見出し画像

遠い未来の話①


 本日2022年4月2日~8日までは「世界自閉症啓発デー」です。
 日本では「発達障害啓発週間」として、各地で様々なイベントが開催されています。
 我が家にも一人、知的障害を伴う自閉症スペクトラム(カナータイプ)の子どもがおりますので『啓発』になればという思いで、この8日間、過去を振り返りながら記事を綴りたいと思います。


はじめに

 我が家には、今年で20歳になる、知的障害を伴う自閉症スペクトラム(カナータイプ)当事者がいます。
幼少期から自閉症に特化した療育を受け、3年前の春に特別支援学校高等部を卒業し、現在は自治体の生活介護を利用しながら地域で暮らしています。

 重度域ですので、言語の発達レベルが2語文をやっと話せる程度。それでも、本人なりに言葉の獲得を少しずつ日々重ねる中、健常者の人でも自己解決することが中々難しい問題というか課題を自分なりに模索している状況なようです。
 さて、なぜ、私が「自分なりに模索しているようです」といった断言していない一文にまとめたのかというのには、シンプルな理由があります。
 それは、本人と日々関わっている中で、片言で発せられる単語から導き出されることは、凡そ『こういったことではないのだろうか…』という思いから断言していません。というか、断言できることではないという思いがあるので、断言していません。
 それに加え、本人がまだ言語の獲得はしていても、自己の内側にある気持ちを言語化するまでにいたっていないこともあることから、確かめようがないということも理由の一つです。

 そんな我が子が、突然降ってわいたように、自身の裡から出て発語された単語が、本文中の始めのほうで出てきますが、知能指数を測定する検査で〝検査不能〟のレベルのわが子が、そのような言語を〝いつ〟どの時期に獲得し、なぜ、そのようなことを突然言い始めたのかが、母親である私にも最初は全くわかりませんでした。
 まさか知能指数の検査が不能な状況である我が子から、そんな単語がでてくるのかが不可解だったからです。そんなことってあるんだと思い、正直驚きました。ただの〝オウム返し〟だと思いスルーしていいものなのか…。それでも、私は、わが子と数年暮している中で、どうしても、その言葉はただのオウム返しとは思えず、どのように伝えるのかを模索してきました。
 なぜ、わが子がそのようなことを発語したのかといった理由は、いくつか考えられたのですが、その質問に対する〝答え〟がわかったとしても、本人の腑に落ちるようなカタチで言語化する必要があります。
 特別支援学校も卒業したばかりの時期でしたし、青年期になると言語域の訓練などは受けることができません。実質、特別支援学校へ通学していたからとしって、個別指導はしていただけても、言語の訓練のようなことは受けれてはいませんでした。それでも、学校では、それなりの支援をしていただいていた状況でしたので、特別支援学校といえども卒業後は本人が学べるような場が家庭しか『ない』状況になります。
 これまで、重度域の人たちは発語はできても、内面がないと思われていた歴史が長年続いていたのもあるのか、本人が望んでいるかもしれない〝学び〟ができないことからの不具合が生じてしまいます。ですので、気がついたら各家庭でやるほかありません。
 そういったことから、毎日毎日、何度も繰り返し同じ質問をされるので、その時々で言葉を変えながら、その質問に答えて早いもので2年程経ちました。
 そんな日々の中で、おそらく、こういうことではないのだろうか…という伏線を約2年余りの間に回収できている手応えを感じているので、こうしてNOTEに掲載することにしました。
 8日の日まで、どれくらい記事を掲載できるかはわかりませんが、お付き合いくださいましたらと思います。

令和4年4月2日 千晴


生まれ変わる


「生まれ変わる」 
 今年で20歳を迎えた知的障害を伴う自閉症スペクトラムの息子が突然そんなことを言い始めたものだから、今の息子の認知の状態にあわせて、今、自分で答えられる言葉を伝えようと毎日考えあぐねている。

 生涯、息子に関わる人が私1人だけならばいいのだが〝母と息子だけの秘密の話〟にしておくことができない。障害があるからこそ〝親亡き後〟を考え、母親の私以外の第3者の人たちへも伝えておく必要があるからだ。

 ただ、障害が重度域だからこそ、本人の本当に言わんとしていることを確認することが不可能に近い。ただ、想定されることは、いくつか思い当たることはある。

 まず、1つは『もう一度学校へ行きたい』という単純な願い。2つ目は『普通の高校へ行ってみたい』ということ。3つ目は、字義どおりに受け取るとしたら『来世の話』になる。

 どの線も考えられることだが、なかなか彼の願いを叶えてあげることが現状難しい状況だ。それでも、何とかならないものなのかと私なりに考えてはいるのだが、現在コロナ禍パンデミック医療崩壊の入口に陥ってるからこそ、暗礁に乗り上げてしまうことがわかっているので調べることもしていない。 

 これらを伝えるためには〝人の一生〟や〝生と死〟のことを伝える必要がある。ただ、こういった話は「始まりと終わり」が理解できていても、失ったものは二度と戻らないこともあるということを伝える必要がある。
 ただ、その時に感じるだろう〝喪失感〟は、親亡き後に、本人なりに越えていかなければならない。そして、息子をケアをしていく上で必要なことにもなるように思うのだ。

 何故なら、健常者であっても〝喪失感〟を握りしめたまま生き続けている人が多い。吐き出せない想いを握りしめたまま、自身さえ死にゆく人が多いとも思うからだ。ただ、健常域や持って生まれた障害によっては、そういった物事を、その後の日々の中で新たなパートナーや友だちが支えてくれるような出会いがあるが、息子の場合には、障害が重度であることで、息子にとってより良い人と出会うチャンスも確率も狭く低い。

 だからこそ、本当は親子の中で秘密にしておきたいことも第3者に話しておく必要がある。そして、私自身の思考が鈍くない、まだしっかりしている今のうちに伝えることが〝最善〟だとも思うからだ。それも〝親亡き後〟のことを支援者へ伝えておくバトンの1つだと思うからでもある。

 知的障害を伴う自閉症スペクトラムの人たちは、一部の精神科の先生たちでさえ〝内面がない〟と言われてきた歴史がある。でも、私はそうじゃないと思っていた。そう見えていただけだし、言葉を持っている知的な遅れを伴っていない当事者や軽度域の当事者の偏った話を聞き、それらを疑うことなかったことが、更なる誤解に繋がったと痛感している。

 それと、ある時期から、一人歩きしてしまったことも更なる誤解や誤診にもつながっているように思う。本当に迷惑極まりない。そして、誤解しているのは、保護者でもあるように思う。というより、保護者は一部の有名な医師や有名な支援者や当事者の言葉に翻弄されてきたようにも思うし、目の前の我が子ではなく、医師や支援者のいうことを真に受け、又は、医師や支援者の言葉を信じ、日々を過ごすほかなかったからでもあると思う。

 障害があっても同じ人間だということを忘れ、マイノリティという言葉をポジティブに受け取り、現実をきちんと見つめ受け取ることなく、その人のおかれている環境や背景も診断にされていなかったことは、黒歴史にしてもらいたいくらいだ。

 自閉症スペクトラムの場合に限らず、当事者の〝機能不全〟で起こっているコミュニケーションエラーだけのせいにされてきたことは〝罪深い〟と思う。私自身も反省しなければいけないけれども、精神科医療や福祉に携わる人たち全員が反省しなければならないことだと思う。コミュニケーションエラーは当事者本人だけの問題ではなく〝相互の問題〟だからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?