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TO BRESS A HAPPY CHILD

突如着弾した火炎魔法ファイジャが妖異の身体を爆炎で包み込んだ。名状し難い苦悶の声が闇夜の黒衣森に響き渡る。相対していた妖異狩りの女―――イズミは防御を解き状況判断する。焼け焦げ崩れ落ちた妖異の背後、魔法の残滓が煌めく木々の間に、長い髪の女が立っているのが見えた。

「そこの貴方!危なかったわねぇ。うふふ…もう大丈夫よ」

木の根を避けながら、まるでステップを踏むように女はイズミに近付いてくる。月の輝きが女を照らす。その切り揃えられた前髪と酷薄な笑みにイズミは覚えがあった。あの日もこんな血生臭い夜だった。イズミは抜刀を維持しながら女に呼びかけた。

「サチコ…?」

サチコと呼ばれた女は足を止め、訝しむ。自分の名を呼んだ相手の風体を改めて確認した。紫の短髪、アウラ・レン特有の白い角、開いた胸元と長いサッシュが目立つ軽戦士の装い、そして―――

「…その…刀ッ」

サチコの顔が驚くほど歪む。イズミは舌打ちし、叫んだ。

「違う!落ち着け!覚えてないのか!」

イズミは刀を鞘に収め、半身になってさらに続ける。

「お前、リンダさんとこのサチコだろう!私はアオバのイズミだ!お前の仇じゃない!」

「イズミ…リンダさん…はっ…はっ…そ、そうだ…」

サチコは荒い呼吸を必死に御そうとしている。イズミはそれを注意深く見守っていた。半年ほど前、イズミは狩りの最中にサチコと遭遇している。訳もわからず襲いかかって来たサチコをどうにか制圧し、身元を調べて雇い主―――リンダのところまで送り届けたのだ。

聞くところによればサチコはかつて家族を刀によって殺されており、今でも刀を見ると精神の均衡を崩してしまう、ということだった。イズミもまた妖異の一族に目をつけられた呪われた身である。過酷な運命に心を壊される辛さは身に染みていた。してやれることなど何もないが、いつかその心の傷が癒えるようにと願ってた。

イズミは視線の定まらないサチコの瞳を見据える。サチコは依然震えていたが、どうにか正気の淵で踏みとどまっていた。深呼吸を繰り返しつつ、大きく頷く。思い出した。言葉はなくともそう語っていた。それを見たイズミはようやく緊張を解き、安堵のため息をついた。一歩踏み出し、サチコのそばへ向かおうとする。

その瞬間、消し炭と化していた妖異の残骸が割れ、禍々しい闇色の炎が現出した。炎は一瞬の静止の後、サチコへと殺到する。イズミはすでに走り出していた。飛び上がり、サチコに憑依しようとする妖異に斬撃を叩き込もうとする。だが納刀した刀を抜き直すコンマ数秒が致命的な遅れとなった。

妖異から伸びてきた触手がイズミの刀を受け止め、彼女を宙空に繋ぎ止めてしまった。止められなかった闇の炎がサチコの身体を包み込んでいく。イズミは蹴りを繰り出し触手から逃れようとするが、その蹴りが届く前に触手は無造作にイズミの身体を振り回す。幼児が玩具を弄ぶように、小柄なアウラの肉体は大地に叩きつけられた。黒い刀だけが触手に突き刺さったままであった。

闇の炎がサチコの身体を包み込んでいく。やがて炎はスライムの如き半透明の肉を作り、サチコの左半身に巨大な腕を現出させた。おぞましい光景に震えるサチコは、しかしそれでも僅かに動く右腕に魔力を集め抗う。起死回生の魔力を解き放とうとした時、己の奇怪な左腕の中に黒く輝くものがあることを見つけた。イズミの「刀」だった。

向けられた刃が恐ろしい記憶を呼び覚ます。血に濡れた凶刃。倒れ伏す妹。何も出来なかった自分。血に濡れた凶刃。倒れ伏す妹。何も出来なかった自分。血に濡れた凶刃。倒れ伏す妹。何も出来なかった自分。

