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「最高の人生」4年•中尾 竜吾

こんにちは。

宮岡彩子から受けました。中尾竜吾です。
彩子は、何も言うことがないくらい完璧なのでとにかく将来幸せになってほしいです。
最後の1年はあまちゃんの話をたくさんしました。観てくれてありがとう。



引退ブログ、本来なら皆のように多くの言葉を使って4年間振り返るべきかもしれませんが、内容は薄めです。ご容赦ください。

小学校3年生で訳も分からないまま隣町のクラブチームに入団し、そこからサッカーに傾倒する日々を送ってきた。

中学生の時は、錚々たる相手と試合をして、「強いサッカー」を肌で感じては自分は下手なんだなとしみじみと感じた。少しずつ自信を失くしていった。


高校生では、サッカーを始めたての頃に見た憧れの舞台とは程遠い場所で3年間過ごした。トレシュー履いて1時間硬いタータンの上でボール蹴って、1時間コンクリートの上を走って終わり。3年間で勝ったのは2桁いかないくらい。チームを勝たせたいという一心だったけど、自分を追い込んでは腰痛による離脱を繰り返した。3年の8月、選手権予選の初戦。都立三鷹高校のグラウンドで奮闘する仲間をベンチから見守り、高校サッカーは終わった。チームを引っ張らないといけない立場にも関わらず本当に情けない姿だった。
夏まで続ける選択をしてくれた同期の5人には感謝しなければいけないけど、それ以上に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


どのステージでも自分なりに頑張っているつもりではいたけど、日を追うごとに理想の姿から乖離していく自分を肯定するのは難しいものがあった。サッカーが好きで、多くの時間をサッカーに費やしてきていたけど、あまりに実力が伴っていないから人に言うのも少し恥ずかしさがあった。
そして何よりサッカーを楽しめていなかった。
サッカー人生を肯定できる何かが欲しくて大学でもサッカーをやろうといつの日からか思うようになった。


そしてサッカー部に入れるからというだけの理由で上智大学へ進学した。
入部当初の自分に「3年の夏までサッカー続けて一般受験するのは学校の雰囲気的に難しいから成績とっておいた方がいいぞ」とアドバイスをしてくださった先生、ちゃんと成績とった自分には本当に感謝している。




入部してからは、「試合に出て、勝利という結果を出す」ことを目標に、どのカテゴリーにいるときも自分なりに全力でやってきたつもり。

2年の前期は特に苦しい時期で、言い訳できる環境だったけど自分にベクトル向けて頑張った。
ラスト2試合のタイミングになって都リーグでスタメン出場できたときは、初めて自分の努力でポジションを奪うことができて嬉しかった。
その試合での自分のプレーに関してはっきりとは覚えていないけど、及第点のプレーだったと記憶している。チームとしても無失点で勝つことができて、本当に楽しい90分だった。


それからしばらくして、
いつかのブログでも書いたが、「國學院高校出身の選手が試合に出ているから大丈夫だと思えた。」
と、隣の高校の選手が入部してくれたのは本当に選手冥利につきる瞬間だった。自分の頑張りが誰かの人生の中で、決して小さくはない決断の後押しになるとは思いもしなかった。今度は彼が試合に出て後輩に勇気を与えてほしいと切に願っている。

 

そして、大学サッカーのラストシーズンを迎える前、
多くの試合に出場して関東昇格したい、史上最高の上智を達成したい、そんな想いを持って迎えた。これまでのサッカー人生、勝つことがほとんどできなかったから、とにかく結果が欲しかった。より一層サッカーの為に時間を使うようになったし、選手としても成長することができたと思っている。毎週末の試合が楽しみな気持ちで1週間を過ごすことができたし、試合はもっと楽しめた。
学習院戦の雄太郎へのアシストは一生忘れないし、勝ってみんなと喜べたのは最高に嬉しかった。本当に幸せな時間を過ごせていたのだなと引退してから特に感じている。




ただ、最終順位は6位。
目標には届かなかった。本当に悔しい。長いことサッカーをやってきだけど1番悔しい1年間になった。後期の帝京大学戦なんかは、何日も引きずる悔しさだった。何が足りなかったのかを挙げ始めたらキリがないので控えるが、それくらいの差を感じた。


誇れる戦績は残せなかったし、目標を成し遂げて心の底から喜ぶような瞬間を大学サッカーでも味わうことはできなかった。ただ、何も試合の勝敗だけが自分の価値を決めるわけではないとも思えた。

試合に出るために色々なことを考え、苦労したこと。このチームを代表して都リーグの舞台で闘うことができたこと。高校時代では絶対に交わることのなかった、チームメイトや相手と同じピッチでサッカーができたこと。それぞれが想いを持って入部した仲間と頑張り抜いた4年間は本当に大きな大きな宝物になった。
それから、我を忘れるくらい全力で喜んだり、悔しがったり、落ち込んだり。サッカー以外では味わうことのないこの感情を味わうことができたし、自分を表現する為にサッカーは切り離せないものなのだと知れた。大学サッカーは素敵すぎる舞台だった。





そしてこれからのこのチームを担う皆んなには、より一層の成長と勝利を求めた逞しい人達であってほしいと願っている。

「都リーグに出場して、チームの勝利に貢献する」という目標を持って日々過ごしていても、現実が見えてしまう瞬間もある。というか練習を重ねるにつれて、そんな瞬間ばっかりだと思う。上手くいかない時もあるだろうし、周りに不満も持つこともある。そんなとき情熱を失うことで解決できてしまうけど、それでは何も得られないことくらい皆んなも分かると思う。

もがいて、もがいて、もがき切って、そのときどきの感情を大切にしながらここでの4年間を過ごして欲しい。1日1日は絶対に苦しくなると思うし、苦しんだからって勝負の世界では結果が出せるとは限らない。けれどそうやって過ごすことができたら、最後の最後に絶対に価値を見出せると思う。






最後になりましたが、

先輩方
本当に多くのことを学びました。何気ない会話からも色々なことを考えさせられ、そのおかげで成長することができたと思っています。ありがとうございました。


後輩の皆
自分の姿が皆んなにどう映っていたかは分からないけど、何か少しでもポジティブな影響を与えられていたなら嬉しいです。自分らの学年を踏み台にもっと高みを目指して頑張ってください。
仲良くしてくれた皆ありがとう。


同期へ
4年間ありがとう。みんなのおかげで凄く充実した時間を過ごせました。また皆んなに会うのを楽しみにこれからの人生頑張ろうと思います。末永くよろしく。





上智大学体育会サッカー部に入れて本当によかったです。

素晴らしい青春でした。

今はこれまでの自分のサッカー人生を誇りに思うし、これからもサッカーと共にある人生を歩んでいきたいと思います。

トレーロス、國學院高校サッカー部、上智大学体育会サッカー部、全て大切なチームです。
サッカーを通して僕と関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。





次は、一緒に副将を務めた土井源也です。ツッコミどころは多く後輩からもかなりイジられていますが、彼の熱量は全部員見習うべきものがありました。アツいブログ期待しています。

お楽しみに。

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