今も昔も高校の教師は生徒のために多様な授業を展開している。 ここでは、誰しも一度は感じるであろう「なぜあの先生の授業はわかりやすいのに、この先生の授業はわかりにくく眠気さえ感じてしまうのだろう?」という疑問について”教師の行動”に焦点を絞って考えていきたい。 全体の流れ 1,調査方法 2,生徒からの評価が高かった授業 日本史B 英語表現 3,生徒からの評価が低かった授業 世界史A 数学B 4,考察 5,提案 1,調査方法 ①私が所属するクラス
環境が変われば人は変わる。 そのようなことをかすかに期待していた過去の自分に伝えたい。 それは表面的な変化に過ぎないのでは。と。 話し好きな友達と過ごしたら聞き上手になれるかもしれない。英語が上手な友達と過ごしたら英語のテストでいい点が取れるようになるかもしれない。もちろんこのような変化を否定するつもりはない。ただ、これらは外部からの評価が変化したにすぎない。 自分を変えたいと願う人は外部からの評価を変えたいのだろうか。言うまでもないが自分自身が感じている課題を克服したい
また明日ね! また遊ぼうね! 私たちはいつも誰かと別れるときにまた会おうという気持ちを伝えあう。それは本当に会えるかどうかは関係ない。出会えてよかったと伝えるための文句だ。 電車に乗るたびに車窓から見える家々をみて思うことがある。 きっとここに住んでいる人のほとんどとはすれ違うことさえないのだろうな。同じ時代を生きているにも関わらず存在すら知らずに死んでいくのだろうな。 そう、一生のうちに巡り逢える人数は数えるほどしかいないのだ。 それなのに私たちは日々人間関係に
中学校では吹奏楽と生徒会の両立、高校では吹奏楽と課外活動としての国際交流との両立をしていた。もちろん勉強もまじめにしていた。 周囲からは「そんなに忙しくして大丈夫?」や「無理しないほうがいいよ」と心配されることも多かった。しかし私は、忙しいほうが楽しいし無駄な時間が無くなるから自分に合っていると考えていた。 小学生の頃から手帳を持ち歩いているくらいスケジュール管理は得意だ。趣味の少ない私にとって暇な時間ほどもったいないものは無いと思っていた。食事と睡眠さえ確保すればいいと
小学生の頃から私には「社会の役に立ちたい」という思いがあった。 ここだけを切り取れば、社会貢献を意識していた変わり者の小学生に見えるだろう。私自身もつい最近までそう考えていた。だから以前の投稿でも社旗の役に立ちたいと記した記憶がある。 しかし大学生になった今改めて振り返ってみると、その裏には自分の有用性を証明したいという無意識の自分がいたことに気付いた。私という一人の人間がいかに社会にとって有益なのかを示そうと努めていたのだ。 このように考えるようになった一番のきっ
これまでの私は周囲からの評価ばかりを気にしていた。むしろそれが自分の人生の道標になっていた。それっぽいことをやってそれなりに褒められていれば十分だと思っていた。 しかし、とある人との対話の中で、自分の魂の声を聞けていないことに気付かされた。周囲の期待が集まることを口走っているだけで、それは外発的動機付けによるもの。他者の目がなくなれば、それは何の意味もなさなくなる。 何が言いたいかというと、以前の「大学4年間の計画」の中身が大幅に変わるだろうということだ。あの記事を書い
学校教育で行われていることを動詞で表すならば教えると答える人がほとんどだろう。育てるという答えも考えられる。 しかし私にとってはいずれの答えにも違和感を覚える。この言葉たちがもつ特性によるものが原因だ。”話す”や”食べる”のように明確な行動を示さないこと、対等な立場の相手には使われないこと、世界中にあるとは限らない概念であること、、、”教育”という言葉自体が”国家”と同じように具体物を持たないため非常に捉えにくい存在である。そのため今回の記事では学校での授業を中心に教え
誰の言葉だったか記憶が定かではないが、”夢は見るものではなく叶えるもの”と聞いたことがある。とても素敵な言葉だと思うし、受験のような大きな目標に立ち向かうときに心の支えとなってくれるだろう。しかしひねくれ者の私は叶わない夢や叶えない夢があってもいいと考えている。 幼いころの夢 私には鉄道運転士になる夢があった。幼いころから外出のときには必ずと言っていいほど電車を利用していたことと弟が電車を好きだったことから自然と運転士に憧れを持った。小学校の卒業式の夢宣言で「乗り心地の良
