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あれから5年‐やまゆり園事件を通して思うこと⑥‐


※自分史を仕上げる前に『やまゆり園』の事件を通して感じている記事を数回に分けて綴りたいと思います。本日は6回目。最終回。


 さて、本題の〝やまゆり園事件を通して思うこと〟に戻ろうと思う。この記事を綴り始めた前日は、フジロックの最終日だった。ありがたいことに〝無料〟で観ることができたので、気になるアーティストだけ観た。

 数年前にラジオを通して知ることになった〝KING GNU〟2人からのそれぞれの思いを同年代の人たちへしっかり伝えてくれていたのも感動したし、BIGINの比嘉さんのMCも、また、私が考えていたことと似たように思っていたことが重なったので、涙が止まらなかった。そして、普段はみれないMISHAさんの雄たけびに、コロナに関してだけではなく、日頃から感じていたネガティブな気持ちを吹き飛ばしてもらえた気持ちになった。

 現在の状況で開催されたことで批判されているが、それなりの対策はされていたようだし実情はわからないが、参加した人たちも参加しなかった人たちそれぞれの事情があり、参加したくても参加できない人だっている。ましてや、アーティストの方たちは、自身の今後がどのような行末に不安を抱えながらも、それなりの覚悟をして参加した人たちもいるのかもしれない。
 だから、一概に責めることはできないなと思うにいたった。

 もしかしたら、今現在、現場で必死に働いている医療従事者の方たちの中には、フジロックを糧に日々仕事をしていた人もいるかもしれないとも思ったからだ。そして、後日、ステージ上で、それぞれのアーティストがMCで語った思いを知ったことで、更に『音楽の力を馬鹿にしたらあかんぜよ』と、私の後ろの神様から耳元で囁かれているような気持ちになった。

 今現在、世界中で巻き起こっている新型コロナウィルスは、ただの感染症だ。それでも、パンデミックが起きたことで、戦争でもないのに〝分断〟が起きている。でも、どんな立場の人が願っていることも、短い共通の言葉にすると「世界平和」なのだと思う。

 ただ、何が違うかといえば、コロナ禍が終息した先のそれぞれに思い描く〝未来予想図〟やそれまでにおけるストーリーが〝違う〟だけじゃないのだろうか?と思ったりもする。

 人がこの世に生まれ、天に召されるまでの〝人の一生〟は、世界中の人すべてに必ず起きる同一体験だ。〝生から死〟といった〝はじまり〟と〝おわり〟。それでも、人それぞれ生まれてくる環境は違う。それでも『死』という共通の扉へ、人間だけじゃなく全ての生物が未来へ向かっている。そういった意味で、向かっている場所は、みな〝同じ〟だと私は思っている。

 ただ、その場所へ辿り着くまでに、自力で行くのか、他力でいくのか、一人で進むのか…、たくさんの人たちで協力しながら進むのか…。 ゲームや漫画などの世界のように、目的地までの要所要所で、キーパーソンや仲間が加わっていくのか…。それさえ、この先の未来を進む道程は多種多様であると思うし、それが多様性というものなのだと私は思っていたのだが、人によっては、皆が同じ思いや過程を経て、同じ未来を目指して欲しいと願うものなのだなぁということを今回のコロナ禍が起きたことによって日々噛みしめている。

 今の現状を、精神世界の言葉で例えるなら〝アセンション〟ということになるのだろうが、休み時間にトイレに行くのも群れていく、あの〝連れション〟といわれる〝行動〟と同じじゃないかと個人的に思っているのだが、仕方がないことなのだろう。群れで行動するのも生き物の性質(サガ)みたいなものだし…。

 ただ、私はそういった〝連れション〟は、気持ち悪く感じる体質なので、コロナ禍での〝反ワクチン〟や〝NOマスク〟をゴリ押しするのも勘弁して欲しい。そして、そういうことは個人レベルで行動すればいいことだと思っているからだ。
 それに、自身の身を守ること=自己防衛が、他者の命も救うことになるということが『利他の精神』でもあるように思うのだが、それらを説いている人が〝反ワクチン〟や〝NOマスク〟をゴリ押ししていらっしゃる人もいるようなので、矛盾してると思う次第だ。中々、カッコ悪い。

