見出し画像

〝ある〟ものに目を向けること

こんにちは
sora no niwa です


誰かのために生きたかったら、

「大事にする順番は、自分、家族、それからだよ」
「自分を幸せにすることが、まわりの人のためになるんだよ」
 

そう知ってから、まずは自分なんだなと思ったのですが


その、〝自分を幸せにする〟というのが、

好きなこと・やりたいことをするだけでなくて、

『自分を好きになる』

好きでなくても『認める』


どんな自分も愛おしいというか、できる自分、できない自分、ダメダメな自分にもOKを出す。


そうだとわかったときに、一気に困ったことがあります。


人のことは良いところを見つけられたり、「大丈夫だよ」って言えても、

自分になると、そうは思えない、、、、


ほめられても、「ありがとう」って、受け取ろうと意識しないと受け取れない。

(というか、実際は受け取れていなくて)


こんな私が。
何がいいんだろう。
やってもらって、申し訳ない。

というか、全然自分のこと好きになれない。

って思っていました。


足りない、足りない、できない、できない… 
 

そう思えば思うほど、

家族に、こうやって動いてほしい、こうしてほしいって期待しすぎたり。思いどおりにしてくれないと、あるときに許せなくなったり。


何かしないと価値がない気がして、評価を得られない気がして、

(とくに専業主婦だったり、旦那さんのおかげで家計が成り立っているとしたら、なおさら)


子育てや家事の手が抜けなかったり。がんばっているつもりがなくても、キャパオーバーのことまでしていたり。


子どもたちのことが、必要以上に心配になったり。自分の似ている部分、やりたかったことにイラッとしたり、モヤッとしたり。

まわりの人の反応が、気になりすぎたり。


自分の外側から、補おうとしてしまうのだなと。

 

で、そんなときに

〝ある〟ものに目を向けること
 
 
手がある、目がある、口がある、鼻がある、息している、ご飯食べられている、旦那さんが働いてくれている、今回も払えた、アイデアもらえた、思いついた、お菓子いただいた、10秒掃除できた、時間ある

 
いろんな〝ある〟を意識すると、いまの状態でもいろんなものがたくさんあって。

 

子どもたちに対しても、

生きている、泣いたり怒ったりしていても主張できている、(やってほしくないことがあったとしても)自分で決められている

服を着たとか。笑
 

食べない、仲良くできない、主張できない

と見ることもできるけれど、

(こちらも、それでOKと認められるとラクなんですけど)


どう見ているかで、子どもの姿も、目の前の起こる現象も変わってくる


人って、ほぼみんな、愛されたい、認められたいは出てくるので、全くこの感情がなくなることはないのかもしれないですけど、

求めずに済んだこと、思いとちがっても許せることは、自分がラクになります。
 
 
欠乏感だったり、不安からの選択でなくて、
なんかわからないけれども、大丈夫だろうという安心感。

〝ない〟ことから、〝ある〟へ。
 

私も、また意識してみようと思います。


相談(オンラインも可能)

1時間 5,000円
2時間以上 8,000円(1ヶ月のLINEサポート付き)
LINE相談 1ヶ月 6,000円


託児は、1時間〜お受けしています。
(認可外保育施設のため、市町村によって補助使えます)

こちらは今後、体制が変わりますので、お問い合わせくださいね。


いつもありがとうございます。

sora no niwa 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?