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すすき

やっと朝晩の風が心地よい季節になった。

今日は、 新月 すすきの日
また、秋に向けての一つの区切りとなる。

すすきは風になびく黄金色の植物として
秋の収穫、稲穂に見立てられ
お月見飾りとなった。

尾花とも言い、花としても捉えられ
切り口の鋭さから魔除けとしての
意味も持つという。

風になびく姿が軽やかなすすき
今の時代にもピッタリな花。


風の時代と言われつつも
世の中は重めの現状だらけ
なんだか真逆な感じを受ける。

風の時代ってなんでしたっけ?と
その言葉が独り歩きしている感じもある。

今は、暑い暑い夏が終わり
涼しさが心地よく感じられてきて
一息つくのにちょうどよい時。
クールダウンして、この先のための
自己調整期間に最適だ。

はて、ところで
風の時代とはなんぞやと
改めて調べてみると

ざっくり風の時代とは
目に見えないものに対する価値が高まる時代
自由や平等
精神性や知性個性など
2020年から約200年続くと言われている

へっ、200年しか続かないの
今、何千年ぶり、何万年ぶりの
進化、変容時代において
この時代の価値観というのはさほど長くない
宇宙は変化のサイクルが早いんだな。

風の時代は革命の時代とも言われ
変化の第一フェーズがやっと終わった。
しばらく何年もかけてまだ改革期が続き
変化の波を受け入れていく必要がある。
と言っても義務ではないので自由選択。
これからの第二フェーズの体験は
無意識にみんな決めてるのだろうけど。

風の時代は、ひとまず
名前のごとく軽やかな時代という
ウキウキしたものでもなく
勝手に与えられるのでもない。

どんな状況を目の当たりにしても
軽やかな意識に変換して過ごす事が
あなたはできますか?
あなた自身でウキウキを見出せますか?
というお試し人生ハードゲームみたいなもの。

だけれど
自由や平等というからには
どんな生き方や体験を選ぶのも自由。
古い価値観で生きるのも、もちろん自由。

私は変化した世界を生きると決めたけど
周囲の大切な人も変化してほしい。
そういったエゴに随分縛られていた。
が、
今はもう人のことなどどうでもいいと
風のごとく吹き飛ばすことにした。 

何度も言いたい。
これ、なげやりではなく変化に備えて
自分をちゃんと知っておいた方が
体験に後悔がないと思っているから。

個の時代ですから
自分の人生に、いかに集中できるか。

だから人のことを
心配する余裕なんて誰もないのでは。
古い価値観の見方を変えて
より軽く捉えられる自分に備えておく。

精神の時代ですから
ここから先は
ますます自分の精神が問われることばかり
起こってくるのだろう。

いちいち他人の選択を心配したり
余計なお世話心が蔓延するから
葛藤していたのであって
どんな体験を選ぶのもその人の自由だった。
たとえそれが
本人にとってつらい体験だとしても
無意識レベルでそれを選んでいるし
体験したい学びをクリアしていくことが
各自の使命といってもいいかもしれない。
だから、皆同じでなくていい。まさにこれも
個の時代ですから

相手のどんな選択も尊重し
受け入れる姿勢であれば
矛盾する自分の葛藤を減らせる。
これも、自他への愛ある学びの一つ。

受け入れる分、離れることもあるだろう
受け入れると、そこに寄り添えるは
また別のようなものだから仕方ない。

私はすすきのごとく
軽い体験でこの変革期を乗り越えよう
それを選択すると決めた。

だから、常々小さな日常の選択肢に
自問自答する。
ささいな生活用品の買い物から大きな選択まで
こっちがほしいのに
このぐらいで我慢しとこう・・・
ほんとはこれしたくないのに
しないと生活できないかもと
損得計算してみたりとか・・・
まだまだ、いろいろ自問の要素はある。

日々、無意識に選択しているものを
直観の指示に従い意識して選択していく。
本当に自分が喜んで選択しているのか?
自分の気持ちに嘘をついて選択していないか?
自分はなぜこれを選ぶのか?
自分ではなく相手を優先していないか?

