像をみた。
それは2人の男性が1人に暴行を加えている。そこにまず2人の男性に金を渡す人が現れる。つぎに別のもう一人の男性がきて、「STOP、彼はお腹がすいているんだ」といって暴行されている人のそばに林檎を1つ置き、「じゃあね」と笑顔で去っていく、という内容で映像に添えられた言葉は「援助は停戦ではない」だった。
この林檎を差し伸べる姿は日本そのものだと私は思った。イスラエルの戦争犯罪を糾弾せず、資金援助だけして結果欧米の姿勢に加担している今の日本政府の姿だ。

先日G7首脳がイスラエル支持で一致し、笑顔で映る各国首脳の写真があった。おぞましいと思った。イスラエル支持とは言わずとも、沈黙する日本は加害に加担しているも同じだ。

でも欧米の各国首脳とは違い、今アメリカやヨーロッパ各国で、また南アフリカやマレーシア、ブラジルなどその他多くの国で何万人、何十万人規模でのイスラエル非難、パレスチナ連帯のデモが繰り広げられている。本当にすごい群衆のうねりの姿がそこにはある。またアメリカに住むユダヤ人達も大規模なデモをしていた。
また少数ではあると思うがイスラエル国内でもパレスチナ側にたつ人はいるが、ただ表明した人は、イスラエル政府に弾圧されている。

日本でも東京のイスラエル大使館前で、また名古屋や福岡でデモなどのアクションがされているのを目にした。関西では、10/28(土)に、BDS関西などが呼び掛ける【ガザ緊急アクション】が開催されるようだ。
もっともっと日本の中でその声が広がっていってほしい。

普段何もできていないし、パレスチナ問題に精通しているわけではない私が色々書いていて自分でなんとも言えないが、虐殺を止める声をあげるのに資格なんていらないと思う。ただ人間でありさえすればいい。

ひとりひとり毎日の生活がありそのことで精いっぱいだと思うけど、何でもいいので何かひとつ、今より少し、できる事をするきっかけが増えていければといいなと思う。

「知る」ということはやはり、その第一歩だと思う。