 前述の話は〝やまゆり園事件〟のことに1ミリも関係ない。それでも、私が、1ミリも関係のない話を、何故、盛っているのかというのはワケがある。なぜなら、事件を起こした〝植松死刑囚〟も〝世界平和〟を願っての行動だったからだ。

 この〝世界平和〟という言葉は、地球に住んでいる世界中の全ての人たちが、人種や立場関係なく、無自覚にでも持っている共通の意識だと、最近、強く思うようになったからこそ、心の片隅に留めておきたい案件だと思ったからでもある。

 なぜなら〝世界平和〟を願う気持ちは〝同じ〟でも、それらが具現化するまでの〝思想の次元〟が【違うだけ】だということに気がついたからだ。ただ、それだけ、のことなのだが〝互いの違い〟を認めることもできず、全ての人が同じ思想を持ったり〝支配〟や〝洗脳〟をすれば〝世界が平和になる〟と思っている人が案外多いように思う。又は思っているとするならば、それは〝違う〟と私は思う。

 だとしたら、とうの昔に世界は平和になっているはずではないのだろうか? それができているなら、今現在、全世界で巻き起こっているコロナ禍がパンデミックになることもなく、第5波なんてことにもならなかったように思うのだが…。

 すでに、幾千万年も前から、数百年に1度、何度も感染症は起きていた。それでも、同じことを繰り返しているということは、どういうことなのだろうと思う。そして、今現在、その〝結果〟を、私を含む全世界の人たちが、同一の体験をしているのだが、何万年前と科学が発展した今と随分違うのに、また同じことを繰り返そうとしているのって一体何なん?と思う。とても残念過ぎるし〝残念過ぎる生き物〟は本当の意味では私たち人間なのかもしれない…。

 〝心も身体も繰り返す〟というより、心は前に進んでも、身体は必ず揺り戻しがくるからなのかもしれないが、過去の体験があるからこそ、過去の出来事から得た〝知識や知恵〟を用いて、今、自身が存在する【現在地】でブレずに相手も責めることはなく、協力しながら生き伸びることはできないものなのだろうか? どこか、一人ひとりが、いまだ、他人事だと思っているじゃないのだろうか? そう思ったりもする。
 自分事に他人を巻き込まないことや、他人事を自分事のように思わないことなども〝やまゆり園事件〟のような事件を防ぐことにもなるのではないのだろうか? ただ、この〝思い〟は、私、一個人の〝思い〟であり、それらが本当にそういった事件を防ぐことに繋がるのかどうかはわからないのだけれども。

 私の中で、そうした〝思い〟は、数年前から芽生えてはいたのだが、こうして改めて言語化する前に、先日〝やまゆり園事件を通して考える福岡の集い〟に参加できたことで更に強くなった。

 講演会を通して、様々な立場の人たち(保護者や当事者、支援者等)がそれぞれに抱えている思いも知ることができたことで、自身がずっと心のなかに留めていた物事と改めて照らし合わせる作業が行うことができことで、自分自身の気持ちの整理もできたことが、この上ない機会になったのはいうまでもない。

 開催を企画され、活動を続けてきた主催者の方に感謝の気持ちでいっぱいだ。なぜなら〝やまゆり園事件〟を繰り返さないためにどうすればいいのかということは〝植松死刑囚〟だけの問題ではないということを、再確認させてもらえたからだ。

 講演会のレジュメをみながら、参加者の方のそれぞれの胸の内を聞いていて感じた感想になるが、どんな立場の人も自分の都合だけで物事を語っている人が多いことに驚いた。そして、その人たちが抱えている問題意識は、日々の中で自己解決できたり、又は、ただのコミュニケーション不足や説明不足なことで問題が起こっているだけのようにも思えた。

 どこかの時点で、自身の気持ちを摩り替えられてきて、それがずっと自身の中で燻り続けているようにも思えた。何故、自身がネガティブになるような感情を抱えることにいたったのか、理不尽な扱いを受けていたのかを、保護者や保護者以外の誰かに教えてもらえていないのかもしれないと思ったりもしたし、現状を変える術を知らないどころか、訴える場所さえ知らない人が、案外多いのだなぁとも思った。