そんなこと
いちいちやってらんねーって
思うかもしれないけれど無意識の習慣は
いとも簡単に古い価値観を選択したがる。
軽くなれるものも、全く軽くなれないという
パターンを繰り返してきたから。

とにかく自分に嘘をつかないを選択する
自分の気持ちに正直に従うこと。
自分の気持ちに一致していないことが
一番の弊害になるかもしれない。
表層の気持ちと、深層の気持ちに
ズレがあることも多い。
だから、自問自答する癖も必要。

新しい時代が定着するように
選択の基準は自分優先に変えないと
到底すすきにはなれない。
周りの目を気にしてきたこれまでは
自分勝手と非難したり制していたものも多い。
自分勝手と自分優先の違いを
よく自問自答してみれば、自分も他人も
不快にさせるものでないとわかる。
不快を与えているならば自分よがりなのかも。

それで他人優先にしたいならそれでいい。

ぴゅーぴゅー風がふく

最近の出来事に引っかかることあり

社交辞令、お世辞、人数集め
社会的地位にしがみついた古い価値観
ステイタスなどを売りに人寄せする手法
そういったものは重苦しくてしかたない。

これからは、おべんちゃら、おべっか
そういうものも見抜かれるのだから
そういった話術も当然通用しないし
古い価値観をぶら下げて人数集めに
躍起になって繋いできた、これまでは
通用してきたやり方。
これでやり通すの、つらくないのかしらと
余計な心配がよぎる。

でも、しかたないからそうしている。
とあらば
その体験を選ぶ自由があるわけだから
やはり、それでいいと思う。

それらに対する葛藤をなくすことこそが
私がすべきこと。
そこには共感もないしエネルギーは注がない
という選択がきっぱりできればいい。
自由な時代ですから


世の中は、古い価値観を変えていくべく
どっぷりいろんなニュースが浮上している。
不祥事が浮き彫りになるのは、前々から
言われ続けてきたことであり必要なこと。

こういった形ででてくるのかと
俯瞰しておけばいい。
入ってくる情報はほどほどにして
気分がさがったり、深追いしたくなったら
あえてみないことも必要。

見て見ぬ振りをして蓋をするとか
事実を受け止められない
見れないというのもある意味
変化したくないサインかもしれない。
深追いして感情を乱すことは
やめておいた方がよさそうだが
淡々とこの地球に起こっていた事実を
見てみぬふりをしていても
根本の変化には至らない。

社会の不正の暴露は
秘密裏にまかり通って来た事象が
これまでの時代に山ほどあったわけで
とてもわかりやすい形で表れている。

これらの問題はもっと根深く
常識の範疇はゆうに超えていて
おそらく氷山の一角のお話だろう。
そういったことも
いずれ知る時が来るだろうか。

まだまだ、マイルドな膿だしに思える。
ある意味、人類への、いや日本人への
段階を追った配慮に思える。

相手のご機嫌をとって
必死に人数を稼ぐため
成功を手に入れるために
我慢を強いられるのは
重い感情がつきまとう。

大きな組織の社会問題は
象徴として浮き彫りになっているだけで
自分を顧みるよいきっかけになり
自分を見つめる火種になっている。

あなたは
我慢を強いられていませんか?
我慢を強いていませんか?
私達、皆が問われていること。

平等な時代ですから
自分の生き方は自分で選べる
自由な時代に変化してきているからこそ
重き体制は浮き彫りにならざるを得ない
その代表例みたいなもの。

形や大きさが違っても、大なり小なり
我慢を強いたり、強いられているものは
誰にでもあるもの。
そこに気付くか、気付かず体験しつづけるか
気付いていても不安や恐怖で変化できないか
それだけの差であり、それも
自由意志、自由選択。

だから
大切な家族も、身近な親しい人達の選択も
もうなんでもいい。それでいい。
好きに体験したらいい。本人の人生だから。
気付きのタイミングも人生の体験も
人それぞれに違うとわかり
私もそこから自由になった。

風の時代って思っていたより短い。
私達は大変革期の変わり目をあえて
選んで生まれてきているのだ。

ならば、せっかくだから
古いやり方を見直し変化するという
生き方を選んだ方が楽しそうに思える。

すすきをみながら
今の自分の心がより軽くなるものを
厳選しよっと。


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