正気の糸が音を立てて千切れた。サチコは憎悪と悔恨の永久機関と化し、その肉体の支配権は完全に妖異のものとなった。おぞましい咆哮が黒衣森こくえのもりに響き渡る。

「クソッ…えげつない事やってくれるね…」

月明かりの下にイズミが戻ってくる。装束は泥にまみれ、頭から血を流し、しかしその眼光は強烈な怒りが宿っていた。

「人の心は…お前らの燃料じゃあないんだよ!」

イズミは徒手のまま妖異と化したサチコに突進する。サチコは血の涙を流しながら右腕の呪具をイズミに向けた。現出した三つの巨大な火炎魔法ファイジャがイズミめがけて撃ち出される。急速に迫る死を前に、イズミは懐から一本の紐を取り出した。極小の筒がいくつも結び付けられた紐をイズミは迫り来る火球に投げつける。瞬間、火球と紐は大爆発を起こした。昼間のような輝きがサチコの背後に長い影を作る。そしてまだ空中で燃え盛る爆炎を切り裂くように、紫髪のアウラが飛び込んできた。

彼女を爆炎から守ったのは、極小の筒―――ガンブレイカーが使用する魔弾ソイルである。魔弾はガンブレードの撃鉄によって込められた魔法を発動させる魔具だ。だが銃弾に衝撃を与えれば銃がなくとも射撃が可能なように、魔弾もまた外部からの衝撃によって発動が可能なのだ。イズミは防御魔法が込められた魔弾の束を火炎魔法ファイジャにぶつけ、それによって生じた防御魔法ハート・オブ・ストーンのトンネルを潜り抜けたのだ。なんたる強引な戦術であろうか。

「どおりゃあぁぁぁぁぁぁッ!」

「がはッ!」

雄叫びとともにイズミの飛び蹴りがサチコの身体に叩き込まれた。恐慌状態にある宿主の意識を失わせ憎悪の供給を断つ。イズミの狙いはそこにあった。サチコの目から輝きが失われる―――。

「…あああああああああああ!!!」

サチコの目が見開かれ、その口から絶叫が発せられた。驚愕したイズミがサチコの変異した左腕に目をやった時、全てがわかった。半透明の肉の中、イズミの刀がサチコの身体に食い込んでいる。サチコは痛みで意識を呼び戻され、憎悪の対象である刀によって新たな憎悪を刻まれていたのだ。

「こいつ…!」

追撃の気配を察知し、イズミはやむなく飛び離れ、間合いを取った。サチコの左腕が更に肥大化し、先端にある指が大地を掴む。それはもはや四足動物の姿であり、サチコを拘束する触手は彼女を高々と持ち上げ、左腕の上部…もはや背中ともいっていいそこに彼女の体を据え付けた。終末の獣の如き冒涜的な姿であった。

妖異は四足となった指を巡らし、イズミを探す。白い刀身の反射光と、狩人の眼が闇の中で軌跡を描く。光を認識した妖異はどすどすと大地を揺らし突撃する。イズミはなおも駆け、斬撃の間合いを測ろうとしていた。

茂みに隠した己の荷物から確保した予備の刀を強く握る。脳裏をよぎる作戦プラン。それを次々と却下していく。咄嗟に思いつく策はどれもこれも殺戮第一、誰かを守るような手順が含まれていなかった。英雄は、あの娘ソフィアはいつもこんな縛りで戦っていたのか。まだまだだな、私は。イズミは自嘲した。

イズミは足を止め、追ってくる妖異に向き直った。妖異は斬る。そしてもちろんサチコも救う。決意を込めて刀を構えた。追いつきたい背中ならば、それをやってみせるからだ。イズミは地を蹴り、妖異に挑みかかった。

ここがデュナミス渦巻く天の果てであれば、その想いが力となってイズミを勝利に導いただろう。だがここはそうではない。夜の闇が支配する黒衣森だ。妖異の触手と五合斬り結んだイズミの身体は、六合目であっけなく捕縛され、脚部と化した太い指に踏みつけられていた。

