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【短め短編小説】イヌイットの祈り #シロクマ文芸部 #食べる夜

「食べる夜」はイヌイットが話す言葉の1つであるイヌクティトゥット語の「ウンヌアッククート ニリニーク」の日本語訳だ。

 イヌクティトゥット語はカナダのイヌイットによって話される言葉だが、「食べる夜」はグリーンランド最北の地、カーナーク近くで執り行われる秘密の儀式を指す。この地域の人々はイヌクトゥン語を話すのに、なぜ儀式の名前がカナダのイヌイットが話すイヌクティトゥット語なのかは誰も知らない。

 そもそも「食べる夜」の儀を行うイヌイットたちは、普段はグリーンランドには住んでいない。彼らは確かにカーナーク周辺の住民を先祖に持つ。しかし、彼らは何世代も前にグリーンランドを離れ、世界中に散らばって暮らしている。

 ある者はウォールストリートで株を売り買いし、ある者はスタンフォードで人工知能の研究に勤しみ、ある者はキャンベラで政治家として活動し、ある者はブラジル北東部で巨大農園を経営する。そしてまたある者はロンドンで法の番人を務め、またある者はミラノで彫刻を彫り、またある者は東京で心臓の手術を行い、またある者は深圳で電気自動車開発に携わっている。

 しかし皆、毎年、沈まぬ太陽が空を駆け、カーナークが白夜に包まれるようになると連絡を取り合い、話し合う。そして、8人がカーナークの西26キロにあるサローハという地図にない場所を訪れ、7日間とどまる。サローハには「食べる夜」の儀のために集まる8人が泊まれる家が1軒、ひっそりと建っている。

 8人は、アップルパイのピースのような8つの太陽の欠片かけらを代々受け継ぐ者たちだ。8つの欠片はそれぞれ「北」「南」や「東南」「北西」などの方位を表す。

 1日目、全員が揃うと、8つの欠片を合わせ円を作る。そして家の中心に設けられた広い空間の真ん中にその円を置く。2日目、イヌクティトゥット語の祈りが始まる。

 彼らは信じているのだ。祈りにより太陽とのよい関係を維持することが自らの生存に不可欠であると――。だから彼らは祈る。

駆けよ、太陽よ。
宇宙そらの道を駆けよ。
われらが命を照らせ、生かせ。
駆けよ、太陽よ。
永遠とわの時を駆けよ。
命を繰り返せ、今に生かせ。

 8人は交代で睡眠を取り、食事をする。祈りは6日目まで続き、7日目、すべてを片付け、太陽の欠片を手に自分達の日常生活に戻っていく。これが「食べる夜」の儀の全貌だ。

 なぜこの儀式が「食べる夜」の儀と呼ばれるのか? それは太陽が夜を食べてしまったかのように世界から夜がなくなる白夜の期間に執り行われるからだと言われている。

 しかし面白いことに、イヌクティトゥット語の「ウンヌアッククート ニリニーク」は、「夜が何かを食べる」とも「何かが夜を食べる」とも解することができる。西洋の言葉のように主体と客体、するものとされるもの明確な区別がないのだ。

 このことは、イヌイットたちが考える人間と自然の関係をよく表しているかも知れない。彼らは自然を自分達の都合で自分達から切り離し、搾取の対象とはしないのだろう。互いを切り離すことなく、持ちつ持たれつの関係を意識することこそが、自然を破壊せず、その恩恵をいつまでも享受するための知恵なのかもしれない。

 ところで、残念ながら今年は7人しか集まらなかった。「南」の欠片を持つ者は、バンガロールでの弁護士の仕事を抜けられなかった。世界中で異常なほどの高温が観測されるのは、「食べる夜」の儀が正しく行われていないからではないか? 「食べる夜」のイヌイットたちはひどく憂慮している。

 実際、「食べる夜」の儀は、年々、その存続が危ぶまれつつある。グリーンランドにルーツを持ち、イヌイットの血を受け継ぐ「食べる夜」の儀の者たちでさえも、時とともに儀式への熱意が失われるのは仕方のないことなのかもしれない。

 私は自分の欠片「北西」を来年もまたサローハに持っていきたいと思う。そして同胞たちとともにまたイヌクティトゥット語で祈りを捧げたい。この先、私の故郷、グリーンランドの氷の大地がどうなっていくのか、この目でしっかりと見極めたい。(終わり)

*儀式やサローハという地名は想像の産物です。
*「エスキモー」は蔑称に当たる場合(とくにカナダ)があるので「イヌイット」を使用しました。
*イヌクティトゥット語に主体と客体の区別がないというのは私見に基づく仮説です。
【参考】
Wikipedia「グリーンランド語」
Wikipedia「カーナーク

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このストーリーは以下のマガジンに収められています。


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