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あれから5年‐やまゆり園事件を通して思うこと⑤‐

※自分史を仕上げる前に『やまゆり園』の事件を通して感じている記事を数回に分けて綴りたいと思います。本日は5回目。

※前回に続いて、自分の身に起きていた体験が主になります。本題から少しズレていますが、このことを知ってもらうことも、表出してしまった問題への伏線だと思ってもらえらばという思いで記事にしました。

 私は2年前から生活保護を受給している。受給を始めた頃から丸1年は、働くことができていたのだが、その④に綴っているように、子どもの学校生活のことや職場で起こる摩訶不思議な出来事を対処しているうちに、働き始めて半年経った頃には、自然に6キロも痩せてしまった。昔の私ならば、痩せただけで終わることなく、寝込むことになっていただろうと思うが、なんとか寝込むことには至らず、子ども二人の生活を営みながら、短時間のパートをなんとか続けることができていた。
 ただ、元々私は梅雨の時期と冬季はうつ状態が起きやすい体質だったこともあったからか、働きはじめて1年を過ぎた時が冬だったこともあるからか、始めて家族以外の場所、しかも職場で〝てんかん〟の発作が起きてしまうことにいたった。

 なぜ、〝てんかん〟の発作が起きてしまったのかというと、いくつかのことが考えられるのだが、当時を振り返ってみると、当時に私の身に起きていたすべてのことが原因だと思っている。

 ただ、トリガーになったのは、あきらかに職場で起きた出来事が原因だ。職場のスタッフを信じられなくなってしまったことから、元々疑り深い性格だったのが、更に増長されてしまうことになったからだ。

 職場のロッカーは鍵がかけられるのにも関わらず、ロッカーに鍵をかけていても、ロッカーに置いているバックの中身を盗み見られているんじゃないのだろうか?といった被害妄想を持つことになった。
 その被害妄想を追い払うために、メモ帳や財布の中、時には、携帯の写真などにも、いろんな仕掛けをしていた。ゴキブリや百足のオモチャを購入し、ロッカーにいれてみることも考えたのだが、それはやめておいた。

 ただ、人間、思わぬところで〝脊髄反射〟が起きてしまうのを私は知っているので、私が行った悪戯を知ったことから、冷静に仕事できるメンタルが強い人なんて、この職場にいるとしたら、1人くらいだろう…と思っていた。それで、犯人捜しができたりもするので、時々不意打ちに行うようにしていた。
 時折、財布の中に入っている金額をメモをとったり、会社で使っていたメモ帳の中に【べろべろバー】といったイラストや【みーたーなー】的な警告文を書いたりもしていた(笑) 
 意地悪する人たちには、法には問われない意地悪で返せばいいだけだ。みえない反撃を行うことで、悪戯されていることに気がついているといった反撃ができる。そして、そういったことが起こると案外人間冷静ではいられない。それで冷静を装えるくらいの人間性を持っているとするならば、ある程度の訓練を受けている人か、自分の痛みも人の痛みもわかりづらい人なのだろうと思う。

 職場へ行くたびに、今日は、どんな悪戯をされるのだろうか…? また、私が何も知らないうちに、バックの中のすべてを盗み見られているんではないのだろうか…? なんていう思いを抱え、日々仕事をしていた。
 でも誰かにバックの中身を盗み見られているかもしれない…といったことは、中学時代の同級生にされた〝ちょっとした意地悪〟が、私の中で〝トラウマ〟になっていたことが、今だに払拭されないままでいたからでもあった。職場で様々な出来事が起こったことで、そのトラウマが更に倍増されてしまうことになってしまった。

 私は、油断すると〝物忘れ〟など〝不注意〟が起き始めてしまうので、いつもどこか緊張している。なので、働き始めた当初は、水筒をロッカーにおいて、水分補給をするためにロッカールームに行き水分補給をしていた。
 ある日、水筒の水を飲んだ後、口腔内がしびれはじめ、両足がビリビリとしびれはじめたことで疑心暗鬼になり、それが何度か続いたことから、警察や保健所などにも相談したことがあった。