 自身の直近の周りに訴え変えていくわけではなく、自己都合だけで、大きな社会全体を変えようとしている人が多いんじゃないかといった思いでいっぱいになった。そういったことは〝植松死刑囚〟と同じように自分中心で社会を変えるということと、何ら変わりなく思えてしまったのだ。

 支援制度は、時代と共に変わってきたことは、福祉や医療の業界に携わっている人なら知っていることだと思う。
 それでも、今まで、本当に困っている当事者が、実際きちんとした支援を受けることができていなかったのかが、紐解けた気もした。現に私は、移住する前の熊本県においても、移住した福岡市でも、実際に、本来なら、受けることができる制度を利用できなかったこともあるし、理不尽な思いを抱えており、現在進行形中の身でもあるからだ。

 平成18年に自立支援法が施工され、箱モノや制度はできても、10年以上経過してた現在でさえ、うまく機能していないワケがなんとなく浮き彫りになったようにも思えた。
 これは、個人的な見解になってしまうのだが、おそらく、当事者や保護者又は支援者の訴えてきた事が、一人歩きし、その言葉だけが都合よく使われ、新たな制度や支援政策となったものも多いような気がしてならない。 

 だからこそ、本当に必要な人に、それらが届いていないワケを再確認させてもらえたようにも思った。そして、訴える場所が法廷で争わなければ社会を変えてこられなかったといったことにも繋がっているのかもしれないといった思いも芽生えた。

 それでも、殺人というカタチよりは、法定で争うほうが得策ではあると思ったりはする。が、しかし、その場合、時間も長期に渡るし、資金もそれなりに必要だ。そして、より良い弁護士の方と知り合えるかどうかで、未来は大きく変わってしまう。
 だとするならば、自身の身近な所から地道に訴え続けていくほかないなと改めて思うことになった。それくらい、本当に必要な人へ福祉支援や医療が届いていないということを、まずは現場に知ってもらわなければ、福祉や医療の現場の働く人たちや障害や病気で施設を利用しなければならない立場の人たちの環境は変えることはできないことを痛感しているからだ。

 それに加え、職場環境の不遇や職員同士の関係性又は、上司との関係性を円滑に行えるようになることで、言葉をうまく伝える術を持たない障害のある人たちへの支援で折れてしまいそうになる〝心の添え木〟になるようなこともあるからだ。
 そして、互いに一つの命と向き合うことがどういったことなのかを律していけるようにも思うのだが、それはただ私の思う理想なのだろうか?

 個人的見解になるが、もし〝植松死刑囚〟が在籍していた時期に、彼の抱えている思いを払拭させてくれるような存在に出会えていたなら、犠牲者はでなかったのかもしれないといったことも考えられるからだ。

 後、もし、万が一世間で言われる『陰謀論』というものが本当にあったとして〝植松死刑囚〟自身が【化物】に〝化〟とすることで、やまゆり園を含めた福祉や介護の現場の実態に気がついてもらえるような〝柱〟の役割を担ったとするなら、又は〝植松死刑囚〟をその道へ意図的に誘った(煽った)存在が実在するならば、それこそ、その人までも罰せられるべきだと思う。

 自身の手を汚さず、道徳の一環として、世間へ見せしめの様にした犯罪に仕向けたとするなら、そうした【存在】までも探り当て、その【存在】こそ罰せなければ、こうしたことは、時代背景や人を変え、ずっと繰り変えされていくように思うからだ。

 そして〝死刑〟は正直言って、質の悪い〝自死〟と同じようなものだと思っている。それでも、そうせざるを得ないまで、心が捻じれてしまったことには、必ず理由があると思う。もし、万が一、彼が、全てのことを受け入れ【化物】になることが〝最善〟と思っていての行動だったとするなら、ハッキリ言って無駄死にだ。自己満足が度を越えていると思う。

 むしろ、黒歴史としても残したくないが、それでも、亡くなった人や今でも事件後にPTSDで苦しんでいる人たちを思うと、消すことができないのだから。本当に質が悪い犯罪だと思う。だから、死刑執行の日まで、嘘偽りなく洗いざらいに供述を続けて欲しいなと思う。

