見出し画像

誰かの書いた文章を読むこと

ある方のnoteを読んでいて、ふと感じた

文章を読むのが好きだ。
勿論読むジャンルの好みはあるのだが。

私は特にミステリー小説が好きで、その中でも一番興味があるんおが医療ミステリー。
小説の他にも好きになった作家の方が出しているエッセイを読んだり、SNSを見たりすることも多い。
ちなみに私は、本を読むペースが速くない上に気が向いた時にしか読まないので、年間に読む冊数はホントに微々たるものではある。

昨年からのコロナ禍で、生活が色々変化した。
特に大きなものは、出勤日数が減り、在宅勤務が増えたこと。
それに伴い通勤時間が減り、自分がやりたいことに費やせる時間が大幅に増えたこと。
(ちなみに朝の電車はずっと寝てるが、帰りはスマホで何かをやっている)

そんな中、このnoteという存在に出会った。
noteは無料で色々な方の文章が読めるし、有料の記事を読むこともできる。
そして自分で書く事も出来る。
他にも同じようなサービスでブログがあるが、noteの方がシンプルで好きだ。
私が誰かの記事を読むのは、好きな作家さんがnoteをやっている事を知った時や、SNSでフォローしている人がやっていると知った時が多い。

ちなみに書く方に関しては、文章を書く事や何かを伝える事がうまくないのは自分でも重々承知したうえで書いている。
ただ時々何かを書きたくなることがあり、ここへ来る。
例え、誰も読んでくれなかったとしても。

ふと思った。
なぜ私は他人の文章を読むのが好きなのか。

特に理由なんてなくてもいいのだけど、少し考えてみて浮かんできたことが3つある。

1.自分の知らない世界を知ることができる
  自分がいる場所、生活範囲内ではどうしても知る世界が狭い。
  勿論テレビであったり他のものから知ることもできるのだが、私は文章を読む方が好きなので、やはり主なものといえば自分以外の誰かの文章なのだ。

2.自分では絶対に経験できないことが経験できる
  厳密にいうと経験ではないのだけど、まぁ疑似体験というか。
  例えば、私がこれから医師になる確率はどう考えても0%。
  しかし誰かの文章の中では医師になれる。
  (ただし、自分の意思で動く事はできないが)

3.自分ひとりでは得られない知識を得られる
  最近は得る情報ができるだけ偏らないように、と意識しているつもりではあるが、自分が進んで得る知識というのは自分の趣向が反映されてしまう事も多い。
  しかし誰かの文章を読む事で、その”誰か”の趣向で得た知識を自分も得ることができる。

上の3つはあくまで私の場合はであって、映像でそういった情報を得たりする人も最近は特に増えているのだろうと思う。
テレビ以外にも個人が作ったものを見られるツールが増えてきた。
それによって映像として受け取れる情報も増えてきた。
私も見たりするが、頻度としては文章ほどではない気がする。

結局どうして読むのかを一言で言ってしまうと、映像を想像しながら文章を読むのが楽しいから、なのだけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?