魂はすでに完全で完璧なるもの
スピリチュアルでも、人生訓でもよく「魂を成長させること。」「進化させること。」と言われています。
それはそれで間違いとは言えず、魂を成長させると言う意識が、いろいろと経験を生み出して、それもまた必要な人生でしょう。
しかし、ここでは魂(ハイヤー・真我)はすでに完全で完璧であると言うことをお話しします。
魂(ハイヤー・真我)はなぜ完全で完璧であるのか
最近では、どこでも「すべては一つ。」と言う言葉を聞くと思います。
「すべては一つ。」とは、すべてが宇宙の創造主(源)で出来てると言う言葉です。
それは、この世界のすべてが創造主であり、一つのもでであると言うことです。
なので、魂=源 なのです。
魂(ハイヤー)が完全なものでなく成長させなければならないのなら、宇宙の創造主も完全では無いと言うことになり、この世界も完璧では無くなります。
しかし、この世界は完全完璧に機能しており、スピの分野でも精通している人ならば、誰もがこの世界の完璧性を認めています。
源が完全完璧で、この世界も完全完璧なら、魂(真我)も完全完璧なのです。
もし魂が完全完璧でないのなら、この世界も完璧にはならないのです。
魂の、その完璧であることを忘れているので、「成長しなければいけない。」と言う幻想を作って、苦しみなどを体験することになります。
楽に生きるなら、魂は完全で完璧だと思い出せばいい
魂が完全で完璧であるならば、努力して成長する必要も無く、ありのままの自分を許して、出来事を観察し眺めて行けばいいだけのことです。
この世界は、幻想であり、ただ体験するだけに創られた世界です。
ディズニーランドのアトラクションのような世界なので、別に努力とか成長とか放棄して景色を眺めているだけでも大丈夫なんです。
「成長や努力しなければならない。」と言うのは、この地球だけでの観念にすぎません。
確かに、今までの3次元地球では、先の「成長すること。」と言う意識で生きるのが必要な時代でもありました。
その意識のおかげで、いろいろな苦しみや喜びの体験が出来たからです。
魂はすでに完全で完璧であったことを思い出せば、以前の観念を手放して楽に幸せだけを感じて生きることができます。
お金、成功、引き寄せとか関係なく、自然と起こる出来事、自然に生活する中で、今までにない幸福な感覚を手に入れることができるでしょう。
なぜなら、魂=源 なので、最初からずっと至福であるのです。
どんな環境でも至福を感じることができるようになります。
聖フラチェスコも「どんな苦境でも至福である。」言ってました。
真我が発動すれば、それを体感出来ます。
これは、ひとつ間違うと根性論や精神論に聞こえますが、全然そう言うことでなく、魂(真我)に目覚めると、幸せしか感じなくなってしまうのです。
成長や進化を求める生き方も、それはそれで楽しい生き方ではありますが、魂(真我)とつながった生き方ではありません。
魂(ハイヤーセルフ)と会話できるからといって、常に繋がって真我の至福を感じているとは限りません。
本当に真我(ハイヤーセルフ)が顕現すれば、もともと完全で完璧であり、特別になにかをする必要も無いことに気づきます。
すべてに完璧性を見る
スピリチュアルでも「すべては完璧だ。」と言うのであれば、自分にも完璧性を見れなければ、本当にすべてが完璧とは言えません。
周りも世界も完璧ならば、この自分もすべてが完璧です。
それが本当の「すべては一つ。」であり「すべてが完璧。」と言うことです。
この世界には、完全で完璧なものしか存在していないのです。
自分の中に完全なる完璧性を見た時に、はじめてこの世界は「完全で完璧であった。」と心底実感できます。
それには、ただ「私はありのままで完全である。」とかアファメーションをしただけでは到達は難しいでしょう。
方法論は後で、書いてみたいと思います。
いつかわかりませんが。
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