終末に抗いし者たち
ガォォォォォォン!血の如く染まった空を終末の獣が覆い尽くすサベネア島。鉄のモーターサイクル<SDSフェンリル>が爆音を上げて大地を疾走する。そしてその後ろを終末の獣たちがフェンリルを超える速度で迫ってきていた。
悍ましい容姿の獣がフェンリルにその爪を振るうが、その車体はぎりぎりで攻撃を回避する。ハンドルを握る浅黒い肌の青年は驚きの声を上げた。然り。オートパイロット機能だ。そして攻撃を逸した獣は離脱を許されず鋭い斬撃を受け、霧散した。
後部座席に見事なバランス感覚で直立するアウラ族の女は振るった鎌を構え直し、次の攻勢に備える。前方2、遅れて側面1。女は前方に鎌を振るう。その刃の更に外側にエーテルの刃が瞬間的に形成され、獣をひと薙ぎで切り裂いた。
女はフォロースルーの動きのまま、片手を鎌から離し、側面の獣に手を伸ばす。運転席の青年に喰らい付かんとした獣は突如出現した禍々しい妖異によって両断された。妖異はそのままフェンリルの周りを飛び回り、獣を近付けぬよう牽制すると、再び女の掌に還っていった。残心し、再び鎌を構える。
敵を睨みながら、女は位置を確認した。脱出地点であるイェドリマンの港まではまだ距離がある。リーパーの女…イズミは歯噛みした。振り落とされないよう必死で捕まる男…テオドアも祈るような気持ちで絶望に抗っていた。
テオドアは一介の船乗りである。こんな修羅場に巻き込まれた事はそうそうない。サベネア島を害していた終末の塔が失われ、交易が再開される目処が経ちつつあった。彼の乗る交易船もその流れでサベネア島に立ち寄り、いくつかの取引を進めている。テオドアもまたデミールの遺烈郷をはじめとした集落を回って様々な仕事に励んでいたのだ。
仕事の合間に空を眺め、遠くの地に旅立った愛しのソフィアの事を想う。おれたちは運命で結ばれてるわけなので、こんな田舎で偶然出くわしてしまうかもしれない。そうなった時のためにデートコースは考えておかなければなどと考えいた矢先、突然空が赤く染まり、幾重もの流星が降り注いだ。呆気に取られていると集落のあちこちで人が獣に転じていく。訳もわからないまま自分も獣に喰い殺されようとした時、フェンリルで飛び込んできたイズミに救われて今に至っていた。
「ったく…気楽な討伐旅のハズだったのに…!」
イズミはなおも後部座席に立ち、鎌を振り回す。さる縁で身につけたリーパーの技術は個対多の戦闘に向いていた。たったひとりで侵略者の陣に飛び込み、将を討ち取り手勢を蹴散らすその歴史が育んだ技だ。使役する恐ろしい妖異の姿も敵を恐慌に陥らせた事だろう。だが今、死神の前に襲いくるのは絶望に堕した悍ましき終末の獣。妖異の姿で怯む心などとうの昔に腐り落ちた存在だ。
鎌の一閃、妖異の魔法、あらゆる手段で獣の波を防ぎ続けるイズミであったが、空を覆い尽くす獣たちが尽きぬよう、地を這う獣も後から後から迫ってくる。防御壁もいよいよ破られそうだった。ならば覚悟を決めるしかない。イズミは大声でテオドアの名前を呼ぶ。
「はいーっ!なんですかーッ!」
「…そのフェンリルに乗ってれば、勝手にイェドリマンに着く!」
「はい!それはさっき!聞きましたよッ!」
「…じゃあ、しっかりハンドル握ってな!」
言うや否や、イズミはフェンリルの座席を蹴り宙に躍り出た。やたらめったらに振った鎌で追いすがる獣の敵視を奪っていく。遠ざかるフェンリルからテオドアが何か叫んでいたが、獣の叫び声にかき消されて耳には届かなかった。
地面を削りながら着地したイズミは終末の獣たちと向かい合う。彼女は己の身を犠牲にテオドアを守ったのか。否、死ぬつもりなど更々無かった。彼女は何かを守りながらの戦いよりも、好き放題暴れ回る戦いを得意とする。あくまで敵は倒し、自分も生き残るつもりだ。鎌を大きく振り回すと、一際大きく息を吸い、叫ぶ。
「…混ざれッ!レムールシュラウドッ!」
言うや否やイズミの傍らに浮かぶ妖異が主人と溶け合う。イズミの装束、白い素肌、鱗を、溶岩のようなどす黒いエーテルが包んでいく。この姿をテオドアに見せたく無かったというのも、確かにあった。赤黒い線香の如く燃える目を輝かせ、イズミは文字通り死神と化して獣の群れに飛び込んでいった。
◆◆◆
イェドリマンの港はあちこちの集落から避難してきた住民で大混乱に陥っていた。それでもまだここには獣は到達しておらず、星戦士団達が懸命に避難誘導を試みている。あるものはエーテライトで、あるものは沖に停泊した大型船へと、それぞれの脱出を試みていた。フェンリルのオートパイロットによってイェドリマンにたどり着いたテオドアは恐慌でどうにかなりそうだった。それでもどうにか生きている。沖を見れば自分が乗ってきた船がまだ残っていた。あそこまで戻らなければ。
いや待て!とテオドアは来た道を振り返る。—イズミさんを放っておけるか?いくらイズミさんがバカみたいに強いったって、数が多すぎる!