 そんな出来事があってからは、水筒は常時持って仕事をするように努めた。そういったことから、職場のポットのお湯さえ疑うようになってしまう原因になった。

 てんかんの発作が起きてしまった当日、お昼を食べるためにお湯を使った。ただ、ポットのお湯を使う時は、必ず自分でポットに水を入れ、お湯を沸かし、一番最初に自分が使うようにすることで、人を疑わないような工夫をしていた。だが、その日は、お湯を沸かしたまではよかったのだが、その場を離れてしまったことで、先に他のスタッフの方が、休憩にはいっていてポットのお湯が使われている状況になってしまった。

 再度、改めてお湯を沸かせばよかったのだが、昼休みの時間が短くなってしまうと思い、そのままそのお湯を使うことにした。そのお湯を使ったことで、カップ麺を食べている時に口腔内がしびれるだけにとどまらず、両足がしびれ始めたことで、お湯に何か入れられたかもしれない…という被害妄想が沸々と沸きあがりはじめた。そして、片目がみえずらくなったので〝ヤバイ〟なぁとは思いながらも、午後からの清掃の業務にはいった。

 モップを持ち、掃除をはじめようとしたら身体がなんとなく動かしづらく感じ、パニックが起きはじめていると思い、その場で深呼吸してみたものの、そのまま身体が固まって動けなくなってしまった。一応、声は出せたので、周囲にいたスタッフの方を呼び、動けなくなったことを伝えると車いすを持ってきてくださり、車いすに座って間もなく〝てんかん〟の発作が起きてしまった。病院のスタッフや家族以外の人にその様子を見られたことは、ほとんどなかったので、本当は、とてもすごく悔しくて〝ショック〟も受けていた。

 発作が起きた時、職場の看護師さんが、当時通院していた、熊本県立こころの医療センターに連絡をいれてくださった。その日が土曜日だったこともあり、病院側からの指示は
『今日は土曜日なので、発作が続くようなら他の病院を受診してくださいといった』といった伝言を職場のスタッフを通して聞いたことから、私は、その日、指定された熊本医療センターへの病院受診はしなかった。

 ただ、なんだか、腑に落ちなかったので、翌日、再度自分で病院へ確認の電話をいれてみることにした。すると、土曜日の当直が、なんと当時の主治医だったことがわかった。 そして、カルテに残された内容を読み上げてもらうと、『当直で病院にいるけれども、土曜日なのでこころの医療センターでは検査ができないので、熊本市の熊本医療センターへ受診してみてください。』といった内容だった。言葉がでないくらいあきれた。

 なぜならば、発作は起きていたけれど、私は、意識はハッキリとあって、話すことができていた。まさか、当直の先生が主治医だなんて思わなかったし、そのことは私は知らされていない。当直の先生が主治医の先生に連絡をとってくださったのだと思い込んでいた。
 当直の先生が主治医の先生なら、主治医の先生で私と直接話をしたいということは考えなかったのだろうか? あと、職場のスタッフは私の状態を知っていたのにもかかわらず、主治医の先生と話させるということもなかった。もしかしたら、当直の先生が主治医だということを名乗らなかったとするならば、職場のスタッフより当時の主治医のあきらかな判断ミスだと思う。
 かりに、主治医であることを名乗っていたとするならば、その職場のスタッフ(看護師)の判断ミスでもあるし、言葉の受け取り方に問題があることにもなる。とりあえず、いろんな不遇が重なったことで、私は、発作が起きた当日に他の病院へ受診をしない選択をしてしまうことになった。

 もし、発作が起きた当日に、正しい内容で伝えてもらえていたならば、脳波の検査を受けることができたかはわからないが、熊本医療センターへ病院受診したをしたと思う。しかも、その日、遠方から両親が来てくれていたのだから、連れていってもらうこともできた。
 それに、看護師在中の介護施設なのだから、主治医の指示通りにせずとも、発作が起きている時に救急車を呼び、主治医いる病院へ運ばずに、熊本医療センターへ運んでもらえばよかったと思う。
 なぜ、介護施設でしかも看護師がいて、それが、できなかったのかが、私には意味不明でわからない(苦笑)その時、日本では、まだコロナ禍起きていない時期だったのに…。

 私の知らないところで、いろんな不遇が重なってしまったことから、自宅に帰ってしまうことになった。もちろん、その日は車の運転は危ないと思い、頼れる人が両親しかいなかったので、遠方(現地から車で2時間程度)に住んでいる両親に職場まで迎えにきてもらい自宅に帰った。

