社会の役に立ちたい!と思っていた話
小学生の頃から私には「社会の役に立ちたい」という思いがあった。
ここだけを切り取れば、社会貢献を意識していた変わり者の小学生に見えるだろう。私自身もつい最近までそう考えていた。だから以前の投稿でも社旗の役に立ちたいと記した記憶がある。
しかし大学生になった今改めて振り返ってみると、その裏には自分の有用性を証明したいという無意識の自分がいたことに気付いた。私という一人の人間がいかに社会にとって有益なのかを示そうと努めていたのだ。
このように考えるようになった一番のきっかけは私がきょうだいであること。小学生の時に友人から「障碍者は社会の役に立たないよね」と言われても当時の私には言い返す力はなかった。その代”自分が人一倍社会の役に立てる人間になろう”と静かに心に誓ったのだった。
時が流れ、社会の役に立ちたいという思いがいつしか一人歩きを始めてしまった。学校では常に優等生を演じていたため、このような考えに大きな疑問を抱く人も現れなかった。
社会の役に立ちたい!
それを言うことに自惚れ、知らないうちに社会の役に立てないきょうだいと社会の役に立ちたい私という括りが誕生していたことに恐怖を感じる。
社会の役に立ちたいという思いが消えたわけではない。ただ安直にこの言葉を用いたり、自分を紹介するときに使ったりすることは控えたいところである。
モラトリアムを生かし、これまで無意識のうちに使いすぎて凝り固まった私の言葉を少しずつ整理したい。
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