テオドアは逃げ出したい気持ちを押し殺し、手当たり次第星戦士団に訴えた。襲われてる人がいるんだ、助けてくれ、と。いずれの戦士達も険しい表情で話は聞いてくれる。しかし誰ひとりそちらへ向かえない。獣に襲われ、今も戦っているのはイズミだけではないのだ。結局テオドアはフェンリルを停めた集落の入り口まで戻ってくるしか無かった。無力感と苛立ちが募る。—やはりおれだけでもこのフェンリルで戻った方が。いやでもおれだけで何になるんだ?嗚呼!
「…その乗り物だけど」
知らない声がした。
「アンタ、あの人の知り合い?」
知らない声の足音が目の前で止まった。テオドアは藁をもすがる思いで、眼前に立つものを見た。
◆◆◆
獣の爪とイズミの鎌がぶつかり、エーテルが爆ぜる。弾かれた鎌を立て直す前に別の獣の尾が迫る。防御壁。練りが足りない。クソ妖異、ケチるな。悪態をつきながらイズミは防御姿勢を取る。衝撃。イズミは吹き飛ばされ、大きな岩に叩きつけられて止まった。全身が痛む。血を吐き、鎌に縋りつきながら立っているのがやっとだ。視界に映る己の手が普段の白い肌に戻っていく。レムールシュラウドはもう保たない。衣から亡霊に戻った妖異は瞳の無い顔でイズミを見つめていた。
「…なんだよ。私が死にそうで嬉しいのか?」
折れた歯を吐き、イズミは妖異を睨みつけた。妖異は何も応えない。
「残念。私は死ぬつもりなんか…これっぽっちも無いんだよ」
じりじりと包囲を狭める獣の中にあって、イズミの瞳に宿る狂暴な光は消えていない。
「だからお前も…もっと力をよこせ…!さもなくば、お前から消してやる…!」
イズミは痛みを押し殺して鎌を構える。妖異は何も返さず、ただその朧げな姿を鎌に溶け込ませ、イズミの刃となった。獣を見据えながらイズミは逡巡する。—テオドアは無事に逃げ切っただろう。ならば後は生き残るだけだ。願わくば五体満足で切り抜けたいが、厳しいか。全く、終末は本当に洒落になってない。
イズミは瞑目し、祈った。—嗚呼、ソフィア。あなたもどこかで困難と戦っているのでしょう。ほんの少しでいいから、英雄の、あなたの力を、私に。
ガォォォォォォン!突如響いた爆音にイズミはハッと顔を上げる。ひしめく獣の隙間の先、地平の彼方からそれは来た!鉄のモーターサイクル<SDSフェンリル>!そしてその車体を蹴って何者かが流星の如くこちらへ飛び込んできた!
「イヤァァァァァァーーーーッ!!!」
閃く刃が獣を両断する!そのまま地面に激突するかと思われた何者かは刀の鞘を地面に突き立て、土煙と火花を散らしながらイズミの傍らで強引に停止した!
銀髪に赤みがかった肌、そして黒い角を生やしたアウラ族の女だった。少女の面影を残したその横顔は闘志に燃えていた。そして女は怯む事なく大見得を切る!
「カタイン族最強の戦士、オグル!見参だぁッ!」
そしてフェンリルも遅れてイズミの側に強引に停車!シートには震えながらも無理矢理笑みを作る癖毛の男がいた!テオドアである!
「いいいいイズミさん!!!!ごごごご無事ッスか!!!!!」
歯をガチガチと振るわせ、フェンリルに隠れながら背負った銃を構える。
「初めましてイズミさん!私が来たからには、もー大丈夫だぜ!」
その言葉を待たずして獣がオグルに牙を剥く!だがオグルは一瞥もせず居合一閃で斬り捨てた!