先日「教育現場は困ってる:薄っぺらな大人をつくる実学志向」という本を読んだ。これまでの自分を振り返りつつ、感想もかねて自分の考えを記録しておく。 中学生ながら 中学生くらいになると途端に学校の授業が難しくなり、理解が追い付かない子供が現れる。そして彼らが口をそろえて「これが将来の役に立つのか?」と教師に尋ね、「あなたたちの将来のために勉強するのだ」と答えにならない答えをもらっている姿を何度も目にしてきた。 それを見て子供ながらに感じていたのは、言葉は違えども子供も教
私は目標や計画を立てることが嫌いだ。それは予め自分の限界を決めているように思えるし偶然を受け止められないから。その時々に自分の直感を信じて行動したほうが余計なストレスも少ない。それでもここに大学4年間の計画を宣言するのは「世界中の人々に質の高い教育を届ける」という目標を達成するためには多くの人の力が必要だと考えているからだ。 誰もが自分の将来を自由に描ける世界 私の人生の目標は「誰もが自分の将来を自由に描ける世界」を創ることだ。これが人々の幸せになると考えている。しかしこの
私が人と話すときに意識していることや1on1での学びを記したい。 原体験を尋ねる 私が毎回の1on1で必ずと言っていいほど相手に尋ねるのが「そのきっかけは?」という原体験を探る質問である。この目的は二つある。 一つ目は相手の思考を探るため。例えばある人は子供たちの学ぶ姿を見て「彼らは目の前の事柄をどのようにとらえ理解しているのだろう?」と自ら疑問を抱いたことが原体験にあると話していた。言い換えるのならば周囲の人間は環境を与えたにすぎずそれをその人が自分なりに解釈して自
名前は知っていたけれど、逆に言えば名前を知っているだけだった。 誤解起立性調節障害は朝起きられない病気。これしか知らなかった自分がはずかしい。 病名に障害とつくけど障害ではないこと。心の病ではなく体の病であること。片頭痛など複数の症状が伴うこと。常に症状が現れるわけではないこと。 起床時や睡眠時に特に症状が出るこの病気はいわば”見えない病気”だ。午後になれば普通になる人が多いそうだ。でも苦しんでいる時を知らない世間からは、「仮病だ」とか「本当は大したことないんじゃない」
昨日参加したEDU-Portの「今後の国際教育協力への期待」というシンポジウムでの学びをまとめる。 開催プログラム順に学びを振り返り、さらに全体を通した発見や視野の広がりについて記したい。 JICAの教育協力とEDU-Portへの期待 海外で活動して学んだことを日本にどのように還元できるかという課題がとても印象的だった。そもそも国際"協力”というくらいだから、一方的な支援でなく互いに学びがなければならないだろう。しかし私のこれまでの経験では、講演会やポスターを通し
教育と社会移動の趨勢 近藤博之 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbhmk1974/24/1/24_1_28/_pdf/-char/ja 学歴社会はあまり肯定されるべきではないと思うが、教育に代わる移動手段や地位達成のルートがないことも現実なのだと改めて考えさせられた。
今日はオンラインで、「大学における教員養成の未来『グランドデザイン』をめぐって」というシンポジウムに参加した。 概要としては、”教職=自律的でクリエイティブな高度専門職”と定義し、医学部や薬学部のような6年制の資格を設けることで教師の質や社会的地位を高めることの提言とそれに対する複数立場からの意見及び討論であった。 特に印象的だったことを3つ記しておきたい。 1つ目は、提言の中でも触れられているが教職の専門性に関して。確かに高校の進路指導において、「教育学部に進学
地域みらい留学を選択するまで 私は中学生の頃”早く就職して社会の役に立ちたい”という考えから、大学受験のために高校進学をすることに対し違和感を抱いていました。そもそも当時の私は 社会の役に立つ=労働力 になるとしか考えられていなかったのだと思います。 中学2年生の時に偶然、地域みらい留学のパンフレットの「公立高校進学における、もう一つの選択肢。」というフレーズに惹かれて説明化に参加したことが地域みらい留学との出会いです。複数の高校の説明を聞く中で、『地域みらい留学をすれば