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カメラについてあれこれ思ったことーアサヒカメラが休刊からの思考

アサヒカメラが次の号をもって、休刊になるとのニュースが流れた。

https://www.excite.co.jp/news/article/Itmedia_nl_20200601132/

自分がとても大好きな写真家の田中長徳さんもこれに触れている。

昔は、インターネットというメディアがなかったため、何か新しい趣味なりを始めようとしたり興味のあるものについて情報を得ようとする場合は、「雑誌を読む」というのが一番最初の行動としては妥当なものだったと思う。
パソコン雑誌としては、アスキーを読んで詳しくなっていったし、クルマのことのならカーグラフィックや月刊自家用車なんていう雑誌もあった。

写真やカメラのことに興味を持ち始めたとき、カメラ雑誌のなかでどれを読むかということになったのだが、自分の場合は日本カメラでもなく月刊カメラマンでもなく、キャパでもなく、アサヒカメラだった。

「なぜ?」と聞かれても思い出せない。
連載が好きだったのかもしれない。
思い当たるのはいくつかある。

学生時代からそれこそ10年間ぐらい、必ず購入していた。部屋には、ものすごい冊数のアサヒカメラの山があった。しかし、デジタルカメラ全盛になった頃から、デジタルカメラの画素数が500万画素を超えたくらいの時代か、買わなくなった。コンクールの作品もフィルムではなくデジタルプリントが中心になってきて、何故か興味が無くなってしまった。丁度その頃に引っ越しもあり、全部捨ててしまった。今考えると、もったいなかったかもしれない。

デジタルは、撮った瞬間に確認出来てしまうから。また、コンピュータでレタッチするのが当たり前になってしまったことで、「写真」の持つ「何か」が失われてしまったような気がして、そこからは雑誌を買うことをやめてしまったのは確かだ。

iPhoneやデジカメのシャッターを押さないのか?と尋ねられたら、「普通に使いますよ」と答える。デジタルカメラで撮影した画像は、自分の中では記録という印象がある。
仕事で使う事もある。しかし、それも記録に徹している感じがある。長い間、EOS-KISS Digital X5も使っている。しかし、これで十分という感じがあり、新しくデジタルカメラを購入するという事は、ほぼ無くなった。コンパクトデジカメが壊れて、代替わりという感じで購入するという事は数年ごとにはあるけれど、基本的にはそういうことがきっかけ。もう既に自分の技量の中では十分すぎる性能だから。

時代の流れによって、写真の世界やカメラを扱う事の表現に対する文法が変わってしまったというのが、読者の減少というところに現れたのではないか。表現することの楽しさには、多少なりとも不自由さがあったりするからこそなんだと思う。しかしながら、デジタルカメラではお金をかければある程度の解像度が得られる訳で、また今のある程度の機材があればアナログの時代には不可能だったことが簡単にできてしまう世の中になってしまった。

さて、専門誌というのは今後どんどん減っていくのだろうか?
多分、方向性としてはしっかりとした内容で且つレベルのものを取り上げる雑誌というのは、やっぱり必要だと思う。
それの良い例が、鉄道模型趣味だと思う。文法が徹底されている。
また、枻出版の出す雑誌などは、写真についても範囲を限定してい取り上げることにより、文法化に成功していると思う。

ニッチになったので、部数は出ないが続くことの出来る雑誌というのは存在する。

今日、カラーネガフィルムを10本購入してきたが、写真を撮って楽しいと思うものは、結局20年、30年変わらない。デジタルカメラで撮影する画像は、はたして20年、30年という時間軸で耐えられるものなのだろうか?

そんな事を、アサヒカメラの休刊の知らせで考えたりした。

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