身動きの取れないイズミの眼前に、一本の触手が伸びてきた。触手は先端をぐるりとねじり、鋭い三角錐を形作った。帝国の魔導兵器が使うドリルのようであった。

妖異にとって、人間の負の感情こそが力の源だ。滅びかけたその身が復活出来たのも、サチコが見せた憎悪の心を感じ取ったからだ。だから妖異はサチコに憑依しその負の感情を利用した。

そして今は自分を狩りに来た狩人が標的だった。可能な限り苦しめ、苛み、恐怖させ、それを全て味わう。妖異にとってそれは理屈ではなく、本能だった。

わずかにたわんだ触手が、狩人の頭蓋目がけて振り下ろされた。



サチコの耳に悲鳴が響く。耳を塞いでも頭に響く断末魔。引き裂かれる妹。あぁ、なんてこと。悔しい。どうして助けてやれなかった。今の私なら。ごめんね。ごめんね。再び響く悲鳴。繰り返される憎悪と悔恨の焼き直し。永劫に続く悪夢であった。

しかしその悪夢が僅かに綻ぶ。遠ざかる悲鳴と幻影。闇の中に浮かぶままとなったサチコの精神は未だ曖昧だ。しかしその身体は生存本能を震わせ、サチコの意識を現実に引き戻した。

宙吊りになっている自分の足元には醜悪な妖異。そしてその下に、妖異の前脚と触手で拘束された血塗れのアウラの女が見えた。イズミだ。アウラの誇りである角が欠けている。それでも彼女の眼光は死んでおらず、未だ妖異に抗っていることがサチコにも見て取れた。

だが、妖異は彼女を弄んでいるに過ぎない。首だけで触手をかわす彼女に妖異も辟易したのか、更なる触手を繰り出し、彼女の角を根本から縛り上げ、頭を固定した。

イズミはそれでも妖異を睨みつける。だがサチコの目には、怯え震える妹が重なって見えていた。理不尽に晒され命を落とした妹が。サチコの心に火が灯った。それは積み上げられた憎悪の薪を焼き尽くし、怒りの業火と化した。


「…返して」


サチコは己の右腕に業火の全てを込め、放った。


「私の妹を、返してよォッ!!!」


KABOOOOOOM!!!

ARRRRGGGGHHHHHHHH??!!

妖異の丸太のような脚はその関節部が完全に吹き飛ばされていた。術者の魔力を一点に集中させ焼き尽くす、絶望の炎デスペアである。イズミを押さえつけていた脚と触手が一気に失われた。そしてイズミの目の前には抉られ露出した妖異の断面。今だ。イズミは刀を握り直し、白い刀身を深々と突き立てた。妖異の絶叫がさらに響き渡る。だが、イズミの狙いはその先にあった。

衝撃で投げ出されたサチコが徐々に空中で静止し、妖異の暴れる勢いが止まる。イズミは鈍化した主観時間の中で、その刀の由来を思い出していた。

天叢雲剣あめのむらくものつるぎ?これが?」「えぇ、当然神話に登場する天叢雲剣ではなく、それにあやかって作られたまがいものです」緑髪のララフェル―――スズケン・ベオルブは落ち着いた声色で説明を続ける。

「刀に込められた魔力を引き出して戦う剣士…。古イヴァリース時代の『侍』はそういう存在だったとか」スズケンは白亜城の廃墟をぐるぐると歩き、講釈を続ける。イズミはまがいものらしい天叢雲剣を片手に、それをじっと聞いていた。

「…知らなかった。変わった時代だったんだね」「でもそれって剣士じゃなくて魔法使いですよね」「言えてる。ねぇスズケンさん、この刀も、なにか引き出せるの?」「多分いけますよ。えぇと、確か必要な真言は…」

ほとんど静止していた主観時間が一気に加速する。イズミは突き刺した刀を握りしめ、真言を唱えた。

八雲立つ、出雲の神の知るところ
逝くも還るも、天のむら雲!

