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「あたりまえ」

本稿は、職場の年上メンバーに対する『負の感情』の記録と、それに対する『自分なりの答え』の記録である。
「苦しさを乗り越えると、どれだけ苦しかったか忘れてしまうから、書き残しておくといい」と上司が仰っていたため、書き残すことにした。
勿論、ここにある負の感情は綺麗に隠して仕事をしている。

私のプロジェクトには、義務教育レベルの漢字が読めない年上メンバーがいる。29−30歳、いわゆるアラサー世代の男女2名である。何故、漢字が読めないことが発覚したのか。プロジェクト内で資料読み合わせを行なっているからである。
上司からの指示で、仕事のスムーズな進め方が体系化されている資料を全員で読み合わせることになったのだが、ここまで漢字が読めないとなると最早読み合わせの意味はない。どのレベルの漢字が読めないのか、下記に一例を紹介する。

冗長化、可視化、属人化、遵守、逸脱、習熟

小学校もしくは中学校で習う漢字

これらは、彼らが実際に読めなかった言葉たちの一部である。
最近のエピソードとして一番印象に残っているのは「習熟」を「シュウネツ」と読んだことで、これには流石に開いた口が塞がらなかった。
最初こそ、漢字が多少読めないだけだとあまり気に留めていなかったが、読めないどころか内容を理解できないことも多く、それらの出来事はだんだんと私の中に黒い感情の渦を巻き起こしていった。

私は、このプロジェクトにおいてリーダーではない。正確に言うと、リーダーと任命されていないがリーダーの仕事をしている状態である。加えて、プロジェクト内で一番年下で、社会人歴も3年と一番浅い。給与も、恐らく一番安いであろう。そんな状況下の中、漢字が読めないアラサー男女を育成しなければならない。ふざけている。

“義務教育の漢字も読めず会社の資料も理解できないアラサーたちと、同じ環境で働いている自分“
この事実が、徐々に私の自尊心を蝕んでいった。自尊心なんて元々持ち合わせていないのに、底を突き破って、黒い渦が地中を潜り進めている。

何故こんなにも苦しいのか。
それは、彼らが私の「当たり前」から大いにズレていたからである。

「当たり前」とは何か。それは、“生きてきた環境そのもの“だと私は考える。
生きてきた環境が似ていれば、「当たり前」も似ていることが多いため、相互理解がしやすい。だが、生きてきた環境が全く異なる場合、その「当たり前」は互いに理解が難しくなる。

今回の事例で言うと、私は“勉強しないと、良い点を取らないといけない環境“に置かれていたから、私の「当たり前」は“基礎的な学力を持っている”ことであった。ましてや社会人なのだから、そんなことは世界の常識だとまで思っていた。
しかしながら、彼らの場合は、それが当たり前ではなかった。基礎的な学力が備わっていないことは自覚しながらも「勉強してこなかったから」「本読めないから」と、“さも当然“といった顔をしているのである。私には、この感覚が到底理解できない。理解できないと同時に、湯船を沸かすことができるくらいには腹を立てている。

何故、こんなにも腹を立てているのか。それは、彼らが羨ましいからである。勉強ができなくても家族や友人に認められ、平穏な日々を過ごせていることが、心底羨ましいのである。同時に、知識量や学力に差があるのに同程度の給料で自分がリーダーの仕事をしている現状が、物凄く悔しかった。

悔しい。とても悔しい。

それに、私はアラサーの彼らに漢字や国語を教えるために会社に入ったわけではない。漢字も読めない、文章も書けない、資料も理解できない、そんな彼らに何故仕事があるのか。学生時代の勉強を疎かにし、社会人になってからも勉強を疎かにしている、そんな彼らと同じ環境・同程度の給料で、何故私は働かなければならないのか。



さあ一体、この状況をどのように改善したら良いのでしょう。
答えは簡単、自分が変わるしかありません。彼らに腹を立てているということは、勉強ができない自分を許せないということですから、まずは自分を許してあげないといけません。“できない自分・努力しない自分”を許してあげられないと、相手を許すことはできませんから。自分と向き合って自分を許すことで、どんな人でも受け入れて相手に敬意を持って接することができ、どんなプロジェクトでもマネジメントができるようになるはずです。

やるしかないのです!やる以外の選択肢はないのです!
むしろ、今の状況は絶好の出世環境!今のうちに出世するのです!




自然の中で珈琲や紅茶を飲みながら、本を読んで映画を観て、時々お酒を嗜むーーー本当はそんな生活を営みたいが、私にはまだまだ乗り越えなければならない壁が沢山あるようだ。

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