 そして、私の両親も、また、気が利かないこともあり、施設長からの話を聞いても、親はただ私を自宅へ連れて帰ってくれただけで終わってしまった。職場のスタッフからの説明が、言葉足らずなことに加え、私の親もまた精神障害の知識がなかっただけではなく、病気ではなく霊的なものだと思っていたた〝ふし〟もあったことで、熊本医療センターへの受診したほうがいいと思わなかったようだった。
 私が現在の状況に陥ってしまったのは、少なからず、私だけのせいではない。家族が腫れものに触るような扱いをしたり、我が子の状態を受け入れる力や精神障害の知識を理解しようとしてない証でもあったと思う。でも、私は、両親に精神障害の知識を学んで欲しいといったことまで求めてはいない。ただ、我が子の身に起きてることを解決させるまでもなく、大事にならなくてよかったで終わってしまう人たちだったからこそ、私が長い年月をかけても、治療している意味がない状況に陥ってしまった要因を担っている人たちに含まれる。
 ただ、親だからこそ、仕方がないことなのかもしれない。障害を持っていたことではなく、発症してしまった原因は少なからずも自分たちにも原因があったと認めなければならないからだ。
 特に母の場合には、私が生まれた時〝仮死状態〟で生まれたので、自身に落ち度があると思いがちでもあると思うことや、育てている中で、育てやすいけれども〝危うさ〟を感じていたことを長年ほっといてきたという負い目もあるんじゃないのだろうか?とも思ったりもする。
 私は、おバカさんなお調子者な子どもとして見ていただろうし、母なりに私を大切に思って育ててくれていたのは、わかっている。

 ただ、私が求めていたことは、こういった大事な場面で〝万が一〟ということを考えた思考が働かない親のことが、とてもとても歯がゆくもあり、悲しい気持ちでいっぱいになる。それでも、親は親なりに向き合ってくれているのはわかるのだが、向き合って欲しい方向はそこじゃない。
〝今現在の私をみて真正面から向き合って欲しかった〟ただそれだけなのだ。

 〝いつも、父も母もどこかズレている。〟といった拭えない…振り払えない…いや、一生、死ぬまで埋まることのないかもしれない両親との関係性の溝に、私は今現在まで何度も打ちのめされてきたのだということは、私の中で、長年親に対して感じていたモヤモヤして発酵した気持ちの正体だということを言語化している時に気がついた。我ながら、遅い(苦笑)
※そして、本題にはいるまでの話が長い…

 とにもかくにも、医師や看護師の資格を持つ人たちの判断ミスなのか、コミュニケーションエラーなのかはわからないのだが、こういった初期の段階で人災が起き軽くすんでいたかもしれない〝病気〟や〝ケガ〟が重症化してしまうことになるのだろうなぁということを、私は体験したのだった。世の中の有名な人の言葉で【死ぬこと以外はかすり傷】という名言があるようだが、かすり傷でもその人次第では、知識がなければ〝死ぬ〟原因になるので、名言とはいえない。歯切れのいい名言のように聞こえるが、正直言って、冷静に考えると、かすり傷でも死ぬことはあるということを知らない人がいえる名言だよねと思う次第だ。あっいけないいけない。また話がズレてしまっている…話を戻そう。

職場で発作が落ち着いた頃、施設長から

「もし、今後、職場で発作が起きたら、ぼくたちはどう対処したほうがいいのか?」

といったことを質問されたので『今日のような対応をお願いします』とその時は答えたのだが、前述のような事情を知ったことで、この職場では働き続けることはできないと思い、職場を辞めることにした。

 なぜなら、主治医の指示通りに伝えることが難しい人たちが、主治医の指示の通りに対処できてないことになるということは、私から、対処法を伝えたとしても、当時の職場の場合には、圧倒的に人手が足らないのも認識していたし、対処法を伝えたところで、無理だと思ったからでもある。
 ドクターからの鶴の一声さえ、きちんと受け取れていないという意味が、人の生死や今後を左右することがわかっていない人に、介護の現場で、リスクを抱えた精神障害の当事者を気にしながら働くなんて、できっこない。からだ。できっこないを越えなければいけないが、できっこない人たちにはできっこないのは、現場をよく知る人たちならば理解してもらえると思う。
 そういった経緯があったことから、その後「てんかん」という診断を受け、それからは働いていない。

 全く〝やまゆり園事件〟のことからずれてしまった内容となっているが、こういった日々に起きていたことを知ってもらうことが、〝怒り〟の根っこに渦巻いてしまう〝マグマだまり〟のようなものだということに気がついてもらいたいと思い、自己の体験したことも付け加えさせてもらっている。

