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QE瞬間ヒーリング・一瞬で幸せになる方法

ー受け継がれた苦悩の連鎖を断ち切るー

この本は私がとても思い入れのある本です。QEという瞬間ヒーリングについて書かれている本です。

この技法はシンプルですが絶大な効果があります。私自身が臨床場面で実際に用いている技法です。

しかし臨床現場ではQEという技法はほとんど知られていないし、応用などに進むと遠隔技法なども可能になってくるのですが、臨床現場でそのようなことを言うと、怪しげな印象を持たれ、かえって仕事がやり辛くなるため、私は「マインドフルネスの応用」としてこの技法を伝えています。

「マインドフルネス」も「QE」も、「ヴィッパサナ瞑想」も、応用行動分析における「メタ認知」も全て「気づき(サンスクリット語でサティ)」という生命現象を応用した技法になりますが、宗教的・スピリチュアル的な概念が邪魔をしてよけいに混乱を招いてしまうことがあります。

こうしてメリットよりもデメリットの方が大きくなるリスクがあるのですが、基本的にはすべて同じ現象を言葉を変えて表現しているだけです。

気づき(サティ)=ノンデュアリティ(非二元)といわれ、これは古今東西あらゆる宗教(ユダヤ教、キリスト教、仏教、ヒンズー教、神道など・・・)と哲学(ヴェーダ哲学など)の核心といわれています。

3点法という技法が最も簡単ですぐにできる方法なので、以下私が簡単にその方法を書いています。

3点法


3点法
Step1:「軽く目を閉じてください。リラックスして体の力を抜きます。左右のうちどちらかの指先に注意を向けてください。指先に何か触れさせてみましょう。机でも、自分の体のどこでも、何でも構いません。今、指の先はどんな感覚がしますか?冷たいですか?それとも暖かいですか?指の中に走っている血管の中の血流がジンジンとしている感覚がありますか?指先の皮膚の感触はピリピリする感じ?それとも湿っている感じでしょうか、またはカサカサと乾燥している感じでしょうか。それらの感覚はどのように感じられていますか?


 感覚が起こることについて解釈しないで、感覚のみに集中してください。
 指先と物の接点や、外気に触れている場所などを注意深くただ、努力なしに気づいてください。その間、他の考えがよぎったり、気になる事柄が浮かんだりして、指先の感覚を忘れてしまうことがあるでしょうが、そのようなことになっても、ただ指先の感覚に、努力なく戻ってください。
 途中、体のどこかに力が入っていることに気が付いたら、その力をそっと抜いて、また指先の気づきに戻って下さい。

 Step2:それが出来たら今度は、もう片方の手の指を、どこでもよいので触れてみてください。そして上記と同じ手順で同様に行ってみてください。

 そして左右の指先の感覚に同時に気づいていてください。

 Step3:左右の指先の感覚に同時に気づいていることを維持していると、どこからか安らいだ感覚、落ち着いた感覚、静かな感覚があることに気がづいたでしょうか?

 そうしたら、その安らぎ感、落ち着いた感覚、静かな感覚など心地よい感覚も維持します。

 つまりStep1~Step3までの3つの感覚を同時に維持し、気づいたままにいます。

 これを1~2分ほど続けてみてください。(※便宜上、指先を感じるのが難しい様でしたら、他の体の部分のどこでもかまいません。ご自身でやりやすいように行ってみてください。)