「…そこの彼がさ、すげー必死で助けを求めてたんだよ。仲間が死んじまうってね」
オグルは刀についた黒い返り血を払う。地面に撒かれた血は名状し難い霧となって消えた。
「それで話を聞いてみたら、アンタ達、ソフィア姐さんの身内だって話じゃあないか!こいつァ恩返しのチャンス!って思ったのさ!」
イズミは頭を殴られたような衝撃を感じた。全てを悟った。—嗚呼、あの子はこの地でも面倒事に首を突っ込んで、何かを成したんだ。そして、それが巡り巡って、私のところに。
「…ありがとう」
イズミは、震える声で呟いた。そして、手にした鎌をがしゃりと足元に落とした。
「テオドア」
「はいっ!!!!なんすか!!!!!」
「ハンドルのとこに緑のボタンがあるでしょ。それ、押して」
「えーと…これかっ!!!!」
ガコン、と音が鳴りフェンリルの前部装甲が展開する。中には一振りの刀が収納されていた。イズミはつかつかと歩き刀を手に取る。黒い刀身に青い薔薇の装飾が施された、イズミの愛刀だ。
「おッ!アンタも剣士か!燃えてきた!」
「…剣士、そうね。それが一番近いかな」
役目を終えた妖異が虚空に消えていこうとしていた。その超自然の衣をイズミはぐいと捕まえる。
「どこ行くのよ、クソ妖異」
イズミは殺気立った目で妖異を睨む。
「…獲物を変えたからお役御免なんて、誰が許したの?」
イズミはもう片方の腕で妖異の頭を掴み、強引に引き寄せた。
「お前は!一生!私の力の源なんだよ!わかったら、宿れ!」
妖異は何も返さない。しかしその迫力に屈し、イズミの刀に宿っていった。黒い刀は妖しい光を纏い、禍々しいエーテルを放っていた。
「…おまたせ。さ、行くよ」
さすがのオグルも呆気に取られてしまった。確かにこの人は剣士じゃあない。単に刀が得意なだけの、もっと無茶苦茶な何かだ。
「いやぁ。英雄の知り合いだけあって、変なやつだな!」
「こら!ソフィちゃんは変じゃねーぞ!そこは覚えとけ!」
「テオドア、あんたは下がってて」
「ななななにを!おれだって!!!」
「…あんたが真の男だってのは分かったからさ」
「…お、おうよ!おれはいつだって真の男だぜ!」
「そこから私の勇姿を見届けて。そして、ソフィアさんが帰ってきたら」
イズミは瘴気をまとった刀を顔の横で敵に向かって水平に構える。霞の構えだ。引き絞られた弓の如く、剣気が蓄積されていく。
「カッコよく、伝えて!」
渾身の力で大地を蹴ったイズミの刺突が獣の群れを貫いた。オグルもそれに続いた。テオドアは凄まじい戦場から目を逸らさず、全てを見届けようと努めた。空は赤く、星は降り続けていた。巨大な竜が空を横切っていった。
◆◆◆
「そうですか、オグルさんが…」
ソフィアは目を瞑り、イェドリマンでの冒険を懐かしんだ。
「なんかさぁ、オグルが言うにはソフィちゃんがめちゃくちゃ困ってたところを助けたらしいんだけど、ホントなの?」
「ん?んー…」
テオドアの問いを受けてソフィアの脳裏に浮かぶオグルは、アルカソーダラ族に怯える姿、戦場で気絶する姿、金を盗まれた姿であった。
「…そうですよ。とっても助けてもらったのです」
「マジかよ!たしかにめっちゃ強かったけど、そんなにすごいやつだったんだなァ!」
「…テオドア、あなたもう少しソフィアさんの事疑った方がいいわよ」
イズミは茶を啜りながら指摘した。
「えッ?どういう…コト?!」
「まぁまぁ、でも、わたしがヴァナスパティにいた時に、そんな事があったんですね…。無事で良かった」
「ソフィちゃんこそあんなとんでもねー状況で…ほんと…おれなんかずっとオタオタしてさぁ」
「そんな事ありませんよ。テオドアさんの事、すごく、すごーく、見直しました!」
「えっ?!マジで!!!……ダメだ!!!疑えねぇ!!!嬉しい!!!」
「ふふ、本気ですよ。イズミさんを助けてくれて、ありがとうございます」
「そんな!いいんだよ!結婚しよう!」
「それはダメです」
「だぁー!!!まだ早かったか!!!」
「疑わなくていいから、もう少し段階踏みなさい」
「それで、その後どうなったんですか?」
「あぁそうそう、そのあとまたイズミさんがオバケを締め上げてさぁ…」
「なんで私の話そんなとこばっかりなの?」
【了】
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