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与えられた選択肢で生きていきますか?【comemo・データの世紀】

データの世紀の問い「あなたは自分の個人情報をどう管理したいですか?」への答えは、「① 誰に、どんな情報を渡すかを、自分で全部確かめて管理したい」です。

便利な世の中

スマートフォンひとつで世界とつながる。空き時間に株価の動きをチェックし、売買の注文を出す。どこにいても指一本で必要なものを購入。健康状態の管理や、医療サービスもオンライン。いずれ自動運転も生活に溶け込むだろう。AIアシスタントに話しかける。適温の室内、ほどよい明りの中、好きな曲を楽しみながらnoteを書く。

便利な世の中になりました。

便利さの裏返し

ところが、たくさんのサービスに登録することでIDとパスワードの管理に不便を感じるようになりました。パスワードを管理するアプリもありますが、安全性がわからないので利用していません。
いまはバラバラな、それらのデータを一つに統合してもっと便利に利用したいか?と聞かれたら、単純に「はい」とは言えません。

思考力と想像力の危機

対象者のデータを分析してピンポイントに商品を売りこむことができれば、企業の販売活動にはとても有益だと思います。需要にぴったりなものを供給できれば、無駄なく効率的に利益を生み出すことが可能になるでしょう。

でも、欲しい(と思われるもの)がいつも目の前に用意されていることは楽しいでしょうか?先回りして他者から与えられる選択肢のなかで生きていきますか?

人は楽な方に流れます。「考えなくなってしまったら世界はどうなってしまうのだろうか?」ということを昨日、知人たちと話していました。

私は五感で確かめたいです。自分の選択肢にないものと出会い、感情の動きを楽しみながら、探して選んで意思決定したいです。それが人生の醍醐味かもしれないと思います。

集めて使う側の倫理感

数か月前、AIアシスタントが勝手に「家庭内の音声を外部にメール送信した」ニュースがありました。ペットにねこなで声で話しかけているところや、怪しい鼻歌をうたいながら遊んでいるところを外部に送信されてしまったら…想像しただけで恐ろしいです。
というのは冗談(でもない)ですが、もし意図せず企業や国家の機密が外部に送信されてしまったら、恐ろしいではすみません。有事の引き金になるかもしれません。

データを扱う側の倫理観や常識はとても重要だと思います。悪いことに利用しようとする人が絶対いないとは限りません。対象者のことを理解していたら、行動を操作することも可能かもしれません。なにより、意図せぬ他者に追跡されて様々なデータを把握されている状況は、ストーカーのようなこわさを感じます。

利用者はどうやって身を守れば良いのか

なので、データを渡す相手は自分の意思で選択したいです。とはいえ完璧にはできないし、すでに集められている可能性はゼロではないでしょう。

AIやデータについて考える時は、手塚治虫さんの漫画を思い出します。


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