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この世界のすべてがどうでもいいこと

3次元のいかなることなど、どうでもいい。

喜びも、楽しみも、怒りも、悲しみも、悔しさも、栄誉も、蔑みも、この世界で得られる、あらゆる事や感情は、どうでもいい。

すべて、「オレには、どうでもいいし関係ねぇ。」

それが悟りであろうが、不食であろうが、どうでもいいし、関係ない。


そう言えば、「誰がかまうもんか!」って本があったな。

ラメッシ・バルセカールって言う、マハルシ並みのインドの聖人が書いた本だ。


同じことだな。

「それが3次元を卒業する時のセリフだよ。」って言ってたわ。


まぁ、それすらも、どうでもいいし、関係ない。

すべての荷を降ろして、解放されるってのは、このことだな。


この感覚は、「消える。」って感じだ。

「この世に在って、この世に無し。」


「なにかもすべて、どうでもいいし、関係ねぇ。」

「もうオレは、何ものでもない。」


解脱とは、この感覚なのか。

今年の1月に悟りの頂きを見ても、また3次元に降りてたから、これもいつまで維持できるか。

自分でこの記事を、毎日読み返していれば、ここにずっと届まれるかもしれないな。


真の覚醒者が、表に出ない訳

2年くらい前まで、そう40歳で気がついて55歳まで、「この世界には本当にわかっている奴がいるのに、なんで人に教えないっ!?」って、

無言で誰にも教えない覚醒者に、ものすごく怒りを覚えていた。


40歳の時に、ニール・ドナルドウォルシュの「神との対話」のサークルに入った時のこと、そこでの書き込みによく投稿したのだが、

本当にわかっている奴は、一言も投稿しない、しかしそれは存在してるって感じだけが強くあった。


誰も教えないから、再び宗教団体に戻る羽目になり、再びすべては一つに戻るまで、さらに13年かかった。

だが、今はわかる。なんで真の覚醒者は一言も発しないのか。


己が己で無くなり、この世界に在っても、この世界にいなければ、

見ざる、聞かざる、言わざる。


こうなる以外は無いのだ。

最初から見てもいないし、最初から聞いてもいない、すべてに何も言う必要も無い。


もう、3次元の世界に住んでいないのだから。



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