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東京遠征「詩から始まり、緊縛で締める帰郷」

忘れもしない、6月のNSWS。

三木が名古屋に来ているってんで、仕事が定時に終わったので会いに行くかと思い、御器所のなんやへ向かった。
鈴木陽一れもんさんとは多分それまで会ったことがあったか、顔を見たことがあったかどうか。
ただ、どういうことをやられているのかは知っていたし、先輩の世代であることも認知していた。ご挨拶をさせていただいた瞬間に人となりがわかって、嬉しかった。

で、行くならやるかってんで、エントリー。
勝ってしまった。
あの時の久しぶりの即興詩の感覚はすごく不思議で。
久しぶりだったからというのも手伝って、自分の中で生まれる情景や言葉がそもそものストーリーを持っていくつも発生して、深い深い深度へと誘ってくれた。

2年前ぐらいのKSJで初戦負けして、ポエトリーには食傷気味だった。
「また負けた」「俺の言葉は届かない」「悔しい」「腹が立つ」
そういった感情に支配されて、詩を書くことも、そもそも表現活動からも遠ざかっていた。
けれど、演劇人として曲がりなりにも人生のいくらかをbetしていた身としては当然なのだけれど、ずっと胸の奥にくすぶっているものを感じていた。
2023年は本当にいろんなものやいろんなことが大きく動いた年で、出会いも失敗も多くて、そんな中で再びポエトリーの世界に足を向けたのはある意味正しいことだったのかもしれない。

プライベートで演劇講座の準備を進める一方で、ワンマンスラムへと参加をする。
名古屋で活動している方々と面を合わせる。
ししど、クノタカヒロの両名は名前は知っていたけれど、お会いしたことはなかった。クノさんとはお茶したけど。
イトシュンや坂本樹などの東京勢とも久しぶりな感じだった。
「はじめまして、中野皓作です」
「お名前は知っています!」
というやり取りを何度かして、ししどとの対決でトップバッター/先行で即興詩で負ける。
多分、ここで負けたことが大きかった。
シンプルに面白れぇなって、感じたんだよね。
悔しいは悔しいけど、第一声を上げた瞬間に、「あ、これダメなやつだ」ってわかったし。即興詩って入り口間違えると、どこにも出られないし、上にも下にも上がれない地獄のような状態になるんだけど、この時はまさに地獄だった。
けど、終わった後、精神的に大人にもなったのか、このコミュニティを大事にしたいと思っていた。悔しさよりも、自分がこのコミュニティの一員として何が出来るかを考えていたら、少なくとも自分は一応いろんなパフォーマンスが出来るわけで。
ならばこそ、自分は名古屋で詩人をやらねばならぬのではと感じたのだ。

んで、KSJ西東京大会にエントリー。
丁度同じ時期に出会っていた元国語教員でダンサーのsato.さんにも声を掛けたら、勝手にエントリーしていて(笑)
凄い行動力だな、若さっていいなって思ったり。

即興でスラムを上るのはハードルが高いと判断したので詩を書くことにした。スラム用の詩だ。れもんさんやクノさんには感謝している。
Dream Micでスラム用の詩を書いた。
自分にとってすごくいい実験の場で。
スラムでの勝ち方や戦いの仕方を学ばせてもらった。

そして39歳を迎えた10月。
この一か月は本当に具合が悪かった。
ずっと詩の事を考え続けていた。
勝ちたい。勝てる。負けない、負けたくない。
WPSCのライブ配信を見て、さらにドキドキは強まった。
チャンピオンのLadyLaProfetaさんのパフォーマンスで朝っぱらから号泣していた。あまりにも感動したので、彼女にインスタでメッセージを送ったぐらいだ。
そして思う。
日本人として世界のスラマーたちとどのように戦うべきなのだろうかと。
現代の日本人と比べ、辛く苦しいバックボーンを背負う国の人たちに何が伝えられるのだろう。
黒髪黒目の黄色人種が主となるこの平和な国で僕は世界に何を伝えることが出来るのだろうかと考え続けていた。

と、考え続けていた中で書く詩。
自分の事は書けなくなっていた。
「あなたに」
「あなたのために」
自分の経験を通して感じた感情、理想。
自分の事なんかどうでもいい。この日本に生きている自分だから書けること。