 そして〝植松死刑囚〟のように、見せしめのために自身が〝柱〟となって【化物】になり〝成し遂げた〟ことは、本当に向かうべき〝怒り〟の矛先が実は違ったと本人が知った時、どう思うのだろう。それでも、間違っていなかったと思うのだろうか…?。 
 自身が【化物】に化すことはなくとも、自身の目の前に広がっている世界を変えることなんていくらでもできるのに…。本当に残念でならない。
 そして、どうか、この私の想像が外れて欲しい。そして、どうか〝犯罪〟というカタチで、自身に空いた穴を埋めずに済む世の中へ変わっていくことを願うばかりだ。

 自身も理不尽な思いを抱えながら生きている身の上なので、全て吐き出してしまうなら、本当に些細なたくさんの出来事に対してのモノ事の考察を吐き出してしまいたい所なのだが、そうするとキリがないので、そろそろ最後にしようと思う。

 〝植松死刑囚〟は、日本が借金王国で、重度障害者などが生きるために、多額な税金が投入されているように思っていたみたいだが、それは、違うと私は思っている。実際、障害や病気を抱えた人たちが生きていく上での必要最低限の費用だということを彼はわかっていたのだろうか?

 〝障害〟や〝病気〟を持った人たちが生きていくために使われている税金は、その人が、ただ生きるためじゃなく、自身の持つ機能をなるべく落とさないための〝リハビリ〟や〝治療〟〝設備費〟〝人件費〟…他。でもあったりするのだ。そして、自身もまたその公的な資金が給与となっていたのだが…。

 利用者と支援者という立場が違うだけで、同じ税金で賄われていたことは理解できていたのだろうか? だとすれば、支援者の生きる意味も問われることになるということになると思うのだ。

 それと〝障害〟や〝病気〟を持つ人たちは、好き好んで〝障害〟や〝病気〟になったわけじゃない人も多い。 ましてや先天的な〝障害〟や〝病気〟を持って生まれた人たちは、そんな自分を選んで生まれた訳じゃなく、生まれてきたら〝障害〟や〝病気〟を持っていただけにすぎない。〝障害〟や〝病気〟で機能が落ちていく人たちや身体が不自由だったり、知的障害が重いことで制限のある生活を一生送ることになる人だっている。

 そのために自宅介護が難しいことで、小さな頃から親元から離れて生活をしなければならない人もいる。だからこそ、本人が一番悔しかったり辛い思いを要所要所で握りしめながら、自尊心が削られたりすることで、罪悪感を持ち暮らしている人たちだってたくさん存在していると思う。それでも、本人が〝生きたい〟という気持ちをないがしろにしていいのだろうか? 

 私が〝陰謀論〟という言葉を知ったのは、福祉作業所へ通所していた時になるが、そのことから秘密結社やイルミナリティのことは軽く知ってはいた。作業所の利用者の人たちの中には、それらを信じていた人たちもいたが、私は、その沼に落ちることはなく、その沼の端っこギリギリを歩いていたように思って生きていた。そんな時に起きた事件だったからこそ、喉の奥にひかっかった魚の骨が取れない時のあのへんな気持ちで5年あまりを過ごしてきた。

 いつか財源が底をつく…。いや、もうとっくに底をついて借金は増えていた。それに、本当に財源が底をつき、借金王国なのかさえも、私たち一般庶民には、正直ホントのところはわからないと思う。
 公的な場での発表のでは、借金王国になっているが…。
 じゃあ、日本が借金王国ではなく、未来永劫、財源が豊かで、上層部から私たち一般庶民まで、有り余るくらいの財源があったと仮定した場合〝植松死刑囚〟の思想は変わることはなかっただろうか…? 

 全く縁も所縁もない、精神障害の当事者でもあり、重度障害者の保護者の立場の私だが『やまゆり園事件』を通して飛んできた〝流れ弾〟は、私にとって一生取れない弾丸となってしまった。小さな小さな流れ弾がとれる日なんて、一生ないに等しい。その日が来るのは私にとって、この世を去る時になると思う。

【完】

※最後まで読んでくださった皆様、そしてこれまでに『いいね』をくださった皆様、励みになりました。ありがとうございました。

※この記事では【障害】を【障がい】と、あえて書き換えておりません。それは、裏を返せば『差別』だと思っているからです。気分を害されていらっしゃる方がいらっしゃるとするなら、ご了承ください。

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