以上です。

…詳しくは本書を読んで実際にワークを行っていただくことが最も効果があるでしょう。

私がこの技法を強く勧めるのは、やはり私自身が得た恩恵が大きかったからです。

簡単に私がこの技法でどのような効果があったかの実例を書きたいと思います。

母の自死のトラウマをOE瞬間ヒーリングで乗り越える

2013年私は母親と最後の℡をしました。

母は強い愛着障害と鬱病を30年以上患い、私の行動を束縛し、強い依存を示していました。

私が行く場所やコミュニティ、付き合う人間関係においてすべてに先回りをして、私自身を無意識に管理したがるようでした。

そして、幼い時から私が結婚をするならば、母は自殺すると、本気で言っているようでした。

そのような状況がずっと続くわけですから私自身も精神をい悪くし、母と距離を置くことでメンタルのバランスを取っていました。

日々の瞑想生活は、私の精神のバランスを保つのにとても役に立っていました。

紆余曲折しながらも、私が結婚をすることになり、それを母に直接面と向かって知らせると、母は激怒し私を勘当することにしました。

勘当から数年後、私は結婚をし、子どもも二人授かりました。

母はその間、どこかの宗教団体に大金を貢ぎ、母のもとに私が変えてくることを祈祷し続けている様子でした。

父の講座から勝手に400万円も引き出し、宗教につぎ込んでいたので、それが発覚した時には父も大慌てでした。何せ人生設計が狂ってしまったからです。

そのような大金をつぎ込んでも状況が変わらず、父にもお金を盗ったことがばれて、母は居心地はかなり悪くなったのではないでしょうか。

異常にプライドが高かった母は、しばらく大人しくしていましたが、ほどなくして今度は直接私に電話をしてくるようになりました。

電話では、以前のように「苦し、死にたい、助けてくれ」という幼少期から聞かされた言葉が続きます。

そのため、私は電話に出ることはなくなりましたが、今度は留守電話に永遠とそのような言葉を何十分も泣きながら入れているのです。

私は、子どもの時から母は自殺企図があるものの、結果今の今まで生きていたから無視して大丈夫だ、という強気な反面、もしものことがあったらどうしようかと、ハラハラする脆弱な矛盾した気持ちにいつも張り割かれそうでした。

