「私はこれで成功したから」教育者の生存者バイアス
もうその教育、マネジメントじゃ通じないかもしれない。
誰もが避けられない生存者バイアス。
次世代を見据えたコミュニケーションの在り方とは。
皆さん、学生時代にこんなことを言われた経験はありませんか。
「こんなんじゃ社会でやっていけないよ」
「社会で生きていくには、、」
「俺が学生の頃は血反吐吐くまで頑張ってたけどね」
「今時の子は、、」
私も学生の頃、このような指導(?)をよく貰っていました。
生存者バイアスとは何か
人に何かを教える時や教えて貰う時、厄介なのがこの生存者バイアスです。
もちろん、過去の成功経験から学べることは沢山ありますし、そのエッセンスを他者に共有することは非常に素晴らしいことだと思います。
しかし、「自分の時はこうしたら上手くいった。だから皆もこうするべきだ」
このように思い込むのは危険ですし、それを一般論のように人に押し付けるのはもっと危険だと思います。
そもそも、失敗には典型例がいくつかありますが、成功には再現性が難しいケースが大半です。色んな要因が複合的に絡み合って結果に結びつくものです。でもなんか凄そうな先輩や上司が言ってたらそれっぽく聞こえてしまうものですよね(笑)
学校教育における生存者バイアス
特に、教育業界においては生存者バイアスの注意が必要だと思っています。
大人に比べ、子供は良いことも悪いことも素直に吸収します。
「自分が学生の頃は○○して上手くいったから、君たちも同じようにやればいい」と結論づけてしまうのは、客観的分析に欠けた無思考な教育だと思います。
問いに対する答えは様々で、子供の状況によっても大きく変わります。
自身の過去の成功法を子供に押し付けても、当然作用しません。
「社会で上手くやっていくためには論」
また個人的に少し疑問を抱くのが、学校現場で頻繁に語られる
「社会で上手くやっていくためには論」です。
前提として、教育に携わる人はかなり特徴ある人が多いです。
(少々攻めた言い方をしますが悪意はないのでご理解いただけると幸いです)
学校の先生を例に取り上げてみても、彼らは公務員です。国によほどのことがない限り、定年まで安定した収入を確保できるでしょうし、基本的には年功序列の世界です。その業界に身を置く人は、概ねの傾向としてやはり安定志向が強く、堅実な人が多いです。
そんな彼らが指す「社会で上手くやっていくためには」とは何でしょう。
「社会」の定義も、「上手くやっていく」の定義も、バイアスがかかっているのではと感じます。
あくまで私の主観ですが、このニュアンスで語られることが多い気がします。
「社会」とは
⇒「会社員ないし公務員」
「上手くやっていく」とは
⇒「人と円満な人間関係を築くこと」
⇒「上司に嫌われないで、信頼を獲得すること」
⇒「言われたことを誠実に遂行すること」
などというニュアンスではないでしょうか。
従来であればこのイメージで概ね通用したでしょうが、
今は果たしてどうでしょうか。
「社会」はかなりのスピードで多種多様に変化しています。
会社員や公務員だけでなく、起業家や投資家、SNSなどで生計を立ててる人も珍しくないです。Youtuberと言って笑われる時代は過ぎています。
「上手くやっていく」の定義も変わりつつあります。
年功序列も終身雇用も崩壊しつつあり、外国勢力もどんどん国内に流入してきています。
実力主義の風潮が高まり、自分より年配の人が部下になることもざらにあります。
他者の顔色を伺ったり、礼節を重んじるだけではなく、組織のために忖度なく上司に意見できる人が重宝されつつあります。
また、言われたことを遂行するだけの「真面目人材」は、残念ながら近い将来テクノロジーやAIに簡単に取って変わられます。
こういった社会背景を見据えて、「社会で上手くやっていくには」を語るべきです。教育者の教育スタンスは再考すべきと強く感じます。
教育が子供たちに与える影響はすさまじく大きいです。
もはや、過去の成功事例は一旦リセットして、子供達と一緒に「ゼロから新しく学び直す」くらいのスタンスでやっていかなければいけないんじゃないかという気がします。
まとめ
とは言いつつ、私もつい自分の経験談を前提に話をしてしまうことがあります。生存者バイアスってなかなか排除できないですよね。
大事なことは以下の2つだと思います。
話し手は生存者バイアスを入れすぎない
聞き手は内容を全て鵜呑みにせず、適度に吸収する
最後に
昨今取り上げられてるように厳しい労働環境の中、子供たちのために懸命に尽力されてる学校の先生方には頭が上がりません。
余談ですが、私は山田孝之さん演じる「ジョージア」のCM『世界は誰かの仕事で出来ている。』が大好きです。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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