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記事は自由に書いて欲しい

「ガチ勢は承認欲求の塊だ」そんな言葉が目に入ってきたのは、いつだったか。わりと最近のことだったと思う。確かにそうかもしれないけれど、どこか罪悪感を持たねばらなくなるようなその指摘の仕方に少しなりとも腹立ったことは確かだ。そもそも承認欲求があってもいいんじゃないかと思ってる。誰かに認められたいというのは誰だってあるでしょう。私だってあった。ここはあえて過去形にする。昨日書いた記事のことは変わってない。もう正直自分を信じることに疲れてしまった。数年しか執筆していないとか、一作品しか書いていないのに作家になってしまう人もいるとか、本当やんなっちゃう。なんだ理不尽じゃないか。努力が報われないじゃないか。嫉妬にも疲れた。自分は自分。そう考えて盲信している人もいるだろう。でも私にはできなかった。そろそろ終わりにしたい。もう安らかになりたい。黙々と好きなことをする姿勢になりたい。誰かに認められたいという強い思いを消したい。そういえば今日はまた冬並みの寒さになるということで、少し調子もいい。春はだめだ。芽吹く感じがだめだ。今日はこれからまた眠る。頭が疲れてしまって起きてられない。このnoteいい場所になっている。でも自分の思いを吐露するだけにとどまらなければ良い。誰かのためにもなるような事を書きたいとも思っている。この私の記事が慰めになったらいい。こんな人間がこの世に存在していて悩んだりしてるけど、なんとか生きているんだよというメッセージにもなるといい。それは一貫して考えている。だって、誰だってただの愚痴は聞きたくないでしょう?偶然開いたら、たらたらとつらつらと世の中への恨み節なんてこともある。そういう時、嫌な気分になって時間返せと思う映画みたいになる。ただ、最後まで読むんだから何かしら引っかかる部分もあるには違いない。たまに他人の記事に対する批判をする人がいる。でもおかしいよね。ここは自由なプラットフォームなのでみんなも自由でいてほしい。世の中には色々な人がいる。だから楽しんだ。

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