なので、一月に1~2回は電話に出るようにしたり、長期目標を立てて母の状態を改善するようなプログラムを父や親戚の叔父さんと話し話し合ったりしました。

また、地元の福祉局や医療関係者との連携も行いながら見守っていました。

しかし、母と関わる人は、プロでなければエネルギーを吸いとられ疲弊して、最後には体を悪くするか、関係を断つ結果に終わってしまっていました。

結果親族と医療・福祉関係者の力に頼るしかありませんでした。

当時、私自身のメンタルバランスを取るために瞑想は行っていましたが、それ以上に癒しとヒーリング、覚醒といった分野に興味を持ち始めました。

そしてちょうどその頃にQE(瞬間ヒーリング)の書籍と出会い、その技法のシンプルながらも効果のあることに非常に興味を持ち始めていました。

そんななか、母の兄弟の中で最も母と仲良くしてくれていた叔父が、体調を悪くし、母と関わることが出来なくなりました。

依存心が異常に強い母は、状態を悪くし、また私への電話が多くなっていました。

最後に母から電話があったとき、母は

「もう決着をつけよう、お前は私のことが好きじゃないのか?」というような言葉を投げかけてきました。

私ははっきりと覚えていないのですが「そのように依存が強く、相手を困らせる状態の母は嫌だ」というような言葉を話した気がします。

無意識の防衛で当時はもっと違うことを言ったかもしれませんが、とりあえず今現在覚えている言葉はそのような内容でした。

それが母と会話した最後でした。

父は当時、母とは同居せずに、海外出張を繰り返していました。母の状況が心配なので月に1度1週間は実家に帰り、母の様子を見ている様子でした。

そして、父が海外に行っている間に、母に対しての今後の支援計画や、関わり方を私が臨床心理士という知識と技法、資格があるので協議するということを行っていました。

母との最期の電話であったことも知らず、私は、数日後に父と今後の母とのかかわり方について電話で相談をしていました。

計画では、いずれ母には妻と孫を見せるための準備をゆっくり進めていたのです。

母の自死

皮肉にも父とそのような話をしている間、母は自死を選び、首を括って亡くなっていたのでした。

母が発見されたのは、亡くなってから2週間以上も経っています。

季節は初夏。母の体は腐敗し、家は死臭がこびりつき、とても人が住める状況ではなくなっていました。

父が母と最後にあった人間で、まずは事件性を疑われて警察署に取り調べを受けていました。

父が犯人であるはずもないのですが、私は自死であるよりも他殺の方が幾分かは救われるような感覚を持っていたことを覚えています。

もちろん犯人は父で在るはずがないのですが、まったく知らない強盗に殺害されていたら・・・という奇妙な考えがよぎり続けていました。

遺書は無く、警察は遺体の確認は腐敗が激しいので進めませんでした。

しかし、父は母の最期を見届けたいと言い張ります。

父を一人にさせるわけにもいかないので、私は父と一緒に母の遺体を確認することにしました。

警察の言うように、遺体の腐乱が激しく、すさまじい異臭と顔にウジ虫が湧いていることが見て取れました。

PTSD

それから私は不眠、悪夢、何か異種がしたり、ごみを見るたびに母の腐敗した顔が目に浮かび、激しい頭痛を患うようになります。

肩、首の異常な凝り、夜一人で過ごすと何故か数人の気配を感じる、重い抑うつ症状といった典型的な症状に毎日患わされていました。

その時は長年行っていた瞑想が出来なくなっていました。瞑想をすると強いフラッシュバックが起こり、とても瞑想どころの騒ぎではなくなっていたからです。

また、私はずっと夢を見続けているのだと感じ始めました。現実か夢か分からないような感覚に長く浸っていました。

駅校内で歩いている感覚と、寝室の布団で過ごしている感覚と同じようで、駅の構内でそのままぐったり眠りそうになることもありました。

また、私は臨床心理士として働いていたのですが、自分自身のおかれている状況や家族のことが知れ渡ること、酷く仲間は心配するのではないか、

そして自分がPTSDや鬱的な状況になるとで仕事が減ったり無くなったりするのではないか、という強い恐怖心から、仲間内に相談することに恐怖を感じできませんでした。

そこで、以前から少しづつ行っていたQE(瞬間ヒーリング)を読み直し、毎日丁寧にその技法を行っていました。

3点法は、最初の方法として最も簡単ですぐに安らぎを得られることが出来ます。

そして、心のしくみと意識のしくみと構造を学び、非二元(ノンデュアリティ)哲学に強く惹かれてゆきます。

私は母を殺したのではないか、私はプロの臨床心理の資格を持ちながらちちゃ親戚、関係機関と連携中心的に行いながらも、こうした最悪な結果を迎えてしまった。

つまりは私自身も死をもって償わなければならないのではないか、という考えがまとわりつき、非常に強い罪悪感の念がありました。

しかし、非二元(ノンデュアリティ)の世界では、そもそのそのような個別性のある自我、個人、行為者という存在は幻想であるという事を説きます。

個人という幻想を徹底的に体感をもって調べていき、幻想と実在を識別してゆくことを毎日繰り返しました。

例えば自分という概念を考え、体感してみると、

名前=親がつけた概念、職業=役割の名称、好きなもの・嫌いなもの=後天的に取得したものもあれば、先天的な生理現象パターンで「私」には関係のないもの・・・

というように、「概念」という玉ねぎの皮を一枚一枚はぐように識別してゆくと、最後は何も残らない「空」の状態になります。

「空」の状態は何も感じない場合もありますが、広大な広い愛、至福、静寂としても感じられます。

それはその個人の生理現象や状況によって感じ方は違うのです。

静寂と至福というキャンバスの上に、私のストーリーが展開され、そのストーリーの中に母の自死という出来事が起こっていることが分かりました。

そして、トラウマとなった母の腐乱死体の記憶についても、QEを行ったり応用することで、脅威的なものではなくなりました。

それは例えば、ホラー映画を見ているときは本当にその映画に恐怖したりしますが、映画のスクリーンに近づくと、ホラー映画を構成している映像は、直径2~30㎝の光の点の集まりであることに気が付きます。

スクリーンという「静寂と至福」の上に、光の点が形を作り、意味を持ち、物語を構成していることを「体感」することがQEで出来ました。

光は光で、それ自身は「気づき」という点です。

どんなに恐ろしい、悲惨なストーリーであっても、光の集合体でフィクションであるということが分かると、急激に私の抑うつやPTSD的な症状もなくなっていきました。

この経験は私の人生に大きな意味を与えました。

妙なことですが、母との出会いはこの経験をするために出会ったのだということが分かりました。

そして、発達障害や精神疾患、人格障害や愛着障害における苦しみの連鎖を解消し、解決するには「気づき」という体感とノンデュアリティ(非二元)の知識があって、意味のある変容が起こることを理解しました。

そしてそのことを多くの人に届けたいという事が私の夢となりました。

ちょっと私の話が長くなってしまいましたが、フランク先生のQE(瞬間ヒーリング)はとてもおすすめです。

日本では現在4冊訳され、ワークショップには全部の種類に参加することが出来ました。

5月下旬からナチュラルスピリット主催で、フランク先生のショップがまた開催されるようです。

もしご関心のある方は情報を見てみてください。

私も参加してみようと思っています。

フランク先生とワークショップが終わったときに質問を直接おこない、私の簡単な状況と、QEという技法によって私が大きく救われたことに感謝しているということを通訳さんを通して伝えました。

フランク先生は「I'm proud of you(私はあなたを誇りに思う).」

と優しく、しっかりとした核心を持った目で伝えてくれました。

その時の体験は、私の財産になっています。

今度のワークショップはオンラインなので、フランク先生と直接かかわることが出来ないのが残念ですが、またフランク先生に学ぶことを楽しみにしています。

その時の感想もまたUP出来たらと思っています。







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