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忘れたころに出くわす誰かに

さあ、日曜日だ。
日曜日はボクが書きたいことを勝手に書く日だ。
お気楽にお付き合いいただきたい。


今朝Xを見てた

Xの面白いところのひとつは、多くの知識人の独り言をこっそり盗み読むことができるところだ。含蓄のある人の言は、たとえそれが短いセンテンスであっても心に刺さってささくれと化すことがある。

例えば、今朝見たこれだ。

山口周氏のXより

成長か堕落か

ヒトは往々にして驕るものだ。
ボクもきっとそうだろう。
ボク自身も気づいてないうちに。

今の会社でも、以前の会社でも、入社した時は周りの先輩たちは偉大だった。自分もあんな風になれるのだろうかと落ち込んだりもしたもんだ。でも何年か経つと「アイツらたいしたことねーな」と思うようになってくる。

ボクはそれをボク自身が成長したからだと思っていた。
しかしまてよ。「周囲の人は自分のレベルの鏡」だ。
ボクは成長したのではなく堕落したのかもしれない。ボク自身が「たいしたことねー」ヤツに成り下がってしまっているのではないだろうか。
その逆に考えると、まだカオスだった頃のチームが上手く機能するようになってきて、チームメンバーに対して「みんな成長したなあ」って思うときは、ボク自身も「成長したなあ」ということなのかもしれない。

成長は螺旋階段

成長は一直線ではない。
螺旋階段のように登っていくものだ。
そして、周囲の人たちもそれぞれ螺旋階段を登っている。
まるで何重にもなったDNAの螺旋のように。

螺旋階段は、円周を小さくすると早く高く登ることができるが、円周を大きくすると、同じ高さまで登るのに時間がかかる。だけど息切れせずに登ることができるかもしれないし、綺麗な景色を眺めながら楽しんで登れるかもしれない。人それぞれ、自分の好きな円周にすればいい。

ボクの場合は、ひょっとすると楕円形の階段なのかもしれない。
あと、あまり未練がましくないタイプなので、ひょいひょいと別の階段に乗り換えたりもしてきたような気もする。

きっと、忘れたころにひょっこり誰かに出くわすだろう。
そして、そいつの鏡に映ったボク自分の姿を見ることになるだろう。
それがいつになるかわからないが、その時には、そいつも、そいつの鏡に映ったボクも、楽しそうに笑っていることを願う。


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