 こうしたことから、私の場合にはなるが〝精神障害〟を持っていることが原因で障害が重くなっただけではなく、明らかに外側にも〝障害〟が起きていて、それらを回避する又は自身や息子を守るために、起きている1つ1つの出来事を自分なりに対処したことで、持病が悪化したり、更なる心身の不具合が起きてしまうことになったことに気がついてもらいたい。
 ああ、これをとある当事者の人の言葉をお借りするとするならば『2次障害のデパート』ってやつになるのだと思う。ただ、これは〝威張れる〟ことでもない。キャッチーな言葉だが、ある意味、当事者自身が『私、とても頑張り屋さんなの。誰か褒めて』的な当事者の〝自己啓示欲〟が単語になっているよなぁあ。と思ったり思わなかったり…。

 ただ、実際、自分が行動しなければ、物事が1ミリも動かない不動な状況に陥ってしまうことに気がついてしまったからこそ、自分が動くほかなかった他なかっただけなのだ。これらの出来事は、5年程前から始まっていたのだが、加速度が増したのはコロナ禍が起こる3年前になる。
 正直言って、普通なら自死するくらいのことが起きていたと思う。というか、死んだほうが〝楽〟なんじゃないかと思ったことが何度もあった。それでも『死んでたまるかー』という気持ちで、日々を過ごしてきた。しかも、ズルいことや犯罪を犯すことなく、私の知りうる正しさ全開で、どう、その場を切り抜ければいいのか立ち向かってきた。
 このように言語化すると、私が大袈裟に言語化しているように思う人もいるかと思うが、決して大袈裟ではないと思う。なぜなら、私の10年あまりを知っている、物事をポジティブに受け止める友人が「よく死なずに生き延びたね」と言ってくれたくらいなので大袈裟ではないと思われる。

 まるで、映画やドラマの世界の中じゃないかと思うくらいのどん詰まりな毎日のおかげで、メンタルは強くなったのだが、身体は弱くなってしまい、大好きだった病院さえ行くのが億劫になっている。そんな日々を過ごしながら、自分の内側から溢れてくるものを、絵や詩、エッセイなどを書き綴り、それらを公募に応募していた。
 でも、ほとんど落選し、選んでもらえたことがほぼない。他にも、歌を歌うことが好きだったことから、それがいつの間にか日々澱のように溜まっていくネガティブポイントを浄化するための養生になっていた。自分なりに歌えるようになったことで〝ひとりカラオケ〟の腕試しをしたなり、カラオケ大会やプレゼントなどの応募もしていた。
 カラオケに関しては、予選に通過したり、プレゼントが当選したりすることはあったのだが、今回巻き起こっているコロナ禍でカラオケ大会などの本選に参加できずに終わってしまったこともある。正直いって本選で歌えなかったのはとても悔しい。NHKの〝のど自慢〟にも応募していたのだが、コロナ禍で中止になってしまった。
 人一倍負けず嫌いだからこそ、選ばれないことは、実は悔しい。ただ、自分には才能なんてなく、絵も文章もどんなことも、自分よりも優れた人なんて世の中にはたくさん存在している。世界的に有名だからといって、本当にそれらが優れているかどうかなんてわからない作品だってある。宗教や国境を越え、万人に通用している作品なんて、限られているように私は思っていることが、負けず嫌いな私でも、自己評価が低いことから、選ばれなくても〝ちょっとしょんぼり〟するくらいで済んでいるだけだ。

 こういった、趣味(カラオケや絵の応募)に関しても、悪戯なのか意地悪なのか、本当にただの偶然で起きていることなのか…といった出来事が何度かあった。それでも、折れずに続けている。なぜなら、誰に評価されなくても、好きなことだからやめられない。たとえ、邪魔されたって。
※追伸…〝好き〟だからって人類にはこの案は採用してません…

 それに、現在はインターネットが発達したからこそ、自己表現の場はいくらでもある。賞に選ばれることはなくても、有名無名関係なく世界の土俵に立つことはできる。ただ、評価をされるかされないかやそれがお金に化けるか化けないか、無名のままで終わるかだけの違いだと思っている。
 本選で選ばれなかったのだから〝無料〟でみてもらうこともできる。といった価値観の持ち主なので、言語活動に関しては『NOTE』で言語活動を行っている。

