おじさんが好き

私はおじさんが好きだ。

私は親族が好きだ。

この好きとはどんなことか。

私は彼らがどんなことを考えているのかよく知りたいし、彼らに求めらるような若者でありたいということ。

彼が求めるもの、特に承認に対する欲求や自ら情熱を傾ける対象。 それはなんだろう。

なぜそんなことに興味がわくのか。

私もいずれおじさんになるから。

私は年を取ることに絶望している。

そんな中でいかに希望を見出すか。

そのヒントをおじさんに求めているのだ。

IT社会についていけないおじさん。

講釈を垂れて嫌われるおじさん。

情弱すぎて搾取されるおじさん。

なんとなく威圧的で嫌われるおじさん。

カリスマとして愛されるおじさん。

自虐で嘲笑されるおじさん。

どんなおじさんになりたいだろう。
どんなおじさんにならなれるかな。
どんな風に今を生きたらいいだろう。

ひたすら金を稼げばいいかな。自分の好きを貫くべきかな。
そんなヒントをおじさんからはもらえる気がしている。

同級生と話すときは非常に視野が狭くなるが、おじさんと話すと視野が広がる。
違うフィールドから自分を眺めるようでとても面白い。

そうだ、思い出した。
書き出しにおじさんと親族が好きと書いたけど親族の話を抜かしてた。

父、母、祖父、祖母、叔父、叔母
皆、私にそっくりである。

私の青写真といっても過言ではない。

私は父ととても仲良しだ。

父のために私は奉仕するし、父は私を信頼してビジネスを任せてくれる。

同じ会社に勤める父と私は公使ともに良き理解者である。と思いたい。

父の悩みは私へのアドバイス。私の悩みは父の思い出。

これからも研究の余地がある。

これはしがない22歳の憂鬱。


ちょっと話が変わるが、おじさんが好きな理由をちょっとシニカルに述べてみたが、それはちょっと感傷に浸って自分に酔っている表現。

正直、これがもっとも本能的な理由であるが、おじさんは僕を必要としてくれている。
まあ上記に関していえば私はおばさんも大好き。
おばさんと結婚したい。

なんというか、おじさん達には潔癖さがないし、話を聞いてくれてありがとうのような感謝の気持ちを感じるのがうれしい。

私に向かった気持ちよさそうに話をするおじさんを見てると自分に価値があると思わせてくれる。

さて、このままだとろくなおじさんになれそうにない。


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