森羅雲海しんらうんかい!」


その瞬間、刀は砕け散り、解放された魔力の奔流が妖異の身体を内部から斬り裂いていった。そのまま体外は飛び出した奔流はやがてひと塊の雲となり、標的を包み込んで霧散した。妖異は甚大なダメージを受けてなお暴れ狂っている。だが、その動きはやがて緩やかになっていく。イズミの主観ではない。妖異の動きだけが遅くなっているのだ。限定的な時間減速スロウ。それが天叢雲剣に込められていた魔力だった。投げ出されたサチコは地面を転がり失神していた。

「…ちゃんと引き出せて安心したよ。ありがと、スズケンさん」

ゆらりと立ち上がったイズミは夜空を見上げつぶやく。そしてゆっくりと蠢く妖異に向き直った。

「二人同時に手を出すんなら…もっと甲斐性を持ちな。クソ妖異が」

一歩、また一歩と妖異に向けて歩みを進める。血塗れのその身体には戦う力はほとんど残されていない。だが、その手には妖異から奪い返した黒い愛刀エデンモーン・サムライブレードがあった。妖異は地鳴りのような低い唸り声を上げながら、その場を逃れようと身体を捩る。だが亀にも劣るその動きでは、その願いは叶いそうもなかった。そしてイズミは妖異の眼前1ヤルムまで肉薄した。

「…怖い?だったらその恐怖を力に変えたらどうだよ。私達でやったみたいにさ」

時間減速が極まり、妖異はもはや身じろぎすらしない。それにしても妖異は恐怖を感じたりするのだろうか。ふとそんなことがイズミの頭をよぎった。次の瞬間には忘れた。イズミは納刀し、剣気を練り上げる。大事なのは、波を切るイメージ。


「奥義」


抜刀。
下草が、砂利が、放射状に吹き飛んだ。


「波切り」


妖異の背後に一筋の光が閃いた。
イズミは妖異に背をむけ、納刀した。




「ブッ殺した」



妖異の身体は斜めに切り裂かれ、ずり落ち、そして爆発四散した。森を照らした爆発の残滓全てが消え去るまで、イズミは残心を続けた。

◆◆◆


雲間から覗く満月に煙が重なる。未だ気絶したままのサチコの横で、イズミは紫煙を燻らせていた。角を削られたせいか頭痛がひどく、誤魔化そうと煙草を吸ってみたが焼け石に水だった。

「さすがに泣かれるかな…この角」

イズミの右角は先端が無惨に砕けており、内部の空洞が見えるほどであった。見た目ほど痛みや苦労は少ないが、角を持たない種族の目にはいささか痛々しい。治癒しきるまで義角がいるだろう。

なりふり構わずサチコごと斬れば、こんな怪我を負うこともなかっただろう。昔の自分が知ったら軟弱と切り捨てたかもしれない。

それでも『やり遂げたのだ』という達成感は、昔の自分では味わえなかったものだ。つくづく、自分は変わった。そして、もっと変わっていくだろう。

イズミは短くなった煙草を携帯灰皿にしまうと、無事な左角にリンクパールを当て、救難信号を出した。原因の大半は黒衣森の精霊に押し付けた。雇い主なら10秒と経たずやってくるだろうが、ギルドの職員ならもう少しかかるだろう。イズミは隣で眠るサチコを見た。寝顔は心なしか微笑んでいるようだった。そうであって欲しい。そう願いながら、イズミは夜空に浮かぶ月を見上げた。風の無い、静かな夜であった。

【了】

と言われたので書きました。イズミさんvsサチコさんです。とはいえひとの子と殺し合うわけにもいかないので、最近あまり書いてなかったイズミさんの稼業と混ぜてみるなど。イズミさんが光の戦士ではないのを良いことに、勝手に他のジョブの要素を持ち込んで戦う、というやり口を存分に発揮してもらいました。ちなみに天のむら雲は「白亜城の死闘」で拾ったことにしています。あと直接的な描写は避けましたが、アウラ角欠損などもやってしまいました。イズミさん、今後もがんばって己の理想を目指して泥臭く戦っていってほしいものです。

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