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言葉に触れ続ける

今日久しぶりに本を読んだ。
学生時代永遠と時間を持て余していた頃腐る程読んだものだが、ここ最近めっきりと読まなくなっていた。それどころかアニメや映画、ゲーム、様々なサブカルチャーや創作から離れてひたすらにハリウッドザコシショウと猫ミームを抜け殻のように眺める毎日だった。

脳みそを使いたくなかった。
日々の流れについて行けなくなり崖から落ちてしまわないように、それでいて努力は御免だったので出来るだけ手を抜きながら泳ぐようにしているうちに崖際で落ちるギリギリの距離を保ってその日を凌ぐ事に精を出すようになってしまった。

しかし曲がりなりにも流れを泳いでいる内に、その流れは緩やかになっておりどうにか前に進めるようになっていた。
そうして余裕が生まれた私は久しぶりに映画に触れた。
漫画に触れた。
そして活字に触れた。
著者の言葉を尽くしてあしらわれた美しい文字の羅列、丁寧に吟味され出力した思想、その数々を味わっている内に不思議な感覚に陥った。
脳が踊るような、むず痒い感覚だ。
決して不愉快なものではなくとても心地よく、私のニューロンの一つ一つが歓喜の声をあげているのを感じた。
そして思い出した。私は昔この感覚が好きで本を読み、言葉を出力していたのだと。

言葉はとても複雑だ。触れていないとすぐに離れていってしまう。少しでも言葉を自分のものにするには、言葉に触れ続けるしかない。そして触れた言葉を自分の脳内で再構築して外に出していく事が必要となる。
山から流れた水が川となり池となる。池になった水はそこでせき止めてはいけない。そのままどこまでも流れ海と一体になり循環する必要がある。この現象と言葉は同じだ。
言葉もまた私と外界で循環させねばならない。
言葉が私のもとから二度と離れないように、
まずは消えた言葉を取り戻すために、これからも私は言葉に触れ続ける。

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