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通過点という名の現在地

 隣の芝生は青い、対岸の火事…。

 外側からみえる景色によっては、良くも悪くも私の何処かで燻りつづけている何がしかが揺さぶられることがある。

 心をなくしている時ほど、奪われてしまうことにもなりうる。だから、フラットに眺めるようにしている。

 自身の身に置き換え、少しでも生きる上での教訓にしたり、ネタにするようなことなく、ただ、日常生活の中で起きた他者の物語を自身のストーリーに盛ることのないよう眺めることは、私にとって里での行のようなものだと思うようにしている。

 そうでなければ、私が私でなくなってしまうからだ。

 自身の身に纏いたいものは、お気に入りのワンピースや靴とその時の気分でアクセサリーや帽子を付け足すくらいでいい。

 自身のメンタルや面子を保つための武器にすることなく、目の前で起きている現象をただ眺められるようになってくると、違う次元の扉が突然目の前に現れる。

 そんな時ドラえもんに頼むことなく、私にしかみえない扉を自分自身でみつけてしまうことがある。それは案外厄介なのだ。

 側からみれば、幸せの絶対値が上がっているだろうと思われがちだが、実は本人にとっては複雑な心境だったりする。

 嬉しかったのは初めだけ。そんなことが続くと、また、めんどくさい案件に首をつっこむことにもなりうることもあり、途中で嫌になることもあるのだが、無駄なように思えた物事が、私のずっと探し求めていた出口だった事に気がつくことになると、これまでの道程の中で自身の正しさを振りかざすだけで終わることなく、その時々で折り折り合いをつけながら信念を貫き通せたことは、私にとって、自身を自分で守れていたことに気づかされた。
 一つ一つの物事が終焉を迎えた後、振り返ってみた時、肩の力が抜け胸を撫でおろしながらも、そんな自身を誇りに思うようになれた。
 そして、そんな自分に辿りつけたことがただただ嬉しい。
 そして、愛とおしい。

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