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なんでもない日にプレゼントしたら……。

「なにか渡したいな」

なにがきっかけか分からないけれど、翌週東京から遊びに来る友人二人にプレゼントをしたくなった。

誕生日でもなければ、最近結婚したわけでもない。

ーーでも、何かをあげたい。

そんな思いが芽生えたのは生まれて初めてで、「さて、どうしたものか」と考える日々が始まった。

恥ずかしながらプレゼントをするときは、事前に聞いた”答え”を渡すか、絶対に間違いないものを渡すことが多かった。

「あのブランドの、あのカバンが欲しい」と事前に彼女から答えを聞いて、そっくりそのままを。

「いらないもん貰っても困るよなぁ」と思って、友達にはAmazonギフトを。

間違いではないのだけれど、面白みもない。

しかも今回は誕生日でも、ほかに祝い事があるわけでもない。

ーーただ、日頃の感謝を伝えたい。

そのために渡すプレゼントの答えを聞くわけにもいかないし、Amazonギフトなんて論外だった。

でも仕事帰りにふらっと百貨店に寄っても、答えは見つからない。

結局、二人に会う前日まで悩んでしまった。

最終的に、
美容が好きな彼女にはシュウウエムラのクレンジングを、
毎日働きすぎている彼にはちょっと良い入浴剤を購入した。

重すぎず、軽すぎず、ちょうど良いものが見つかったと我ながら思う。

さて、二人は喜んでくれるだろうか。

半年以上ぶりに会う二人との再会をひとしきり喜んだところで、
「実はさ…」とプレゼントを渡した。

「いろいろ悩んだのだけれど……」と前置きをして、
二人への感謝と、プレゼントの背景を伝える。

すると、
「プレゼントはもちろん嬉しいけど、自分を思い浮かべながら悩んでくれたのが嬉しい」
と彼が言ってくれた。


あぁ、プレゼントってそういうことなのかもしれないな。

間違いないものを渡すのも良い。

でも、相手を思いながら自分のなかで正解を探す場合は、正解を探す時間もプレゼントに含まれるんだ。


それだけじゃない。

自分で考えて渡すプレゼントは、自分も嬉しくなることに気がついた。

会社員をしていると、自分と向き合うのに精一杯な日が多い。

そんななかで、プレゼントを考えている時間だけは自分以外のことを自然と考えられた。

自分を端っこにして、相手を中心に考える。

そういう相手が自分にいることも、そんなふうに考えられる自分がいたことも、なんだかとても嬉しくて。


これからも、なんでもない日に、なんの含みもないプレゼントをしていきたいと思えた。









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