そういう気持ちで書いた詩昨日のKSJ西東京大会で負けたのだから、そりゃあ悔しいさ。
イメージは出来ていた。初戦を抜け、二回戦用、決勝用と書いた。
猫道さんのブログを読んで、参考にして、決戦用に3本、予備分も含めると6本の詩を用意した。
練習を重ね、微調整を繰り返し、これまでの詩人としての関わり方とは違う関わり方をせねばならぬと、自分に言った。
自分が世界のポエトリーのステージに立っている姿をイメージして書いていた。
それでも負けた。まだまだなのだろう。
否定をするわけではないし、自分も書いたこともあるから、誤解を恐れずに思ったことをストレートに書くならば、
「スタンダップコメディの文脈に負けるようなら、俺の言葉はその程度であるということ」だ。

そして、今回連れて行ったsato.が私の詩人としての方向性に新しい道を見せてくれた。
Aグループ4番手で彼女が詩を読んだ時、会場が静寂に包まれた。
「あ、これは勝ったな」と思った。最初の一声、体の動き。
肉体が言語となり、言語が肉体に還元され、循環される。余剰のエネルギーが言葉に宿り、密封され質量を持ち、マイクを通り観客に伝わる。
ひとつひとつの言葉が確かな歴史を持って伝達される。
無駄なものがなく、一切の余剰を排し、適切な配分と密度で届くコトバたち。
圧巻だった。
そのまま彼女は決勝戦まで駆け上がったのだけれど、相手がそにっくなーすでなければ優勝していたのは彼女だっただろう。そこまで思わせてくれるほどのものを見せてくれた。

れいんさんにイベント終了後言われた。
「いい人を見つけたね!それは中野さんの力だよ!」
そうだな、と思った。
人を見る目はある方だ。
少なくとも、いい表現者を探す目は高いという自覚はある。
試金石を探して、場に放り出す。
それは自分にしか出来ないことなのではと思った。
これは名古屋でポエトリーをするいいモチベーションになる。

どうでもいいが、今日は朝から二日酔いだった。
めったにしない二日酔い。飲み過ぎたのか、打ち上げの酒のせいか。
もりくんと坂本樹とやたら話していた。
面白かったのは、そにこ、どぶさん、もりくんとは、数年前にタッグスラムで戦ったことがあるという話になった。そういえばそんなこともあったなとおかしな気分になった。
東京での自分には演劇しかなかったと思っていた。詩人の界隈にはちょっと羽を休めている程度のものだと。いつの間にか居心地がよくなって、そして悪くなって、ふらりと去ったりしたけれど、詩の世界にも自分の歴史が存在していた。

昨日の朝、早朝の地元の駅から名古屋駅に向かう時、車窓から見た風景がとても美しくて、初めてこの街の事を綺麗だなと思った。
新幹線で横浜のビル街を久しぶりに見た時、「帰ってきた」と郷愁が込み上げた。
今日、八王子から新宿へと向かい、新宿の街並みをぶらついた。
大勢の人。たくさんの建物。日曜日の正午の、猥雑さ。多くの表情。多くの人生。思い、気持ち。俺の愛した東京という街。大好きな街がそこにあって嬉しかった。
名古屋駅に帰ってきたとき、ものすごく苛ついた。やっぱり俺は名古屋が嫌いなんだと思う(笑)これは、多分どうしようもないので、勘弁してほしい。

そうそう、余談だけれど、今日は初めて緊縛ショーというものを見に行った。
ストリップから始まって、度肝を抜かれたが、その後は粛々と緊縛だった。
そう、粛々という言葉がまさに合う時間だった。
それぞれの組み合わせの異なるステージ。
演劇的でもあり、耽美的でもあり、性愛的でもあり、プリミティブでもあり、プロレスのようだった。そう、プロレスみたいだなって思ったんだよな。生のプロレス見たことないけど。
縛師(漢字あってる?)の技もそれぞれに異なっていて、こう、機能美みたいな美しさがあった。適切な方法で素早く、手早く縛っていく。その技術の妙。
やってることはおそらくエロい事、あるいはそれに分類されることなのだろうけど、まるでタイプライターを叩いているような音が聞こえてくるようで、優れた大工が手慣れた道具で家を建てるような小気味よさと手際の良さに感動した。ちょっとやってみたいなって思っちゃったもん。でも多分俺がやると、機能性重視になるんだろうな。
ちょっと、緊縛について語りたい熱が高まっている。
緊縛にはエロ以外の要素がたっぷり入っていることが分かった。
そしてそういった要素は俺を魅了してくれた。

ともあれ、東京遠征はくっそ充実していました。
まだまだ、こっから先は長いな。
楽しんでいこう。

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