 それと、私の場合、自身から溢れるものを、表現できるようになっただけでも、満足している。自分が思うがまま絵が描けるようになったり、自身の中に渦めいているモノを言語化できるようになっただけでも嬉しい。そして、気に入った新曲を覚えたり、苦手な早口の歌を歌えるようになるだけでも嬉しい。ただ、それだけでも嬉しいと思えるのは、不遇な状況に見舞われてしまったからではなく、私の場合〝好き〟だったことを見失っていた時期が長かったからだ。だから、今、その時間を取り戻せている状況だ。その間に、京アニ事件ややまゆり園事件、他にも、電車内で殺人事件が起きたり、奇妙な事件が続いて起きた。

 2019年に起きた〝京アニ事件〟の犯人の犯行動機を知った時、私も思い当たることがあった。自分の作品や自分の中だけで温めていたこと又は応募した作品と著名人の方の作品の内容が似ていたり、2次創作されているように感じていた時期があった。
 私の場合には、ブログや言語活動やSNSしていたので、誰にでも目に触れる場所にある作品をみて、インスパイアされ2次制作がされていたり、もっと良い作品やアイデアに仕上がっていたりするならば、腹は立たない。
ただ、私の場合、どこにも応募してない又は、応募しようと眠らせておいた誰の目にも触れないような場所に保存したいた作品と似たような作品や企画を目にすることがあった。
 それは、ラジオ宛に送ったメッセージやメールの内容が、他のリスナーの方と似ていることも何度もあった。地元局に出したメールが、別の局で似たようなメッセージが読まれるようなこともあった。なので、私の場合には、PCの中身まで監視されているように感じることにもなった。
 ただ、私はそうした〝もしかしたら、私の作品が〝盗作〟されているかもしれない…〟といった思いにかられて、沸々と〝怒り〟が込み上げてきた時、それを払拭するために、NOTE上に落選した作品を全部掲載することを思いついたことから、2019年に応募した作品全て掲載するようにしてみた。    もし、万が一〝盗作〟されていたとするならば、その人を追い詰めることができるからだ。もし、私が訴えられることになれば、裁判になる。それはそれで、私にとって都合が良い展開だとも思ったからでもあった。仮に私が、冤罪で犯罪者になったことも見据えて、やってみたことだった。

 ただ、私は思う。クリエイティブな活動を行っている人ならばこそ、誰かの作品を〝盗作〟すること事態、人としてというより、クリエイティブな活動をする者として〝自尊心〟がないのだろうなぁと思うのだ。プ
 ライドがあるならば〝盗作〟なんてできっこない。こんな〝できっこない〟ことはリスクを追ってまでやることではないと思うし、本人にばれなければ〝盗作〟してもいいというものでもないのだが、世の中狂ってるらしいので、それがまかり通ってしまう〝現世って何なん?〟というくらいな気持ちで鼻で笑い飛ばせばいいんだなと思うようになった。
 こういった風に気持ちを切り替えられるのは、私の特性だからかもしれないが、自分なりの考え方を変えることで、犯罪というカタチで〝倍返し〟しなくても、いくらでも方法はあるということを知ってもらいたい。クリエイティブな世界で生きたいなら、制限のある中で、誰も考えないやり方を考えクリエイトすることが求められる世界だからだ。もし、それが犯罪というカタチしか思いつかなったとするならば、その世界線で生きることは諦めた方がいいと思う。か、一旦離れることが望ましいということでもあると思う。

 自身に芽生えた怒りの矛先を自分より弱い立場の人へ向けざるをえなかった人たちを思うと、悔しくもあり虚しい気持ちでいっぱいになる。しかも、そういった犯罪が起こる度に、本人が、元々持っていた又は後天的に発症してしまった障害によるものだということに摩り替ってしまうことのほうが多い。そして、好きで障害になったわけでも、障害を持って生まれた訳でもないのに、何もしていなくても同じグループに属していることで、割をくってしまう当事者だって存在するのだ。
 だからこそ、犯罪というカタチで誰かを成敗したり、自己啓示欲を満たさなくてもいい世の中に変わるようにひっくり返したい。
 ただ、一般人の私に何ができるのだろうか…。それはこれからも、私の中で折に触れて考えていく課題にしていくことになると思う。もし、私にできることが限られていたとしても…。


⑥へ続く

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