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燐光の悪夢

振り下ろされる鉈の先から目を逸らす。逸らしたところで肉と骨を断つ音は耳に届く。切り刻まれているであろう信者は叫び声すらあげない。どこまでキメてんだこいつらは。イカれてる。そして俺たちもこれから人身御供として捧げられるのだ。隣で震え続ける仲間どもを見る。名前はなんだったか。冒険者ギルドの斡旋で組んだやつの名前などろくに覚えていない。覚えたところでこれから死ぬ。無意味だ。

恐る恐る祭壇に目をやる。大理石の生贄台の上に散らばる肉片は無視した。黒衣森の深い深い闇の果て。篝火が何十人もの狂信者と、玉座に座る教祖の姿を映し出す。訳のわからない言葉で信者を扇動する教祖の頭には一対の角がある。角尊つのみこと?そんな筈があるか。あの教祖の男はどうみてもエレゼン族、シェーダー野郎だ。角尊はヒューラン族からしか生まれない。そんな事は流れの冒険者の俺だって知ってる。自分こそが真の角尊だとでもうそぶいて、この忘れられた集落にカルトを築き上げただけだ。狂人め。

調査役の俺たちが還らなければやがて双蛇党が捜索に来るだろう。だが俺たちが殺される前に駆けつけてくれる事はない。こんな最期はあんまりだ。煮えたぎる怒りとは裏腹に、硬く繋がれた手枷はどれだけ力を込めても軋みすらしなかった。

覆面を被った信者が俺を引き起こす。起こされながら入念に殴られた。もう反抗する気力もない。俺は前のやつの血で溢れた生贄台に乗せられた。死臭で吐きそうだった。信者達の歓声が一際大きくなる。押さえつけられながら顔を上げると、そこに教祖がいた。

頭上には怪しく輝く紫の渦。たしかヴォイドゲートとかいうやつだ。教祖はその渦に腕を差し入れ、引き抜く。禍々しい曲刀がその手にあった。ヴォイドゲートから離れ、教祖は俺の方へ近付いてくる。雑な屠殺じゃあなく異界ヴォイドの闇に触れて死ねるなんて光栄の限りだ。クソが。誰か、誰か助けてくれ!誰でもいい!誰かッ!



不意に、ヴォイドゲートからなにかが吐き出された。



べちゃり、と汚い音を立てて地面に落ちてきたのは、岩のように巨大な妖異の首だった。

悪趣味な妖異召喚だと思った。この期に及んで俺を追い詰めるつもりなのだと。だが教祖の狼狽ぶりを見てそうではないと気付いた。妖異の首の上に、人がいたのだ。

妖異の首に刀を突き刺した血塗れの小柄な人型。角の形はアウラ族。身長からして、女。それが人間ならば。

血塗れの女はゆらりと立ち上がると、おもむろにあたりを見渡した。呆気に取られた教祖と信者、俺たち生贄、そして妖異の首を順に見やる。女はわずかに思案した後、くすくすと笑いながら、呟いた。



—あんた達の神様、殺しちゃった



女の狂気に満ちた笑い声が場を満たした。


呆気に取られていた教祖が我に帰り、手にした曲刀を振りかざして女に斬りかかる。禍々しいヴォイドの曲刀がその首を刎ねるより早く、女の刀が教祖の腕を斬り飛ばした。女は笑いながら刀を切り返し、教祖の首を刎ねた。教祖の体は冗談のように血を噴き上げ、その場に崩れ落ちた。

そこから先はもうめちゃくちゃだった。信者達は恐慌に包まれ、狂った獣のように女に殺到していった。女は来た順に全員斬り殺し、そのまま広場に降り立って殺戮の嵐となって駆け抜けていった。拘束から解き放たれた俺はどさくさに紛れて広場から逃げおおせた。他の生贄はどこかに消えていた。どうにか逃げたんだろ。知ったことか。

森の闇に紛れる前に、俺はもう一度振り返った。倒れた篝火が玉座台を焼き尽くしていく。その炎が闇に舞う四肢や首を照らし、その中を燐光のような輝きが駆け抜けていた。狂気に染まったあの女の目だった。

俺は逃げた。その狂気が俺を捉える、その前に。

◆◆◆

【集落に大量の死体。集団自決か】
霊■月■日■時、黒衣森南部森林■■■郡郊外の山中にて、大量の遺体が散乱しているのが発見された。遺体はいずれも損傷が激しく身元の確認は難航している。双蛇党の発表によれば、かねてより捜査中だった過激派集団による集団自決との見方が強い。妖異召喚に失敗し、現れた妖異によって被害にあったとの説もささやかれている。

俺は新聞を傍に置き、酒を煽る。楽団の熱狂的な演奏で酒場の興奮は最高潮にあったが、俺の心はいまだに暗澹としていた。

逃げおおせた俺は双蛇党の詰所に駆け込み、ことの次第を伝えた。あの女の事は伝えなかった。他ならぬ俺が忘れたかったからだ。伝えたい事だけ伝えた後、俺はさらに逃げた。そして事件はあの記事の通りだ。

あの女が捕まったという話は聞かない。だからもう俺はあの女は実在しなかったのだと考えるようにした。儀式の果てに顕現した人では無いなにか。それこそ精霊かなにか。そうだ、そうに違いない。早く忘れて新しい明日を歩み出すのだ。

催してきた俺は席を立ち、店の裏のトイレに向かった。楽団の演奏が遠くなっていく。トイレに続く廊下に置かれた椅子に、ひとりの女が腰掛けていた。細身のアウラ族が俯きながらフラフラとゆらめいている。泥酔してる。俺の中の下心が芽を出した。

「お姉さん、大丈夫かい?」

呼びかけに女は動きを止めた。俺は女の前でかがみ、さらに話しかける。

「飲み過ぎた?外の空気吸ってきた方がいいよ。ほら」

肩を叩き、女の手を取る。立ち上がろうとする女はゆっくりと顔を上げた。白く磨かれた鱗、整った顔立ち、紫に輝く燐光のような瞳が、俺を見た。


あの女だった。


あの女が、俺を、追いかけて


俺は女の手を振り解き、一目散に逃げた。


◆◆◆


勝手に話しかけて来て勝手に叫んだ男はあっという間に視界から消えた。私、そんなに顔が怖いのか?私はむにむにと頬を触り、ため息を吐いた。

それはそれとして、明日こそはひんがしの国へ行く船に乗らなければ。せっかくドマあたりまで辿り着いたというのに、その途上で外なる妖異との戦いに巻き込まれ、次元の狭間から出て来てみれば黒衣森に戻されてしまった。旅費を返せ。

まぁいい。雇い主ソフィアには長めの遠征に出ると伝えてある。これもアオバのイズミなりの冒険ということにしておこう。そして今はもう少し飲むだけだ。私はふらつく足に力を込めて酒場に戻る。楽団の演奏がよく聞こえてくる。足取りが心持ち軽くなってきた。

【了】


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